日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

片付けの途中で

2016-01-13 20:34:37 | 日常
猫に踏み散らかされたファイルブックやなんかを、えんやこら、と本腰入れて片付けていた。
ピアノの横の、チャコが追いかけっこしてた辺り、年末手もつけずだったもので。

もんのすっごく古いファイルが、底の底から出てきた。
はたきなんてものでは間に合わず、雑巾で拭いた。
中身、なんだっけ?

新聞の切り抜きですよ。何冊も。
捨てたと思ってたけど、こんなとこにあったんだなぁ。
ほーーーーー、そういえば、母が喜んで切り抜いて、大切に取ってたっけなぁ、と。

自分の作品に対面するなんて、こんなこっ恥ずかしいこと、めったにあるもんでないし。

ちょろちょろ、見てみました。

ん十年前の、俳句で佳作になった作品に目が留まった。

   ででむしや 来し方隠すべくもなし

佳作、かぁ、と、がっくしきて、ほったらかしだった。
あの頃、天位とか地位とかあたりでないと喜ばなかった、(不遜な)あたし。
新聞社の「年間賞」をいただいたり、で、少々天狗になってたか?
違うんだよな、あたしとしては、これ、他の作品と並べるようなものでないのは判るけど、それでも渾身の作だったんだ。
思い入れがあった、というか。(のわりには、忘れてただろ、というツッコミは、しないでね^^;)

若かったゆえ、と、見逃してくだされたく。<(_ _*)>


あたしは、幼い頃、今の両親に養子にしてもらって、跡取りとして育てられた。

家を守るのが、跡取りとしての勤め。
そう言い聞かされて、いろんなこと、頑張れないくらい頑張ってきた。
みんなが遊んでるときにも、勉強したり個人教授受けてたり、でも、それが仕事だ、と、考えていた。
我慢したという意識は、無い。当たり前のこと、と決めて過ごした。

本家は、親戚の数が異様に多い。全国各地に散らばっている。
その親戚の中には、あたしのことを快く思っていない人たちも、居た。

『子どもができないから養子を、なんて。
 そんなん、あねさん(養母)ごと ぼんだして(追い出して=離縁して)、新しい嫁を迎えたらいいことだべな。
 したら、本筋の跡取りが、生まれるべな。まんだ、遅くね。』

子どもだから、意味がわからないだろう、と、あたしの居るところで堂々と言ってた人も、居た。
でも、覚えているんだよな、あたしの記憶は、産湯からあります。
ただ、言っている人を、覚えておきたくなかった、という意識はあった。
それのせいかどうか、わからないが、あたしは今でも、人の顔を憶えられない。
普通でない子どもだった。
そのときは何も思わなかったが、今にしておもえば、普通でない。無念。

父と母は、とても仲が良かった。
小学校に上がる前、よく、映画館に連れていってもらったが、あれは「デート」だったんだな、と、今になれば思う。

本を読むときは、心が開放された。本が好きだった。
成績やスポーツは、なにがなんでも良くなければならなかった。一番でありたかった、常に。常に。
あたしが出来が悪いと、母が婚家から追い出される、かもしれない。
それは、とてつもない恐怖だった。


俳句は、祖父が目が悪くて、あたしに自分の作品を口で言って、紙に書かせていたため、小学校の低学年あたりから
なじみがあった。
祖父は、それはそれはたくさんの言葉を教えてくれた。
自然のいとなみ、天候の言い表し方、その場その場で、「これはなになに、と言うんだ。」「こういう場合は、△○と呼ぶんだ。」
と、いちいち、つきっきりで教わった。
作品の添削も推敲も、一緒にくちずさんでは、直していった。
温かい時間が流れていた。


そして、ででむし。
虫の身ながらも家を持ち、通ったとおりに「ぬるぬる」の足跡が残る。
家を守らねばならぬ自身と、「もらいっこのくせに。」の揶揄が、消せない足跡のぬるぬると重なり、さびしかった。

で、先生に聞いた。

「隠すべくもなし」でなく、「隠すべくもなく」にしたほうが、よかったのでしょうか?

先生は、「でんでんむしのぬめりを、あなたくらい(の年齢)になって詠むほどでもないでしょう^^。」



違う。足跡、って、ただの風景の一部なのではなかったのに。

以来、俳句からなんとなく遠ざかった。



でも、おそらく、あの頃のあたしくらいの若造が、今のあたしに同じ句を出してきたら、あたしも
「小学生にまかせなさい、観察文は。」くらい、言うかもしれんな、と、ふと、我に返る。
もっと年がいった人ならともかく、青二才が何をほざく。と、ね。

あたしは、ナニを目標に生きてきたのだろう?
ナニをしたかったのだろう?
ナニを求めてきたのだろう???

今のあたしは、ででむしですらない。
気概も生き様も希望も持たず、なめくじ同様だと、ふと思う。

いかんぞ。
何か、ひとつでいい、始めなければ。
そんな、ご大層なものでなくていいのだ。
母が亡くなり、もう、あたしには「ねばならぬ」縛りは、ない。
自由に、きままに、気楽で楽しく、生活を彩れるような、なにか。。。。

でも、現実問題、今のあたしには、ん十年前の自分の作品に勝るものを書けない自信がある(おいっ!)。

とりあえず、いろはにほへと、だな。 ん。



あ・・・・??  終わった?(;・∀・)

4 コメント

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言霊 (もっち@)
2016-01-14 00:55:36
言葉を理解できないであろうと思っていても
その言葉の持つ棘は言われた者に刺さって
ずっと心の中から消えないということを
わからないことほど愚かなことはありませんな。
たとえ小さな子供にでも人間の言葉を話さない
動物や植物にでもそれは同じことだと思うのです。

自分の意ではなくとも、大きなものを背負ってきたのでしょうね。
かたつむりに自分を重ねて詠んだ俳句が切ないですな。

たくさんの小さな命にとってotikomiさんの存在は
太陽であるとワタシは思いますけどね
返信する
もっち@師匠、ありがとうございます (otikomi)
2016-01-14 14:03:46
言霊。まさしく。
気をつけて過ごさねばなりませんね、大人の責任でもあると自覚して。

だいたい、自分で(作った時点で)わかってたことなんですけど。
「し止め」はいけません。
でも、「なし」だと、消極的で、受動的。諦めが半ばあります。
「なく」とすると、少し動きが出て、そのさき「だから、どうする?」に繋がりますよね。
わざと、禁じ手の「し」にした、のだったんですよ。
生意気ですねぇ^^; 殴ったろうか?という。
年齢がいった方の句でしたら、「来し方」も人生の重みが出ますが、若造がなに観察文書いてんだ、って、なりますよね、普通。
それで、佳作に入ったのだって、大まけにまけてあげた、のだろうと、思いますよ。
句を作る、ということは、どなたの心にも響くものではなくてはなりません。
共感が大事。ひとりよがりではいけないのです。
それぞれの心に、それぞれの人生の思い出があって、その琴線にふれてこそ、の句作ですもの。
人生がまだまだ青かった自分が、痛々しく思えて、深く反省しておりますよ。
なにせ、ね、子どもの世界観って、自分が見たこと、経験したこと以外には存在してませんから。

と、まった、えらそうに(;´▽`lllA``)ごめんなさい<(_ _*)>
最初から勉強しなおします。
太陽に。なりたいです。なれるといいです。
ありがとうございます^^
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Unknown (くったんマム)
2016-01-14 14:52:20
先生が、その作品の奥にあるものを読み取ってくれないっていうのは
残念ですよね。
私にとってはそれが絵だったかなぁ。

otikomiさんの文章が上手いのは
本が好きで、俳句も賞を取れるほどの力があって、
勉強もすごくしてたからなんですね~。
私なんて小さいころからぐうたらですよ。

で、地震は大丈夫でしたか?
最近そちらのほう大きな地震が多いので
心配です。
返信する
くったんマムさん、こんにちは^^ (otikomi)
2016-01-14 15:45:28
そうですね、作品から、年齢から、顔つきから、みんな、いろんなことを読み取ろうとしてますよね^^
本、好きでした。なんでも読みました。親の書棚から図書館から、友達の蔵書から、手当たり次第。
文学書や学術書のみならず、エロ本やら漫画も、同人誌とかも、目についたものであったら、なんでも。
身体を動かしている時は、百科事典みたいなのを手元に置いてましたね。
どこからでも読み始められるし、いつでも止められますもので。
ま、根暗だったんでしょう(;´▽`lllA``)
傍目からは『クソ生意気な耳年増』ですってば。(-_-;)

絵、ステキですよ^^
好きなら、描かないと。描いているうちに、なれてきますし。才能はあると思います、負けるな!!

ぐうたら。なんて魅惑的な言葉なんでしょう。最高ですね、それヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ

地震、はい、ちゃんとエリアメールも来ましたし、遠くが震源だったので、そんなには揺れませんでした^^; 4、かな?震度。
最近、多いですよね。怖いですw( ̄△ ̄;)w
この先、何も無いことを祈るばかりです。
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