いろは歌、子供の頃から歌ってきた。
あたしはおじいちゃんっ子だったので、趣味が古めかしい。
お年寄りとも、異様に話が合う。
静かな世界観が、あたしを支配しているのか、と思っていた。
事実は、かなりの「激しい気性」で、負けん気も強いし、エベレストよりも高いプライドがあったりする、らしい。
まっ、格闘家なんて、そんなもんです。
で、いろは歌。日本語の、すべての音を顕しているというが。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそつねならむ
ういの(あっ、古語が出ない)おくやま けふこえて
あさきゆめみし えいもせす
色は匂えど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いもせず むー♪
まさしく「諦観」というか、ほぼ「失恋」の歌かも?と気付いたのは
だいぶ大きくなってからのこと。
失恋というと語弊がありそうだな。
「恋」という表現は「生きる野望とかに対する、ギラギラしたもの」への、と付け加えておこう。
雅楽の響きというか、謡曲に近いというか。
いま、この歌をまともにメロディ付きで歌える人、どんくらい居るんだろう?と
ふと気になったもので。
昔の歌、というと、ご当地には「なにゃどやら」がある。
♪なにゃどやらや なにゃどなされたや なにゃどやらや♪
ヘブライ語だと言われているが、真偽のほどは解らない。
でも、小さなこどもでも、歌えるのだ。
なめらかに踊るお年寄りたちの、篝火に照らされた影のような姿は
美しく、少し怖くて、記憶の底に刻まれている。
いや、夏の踊りの話は、かなり時期はずれだなぁ。
詳しいことは、また夏になったら書きましょうね。
で、また「いろは歌」に戻りましょう。
日本語の音をすべて表記してある、というが。
鼻濁音の「が」は、「か」に丸をつけて、ふつうの濁音の「が」と区別したという話がある。
確かに、濁音で発音してしまうと、意味不明になってしまう言葉が存在する。
氷河、の「が」は丸を、頑張り、の「が」には濁点を、みたいな。
それを、きちんと分けて表記してこそ、の日本語だと思うのだが。
古語には、濁点も丸もつけない表記方法もある(いろは歌も、そうだね)ので、そこは
「これを読むには、教養が必要なのは当然でしょ?」
といった、書く人間(おそらく当時の高学歴の方々)のプライドが見えてしまう気がする。
いろは歌は、濁音&鼻濁音を含まない。
どなたか、濁音&鼻濁音までをも含めた歌を、作ってらっしゃらないだろうか?
そういうものは、どこで検索したらいいのだろうか??
ドイツ語のような、「日本語で示されるところの『ぬ』と『め』の間の音」みたいな音は、どういう表記になるのだろうか?
また、イタリア語の、あるいはロシア語の、日本語表記が難しい音は、どうするのだろうか?
日本語って、本当に「五十音」で、足りるの??
「ことば」は、通じてナンボ、だと、あたしは思っている。
意味を伝えるための「記号」なのだから。
より詳細を伝えたいなら、もっと表記方法にも工夫を!
などと、日本の片隅で、つぶやいてみた。
あたしはおじいちゃんっ子だったので、趣味が古めかしい。
お年寄りとも、異様に話が合う。
静かな世界観が、あたしを支配しているのか、と思っていた。
事実は、かなりの「激しい気性」で、負けん気も強いし、エベレストよりも高いプライドがあったりする、らしい。
まっ、格闘家なんて、そんなもんです。
で、いろは歌。日本語の、すべての音を顕しているというが。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそつねならむ
ういの(あっ、古語が出ない)おくやま けふこえて
あさきゆめみし えいもせす
色は匂えど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いもせず むー♪
まさしく「諦観」というか、ほぼ「失恋」の歌かも?と気付いたのは
だいぶ大きくなってからのこと。
失恋というと語弊がありそうだな。
「恋」という表現は「生きる野望とかに対する、ギラギラしたもの」への、と付け加えておこう。
雅楽の響きというか、謡曲に近いというか。
いま、この歌をまともにメロディ付きで歌える人、どんくらい居るんだろう?と
ふと気になったもので。
昔の歌、というと、ご当地には「なにゃどやら」がある。
♪なにゃどやらや なにゃどなされたや なにゃどやらや♪
ヘブライ語だと言われているが、真偽のほどは解らない。
でも、小さなこどもでも、歌えるのだ。
なめらかに踊るお年寄りたちの、篝火に照らされた影のような姿は
美しく、少し怖くて、記憶の底に刻まれている。
いや、夏の踊りの話は、かなり時期はずれだなぁ。
詳しいことは、また夏になったら書きましょうね。
で、また「いろは歌」に戻りましょう。
日本語の音をすべて表記してある、というが。
鼻濁音の「が」は、「か」に丸をつけて、ふつうの濁音の「が」と区別したという話がある。
確かに、濁音で発音してしまうと、意味不明になってしまう言葉が存在する。
氷河、の「が」は丸を、頑張り、の「が」には濁点を、みたいな。
それを、きちんと分けて表記してこそ、の日本語だと思うのだが。
古語には、濁点も丸もつけない表記方法もある(いろは歌も、そうだね)ので、そこは
「これを読むには、教養が必要なのは当然でしょ?」
といった、書く人間(おそらく当時の高学歴の方々)のプライドが見えてしまう気がする。
いろは歌は、濁音&鼻濁音を含まない。
どなたか、濁音&鼻濁音までをも含めた歌を、作ってらっしゃらないだろうか?
そういうものは、どこで検索したらいいのだろうか??
ドイツ語のような、「日本語で示されるところの『ぬ』と『め』の間の音」みたいな音は、どういう表記になるのだろうか?
また、イタリア語の、あるいはロシア語の、日本語表記が難しい音は、どうするのだろうか?
日本語って、本当に「五十音」で、足りるの??
「ことば」は、通じてナンボ、だと、あたしは思っている。
意味を伝えるための「記号」なのだから。
より詳細を伝えたいなら、もっと表記方法にも工夫を!
などと、日本の片隅で、つぶやいてみた。
発音どおりに表記するという考えには賛成です
表記の工夫も可能ならすればいい
いまさら歴史的仮名遣いなんて言われても
万葉仮名の時代には現代よりはるかに多い音韻があったということは
かなの区別は音の区別だということを信じていたから発見できたこと
読めたらほぼ発音できるというのが日本語のすごいところでもあるし
(英語などのように、読めても-意味は理解できても-発音は推測できるだけで実際は分からない、とはずいぶん違う)
発音どおりに表記するということのために古代日本語使用者は営々と努力してきた
8世紀には万葉仮名が成立したようだが
オコト点を工夫するなかから濁音を表記するための濁点が登場するのはようやく11世紀
様々な「かな」「変態かな」が並存してきたが、それも明治にいたって統一される
だが
「日本人はかなだけで日本語を表記しようと200年にわたり努力したがついにこれを放棄、漢字仮名交じり表記を確立した」といったことを書いてたのはだれだっけ。
日本語はかなだけでは表現できない
今でも かな もしくは カナ だけの表記を目指してるひともいるけど
成功してるようには見えない。
中国語には中国語の
韓国語には韓国語の
そして日本語には日本語の悩み
みんな悩んで大きくなあれ
でも、本当はわたくし
国境も民族もなくなって
エスペラントのような共通語が使われる未来を夢見てます
あれ (とびたか) 2005-12-20 05:35:02
コメントする場所を間違えた
でも、このコメント
間違えた時、どうやって修正・削除するのだろう?
…できないの。そんな恐ろしい。
・・・・というコメントを、別のスレにいただきました(;^_^A
修正方法、無いみたいです。
管理人が削除するしか無いのかな?
一部不具合なモノを投稿していただいた、なんて場合も
不都合な部分だけを削除して、っていうことが
できたら良いのにね。
でも、さすが、とびたかさん。
いつも、勉強になります、ありがとう。
仮名表記の旗を揚げた方々も、昔はいらっしゃったみたいですね。
カタカナ表記を!と叫んで、実際に行ってらした方々も。
でも、同音異句が多すぎて、伝達は難しかったみたいです。
やっぱり、言葉は「目を見て」言うのが効果的?かも。
表記、は、次の段階ということでしょうか。
人々は、常に「伝えよう」と努力してきました。
顔文字なんかも、「なんとか伝えたい」心の表れですよね。
まっ、時として、言葉よりも多くを伝える手段、てのも、ありますけど。
^m^v )