生きているものたち、おしなべて、一様に喜怒哀楽、様々な感情に振り回されたり、知らずに振り回したり。
感情は、言葉に乗せて、他に伝わる。
でも、黙っていても、強い思いは身からあふれて、辺りに幸せや恐怖をまき散らす、こともある。
その、両方の、おはなし。
ずっと前、まだあたしがうんと若かった、ころ。
三年ばかり、体調が悪くて悪くて、さすがの我慢強いあたしも、顔に出たことがあります。
だって、ね。
歩いていると、視野がどんどん狭くなるんですよね。
周囲から、手で覆われたように、見えている部分がどんどん中心だけになってきて。
だるいし、重いし、歩くのしんどいし、力が出ないし。
そのころ、めったに弱音を吐かないあたしが、亡母に「休みたい」と申し出たら
あたしより若い人が、なまけるんでないよ、と笑われて。
そのころは、土木作業も大工仕事も家庭にあるさまざまな仕事はすべて、あたしの担当だった。
母もそうやって、若い時から仕事をこなしてきていた。
昔の女には、そんなのは当たり前のこと、だった。
自分だけ楽はできないなぁ、と感じた。
時々、こっそり床に寝転んで、休んだ。正直、身体がきつくて。
で。
頑張ってたけど、集団検診で貧血という項目で引っかかって。
大きい病院に出向いた。
肉腫が発見された。
即、手術が決まって。
大昔の医療しか知らなかった(ほとんど病院に行かなかった)あたしは、その麻酔の技術の素晴らしさに感嘆した。
背中に針を刺しっぱなしにしてて、痛くなったら、胸に伸ばしたスイッチみたいなものを押すと、麻酔が注入されて
即座に痛みが消える、のだという。
その処置を終えてから、さらに全身麻酔で、目が覚めたのは、すっかり終わったあとで。
痛くなることもなく、身体は驚くほど軽くなり、嬉しさしか感じなかった。
母は、「そこまで具合が悪かったら、言えばよかったのに。。。ごめんね。」と、泣いた。
だって、もう、すごく元気だから、だいじょぶよ、と、あたしは心から、答えた。
手術のあと、家族はぴたっと姿を見せなくなった。
忙しいのだろう、と思っていたが、後から知るに、母の姉が亡くなった、のだったそうだ。
同室の誰もが、毎日家族が入れ代わり立ち代わり見舞いに来ては、にこやかに話したりしていた。
暇をもてあましたのは、あたしと、当時七十をはるかに過ぎていた、Kさんとの二人だけ。
二人して、面会時間の混雑を避けて、廊下をリハビリと称して歩いたり、ぼんやりと空を眺めたりして過ごした。
ある日。
ひっきりなしに来客のある向かいの女性に、来客が途切れたとき、なにげに声をかけた。
彼女はもうすぐ退院だと言っていたのが聞こえた、からだったのだが。
そうしたら、彼女は、見たこともないような険しい表情になって、言い放った。
わたしは、あなたがたと今後連絡を取ろうとか、考えてませんから。
名前なんか聞きたくもないし、教える気もないから。
今居る部屋(病室)のことも、毎日のさまざまも、二度と思い出したくありません。
だいたい、子宮を取る、って、なんでそんなに簡単に言えるの?
わたしが、どんな悪いことをしたというの?
そもそも、慰めるな、っていうのよ。
特に男なんか、何もわかってない。
たとえばよ、同じ言葉を返されたら、どう思うのか、思っても無いでしょうよ。
「もう、子どもを産むなんていらないんだし、ねぇ。」
とか、あっさり言うもんだよね。何を考えてるの?っていうか、何も考えてないでしょ。
もし、自分たちが、『もう、子どもをつくることも無いんだから、いらないでしょ?』と言われて
竿も玉も取りなさい、って言われたら、どう思うのか、一回体験すればいいんだよ!
えっとぉ。
彼女の剣幕に押されて、何も答えられず、すみません、とあやまってその場を離れた、が。
あたしがよほどしょげてたらしく、看護婦さんが、慰めてくれた。
同じ病でも、重症だった人たちは回復を喜び生きることに前向きになるし、軽かった方々は逆に喪失感につぶされそうになるみたいよ、と。
あたしは、抜糸のあと、ナースステーションの前で担当の看護婦さんに、その場足踏みでぴょんぴょん跳ねて喜びを表した自分が、少し恥ずかしかった。
それと、
竿と玉、って、なんだろう?
と、ずっと考えていた、ことを、奇妙に覚えている。
瞬間に考えたのは、皐月の空に悠々と泳ぐこいのぼり、だった、のが記憶にある。
でも、えっらく怒っていること、その怒りが悲しみを含むゆえの強い言葉に表れたのだ、ということ、だけは、しっかりと伝わった。
無関係の人間に、同病の理解してくれそうな人にさえ、やりきれないいらだちや怒りをぶつけずに居られなかったのがわかって、怒る気になれなかった。
先に退院するとはいえ、一か月も同じ部屋に暮らしたのだ。
同じ食事を同じ時間にとっていて、朝から晩まで一緒の暮らし。気持ちは家族のようだった自分がおかしいのだろうか、と
ずっと悲しかった。
身体も心も、傷ついたら治せばいい、と考えて生きてきた自分の気持ちを深く考えさせられた一件だった。
もうひとつ。
最近、オリンピックで頑張った選手たちが、続々と帰国し、さわやかな笑顔を見せてくれている。
猫の世話の合間に、ニュース映像とかで目にするたびに、元気と勇気をもらえて、幸せな気分になる。
みんなみんな、すごかったよね。
一緒に頑張った、ような気持ちになれて、素晴らしい幸福感に満たされている。
目からも耳からも、幸せな気持ちが雪崩のように入ってくる。
彼ら、彼女ら、みなさまどなたも、死に物狂いで頑張った時間を抱えている、はず。
怪我を負った羽生くん、よくぞ頑張ってくださいました、感動をありがとう、感激のあまり言葉にならない。
負けた涙を糧にして、金メダルまで修練した方々や、今回惜しくもメダルを逃した方々だって、みんなみんな、ドラマを持っているんだよ。
みんな、みんな、ありがとう。
吹雪く真夜中だって、感謝の気持ちを持てば、体の芯から力が湧いてくる。
同じ病を持っても、病状や感じる心はひとりひとり、みんな違う。
どれが正しくて、何が間違っているのか、は、あたしには解らない。
ただ、日々の積み重ねが、その日を作り、明日に、未来につながっていく、のだということだけは、感じています。
感情は、言葉に乗せて、他に伝わる。
でも、黙っていても、強い思いは身からあふれて、辺りに幸せや恐怖をまき散らす、こともある。
その、両方の、おはなし。
ずっと前、まだあたしがうんと若かった、ころ。
三年ばかり、体調が悪くて悪くて、さすがの我慢強いあたしも、顔に出たことがあります。
だって、ね。
歩いていると、視野がどんどん狭くなるんですよね。
周囲から、手で覆われたように、見えている部分がどんどん中心だけになってきて。
だるいし、重いし、歩くのしんどいし、力が出ないし。
そのころ、めったに弱音を吐かないあたしが、亡母に「休みたい」と申し出たら
あたしより若い人が、なまけるんでないよ、と笑われて。
そのころは、土木作業も大工仕事も家庭にあるさまざまな仕事はすべて、あたしの担当だった。
母もそうやって、若い時から仕事をこなしてきていた。
昔の女には、そんなのは当たり前のこと、だった。
自分だけ楽はできないなぁ、と感じた。
時々、こっそり床に寝転んで、休んだ。正直、身体がきつくて。
で。
頑張ってたけど、集団検診で貧血という項目で引っかかって。
大きい病院に出向いた。
肉腫が発見された。
即、手術が決まって。
大昔の医療しか知らなかった(ほとんど病院に行かなかった)あたしは、その麻酔の技術の素晴らしさに感嘆した。
背中に針を刺しっぱなしにしてて、痛くなったら、胸に伸ばしたスイッチみたいなものを押すと、麻酔が注入されて
即座に痛みが消える、のだという。
その処置を終えてから、さらに全身麻酔で、目が覚めたのは、すっかり終わったあとで。
痛くなることもなく、身体は驚くほど軽くなり、嬉しさしか感じなかった。
母は、「そこまで具合が悪かったら、言えばよかったのに。。。ごめんね。」と、泣いた。
だって、もう、すごく元気だから、だいじょぶよ、と、あたしは心から、答えた。
手術のあと、家族はぴたっと姿を見せなくなった。
忙しいのだろう、と思っていたが、後から知るに、母の姉が亡くなった、のだったそうだ。
同室の誰もが、毎日家族が入れ代わり立ち代わり見舞いに来ては、にこやかに話したりしていた。
暇をもてあましたのは、あたしと、当時七十をはるかに過ぎていた、Kさんとの二人だけ。
二人して、面会時間の混雑を避けて、廊下をリハビリと称して歩いたり、ぼんやりと空を眺めたりして過ごした。
ある日。
ひっきりなしに来客のある向かいの女性に、来客が途切れたとき、なにげに声をかけた。
彼女はもうすぐ退院だと言っていたのが聞こえた、からだったのだが。
そうしたら、彼女は、見たこともないような険しい表情になって、言い放った。
わたしは、あなたがたと今後連絡を取ろうとか、考えてませんから。
名前なんか聞きたくもないし、教える気もないから。
今居る部屋(病室)のことも、毎日のさまざまも、二度と思い出したくありません。
だいたい、子宮を取る、って、なんでそんなに簡単に言えるの?
わたしが、どんな悪いことをしたというの?
そもそも、慰めるな、っていうのよ。
特に男なんか、何もわかってない。
たとえばよ、同じ言葉を返されたら、どう思うのか、思っても無いでしょうよ。
「もう、子どもを産むなんていらないんだし、ねぇ。」
とか、あっさり言うもんだよね。何を考えてるの?っていうか、何も考えてないでしょ。
もし、自分たちが、『もう、子どもをつくることも無いんだから、いらないでしょ?』と言われて
竿も玉も取りなさい、って言われたら、どう思うのか、一回体験すればいいんだよ!
えっとぉ。
彼女の剣幕に押されて、何も答えられず、すみません、とあやまってその場を離れた、が。
あたしがよほどしょげてたらしく、看護婦さんが、慰めてくれた。
同じ病でも、重症だった人たちは回復を喜び生きることに前向きになるし、軽かった方々は逆に喪失感につぶされそうになるみたいよ、と。
あたしは、抜糸のあと、ナースステーションの前で担当の看護婦さんに、その場足踏みでぴょんぴょん跳ねて喜びを表した自分が、少し恥ずかしかった。
それと、
竿と玉、って、なんだろう?
と、ずっと考えていた、ことを、奇妙に覚えている。
瞬間に考えたのは、皐月の空に悠々と泳ぐこいのぼり、だった、のが記憶にある。
でも、えっらく怒っていること、その怒りが悲しみを含むゆえの強い言葉に表れたのだ、ということ、だけは、しっかりと伝わった。
無関係の人間に、同病の理解してくれそうな人にさえ、やりきれないいらだちや怒りをぶつけずに居られなかったのがわかって、怒る気になれなかった。
先に退院するとはいえ、一か月も同じ部屋に暮らしたのだ。
同じ食事を同じ時間にとっていて、朝から晩まで一緒の暮らし。気持ちは家族のようだった自分がおかしいのだろうか、と
ずっと悲しかった。
身体も心も、傷ついたら治せばいい、と考えて生きてきた自分の気持ちを深く考えさせられた一件だった。
もうひとつ。
最近、オリンピックで頑張った選手たちが、続々と帰国し、さわやかな笑顔を見せてくれている。
猫の世話の合間に、ニュース映像とかで目にするたびに、元気と勇気をもらえて、幸せな気分になる。
みんなみんな、すごかったよね。
一緒に頑張った、ような気持ちになれて、素晴らしい幸福感に満たされている。
目からも耳からも、幸せな気持ちが雪崩のように入ってくる。
彼ら、彼女ら、みなさまどなたも、死に物狂いで頑張った時間を抱えている、はず。
怪我を負った羽生くん、よくぞ頑張ってくださいました、感動をありがとう、感激のあまり言葉にならない。
負けた涙を糧にして、金メダルまで修練した方々や、今回惜しくもメダルを逃した方々だって、みんなみんな、ドラマを持っているんだよ。
みんな、みんな、ありがとう。
吹雪く真夜中だって、感謝の気持ちを持てば、体の芯から力が湧いてくる。
同じ病を持っても、病状や感じる心はひとりひとり、みんな違う。
どれが正しくて、何が間違っているのか、は、あたしには解らない。
ただ、日々の積み重ねが、その日を作り、明日に、未来につながっていく、のだということだけは、感じています。
玉と竿て(笑)!
確かになーと思いました。
言い得て妙。
そんなつもりなかったじゃ
済まされないわよという気迫が感じられます。
ショックだったんでしょうね。
身体の一部を奪われるのは
長年連れ添った相棒を永遠に失うようなもの。
どんな言葉も、その人には辛かったのでしょう。
勿論、あなたも間違ってない。
たぶん、その人もそう思ってる。
でも認めてしまったら、
自分があまりに可哀想。
そんな感じかな。
わからんけど。(おい)
目の病気も大変でしたね。
視界が狭くなると、気も張るし
神経参ってしまいますね。
お母様が結果分かって下さって良かった。
そのタイミングで、能天気な声掛けされて、キレたのではないかなぁ。。。とも。
漏れ聞こえた話では、切るか切らないか、迷うところくらいだった、ようですよ。
開腹手術でなくて、下からだったようです。
あたしにすれば、こっちはでっかい傷跡を残したのに、、そちらは見た目わからない程度で済んで良かったわね、くらいの感覚でいたのですけども。
口に出す前で、本当に良かった、と、真剣に思いましたよ、その時は。^^;;
お気の毒です。どうしてやることもできない、ことであります。
目の病気、ではなくて、あたしも彼女と同じだったのよ、そのせいで貧血がひどくて、視界が無くなるほど、だったの。
術後、医者さまから「あと一週間遅かったら、自宅で大出血起こして死んでたでしょう。」と言われた^^;;
三年くらい前から、自覚症状があったのではないですか?って。
そのころには、だいぶひどかった、みたいに見えたようで。
はぁ、としか答えようが無かった^^;;(冷汗)
だからね、あたしは言うのよ、不調だったら、病院に行って、って。
大丈夫ですよ、って、笑われたら、それこそ安心じゃない?それでいいのだ、と思ってるんだ。^^
万が一、何か見つかったら、治せばいい。早ければ早いほど、治療が簡単で費用もかからなくて済むから、ね。
母の実姉、あたしが集中治療室にいるときに、危篤になったみたいでした。
思えば母にも、気の毒かけました。申し訳なかった。。。。です。
怒り狂う、と言いますけど、そういう感じでしたよ、何十年も経っても、ふいに生々しく蘇ります。
あたしより年上の方でしたからね、きっと、今頃は穏やかな日々を過ごされてらっしゃることを強く願っておりますよ^^
きっと、あたしよりも何倍も、懸命に生きてこられたのだろうなぁ、と推察しております。
どうか、のちの人生が、実り多いものでありましたように。と。
過ぎてきた環境や、立場、性格もあるのかな?
otikomi さんが手術して、元気になってよかったよ (^○^)♪
オリンピックねー
最初は、政治色濃くって、観るの何だかなと思ってたけど …… 結局、観ちゃった (^^;
カーリングとパシュートが、楽しかったよ♪
頂点に立つ人って、人間性に優れてる人多いなーと (^^)!
政治の世界も、見習って欲しいとこだよー
自身はのんびり屋だけど、きっと、思いやりが空回りするのでないかなぁ?と思ってる。
自分の中に無い思いは、想像でしか思いやれない、から。困ったもんだが。
あたしだって、手術前には、えらく悩んだんだよ。
でも、悩んでも、どうこうできないものもあるから。
自力でなんともできない、ことやものは、悩まない。というか、悩むとハゲができる。(大笑)
10円ハゲ、っての?だから、できうる限り、不必要には悩まない、ことにしてる。経験上。
オリンピック、ねー。なんで政治を持ち込むかなぁ。
純粋にスポーツとして扱えば、ほら、みんな仲良しでしょ?>選手同士とか。
国籍なんか問題ではなくて、みんな心が通じ合える。そう、見える。
もちろん、さまざまな思いはあるんだろうけども。
パシュート、楽しかったね、見ていてわくわくした♪
ニュース映像でマススタートっての見たけど、あれも楽しそうだ♪ファンが増えるんでないかな?と。
カーリングも、もっと普及してほしいよね^^♪猫の湯たんぽ用に湯沸ししてる間、ずっと見てた。何個も作るから>湯たんぽ。
けっこう長くかかるんだ、時間。 で、見てるとだんだんにルールがわかってきて。
わかってくると、応援も、さらに楽しいよね^^♪この先が楽しみ~^^
!確かに。
そう言われれば、すっごく腑に落ちます。
あたしは、ただただ恐ろしくて、悲しくて、そこまで考えが至らなかったです^^;;