団塊の世代で、様々のことがらが起きている、という話題を拝見した。
さまざまなことを、深く考えさせられた。
あたしも、時代的にちらっとかすっているので、気になってしまった。
思い起こせば、自身も介護のため離職した、くちである。
大きいじいちゃまのために五年、父に二十年、母に三年、介護漬けの日々だった。
合間にちょいちょい、嫁に行った伯母たちの世話とか、あったりしたが、それはまぁ、大したことは無かったけれど。
一人っ子、って、こういう時、つらい。
付添してると、風呂にすら入れない日々が続く。
交代要員が皆無なのだ。子育ての時期とも、もろにかぶった。
途中に、自身も怪我で入院を余儀なくされたことも数回あって。
入院先から迎えの車で親の入院先へ出向いて、毎日挨拶していた。
(あたしが入院すると、家族は「看る人が居ないから」と、勝手に親を入院させてしまっていた。)
だってね、あたしが顔を出さないと、不安で騒ぐんだもん。甘えっ子な親たちで^^;;
(↑お前が甘やかしたからじゃ、と、言いっこなし、ね。)
ま、頼りにされていた、と思えば、少しは誇らしかったりする。
で、一か月に10キロとかいう単位で、やせたんだよね、あの時分には。
ダイエットと思えば(思うなよ。。。。)。骨川筋子、なんてあだ名まで頂戴してしまったり。
全部で八人、仏様にした。
葬儀全般は、いやおうなしに生活を困窮させる。
大昔のことで、介護なんていう意識も、まだ浸透してなかった。
今は楽になりましたね、介護保険なんていう代物ができた。
介護の必要な人を収容する施設も、続々出来てきています。
介護職なんていう職業まで、ありますもの、ね。
あんなに重労働なのに、給料が見合っていない、気はしていますけれども。
あたしは、もう、どうにもならんものですからね、楽しんで介護しよう、と、開き直りましたっすよ。
どのみち、あたし自身が育ててもらった、わけですからね。
お返ししてる、と思えば。
いろいろ工夫していると、毎日発見があって、それなり楽しみもありましたし。
気持ちがせつない、のを除けば、おおむね、まぁ、よく生きてきたなぁ、と。
ただ。
介護が長すぎると、社会から離れてしまうんですよね。
友人知人なんてものも、付き合いなんかできない状態が続きますから。
どういうわけか、夜中に起きて騒ぐんですよね、年よりたちは。
のちに知ったことによりますと、昼間は家族の気配があるから安心して居眠りしていて、夜中は静かすぎて不安になるのだとか。
でも、それにいちいち付き合って生活してましたらね、いま、自分は真夜中にならないとエンジンがかからないんですよ、ね^^;;
ドラキュラ生活者、と笑ってますが、まっとうな生活が難しい。
だって、銀行とか友人とか、昼でないと連絡とれませんし。
ショップも、日中しか開いてませんし。
コンビニができたときは、心底嬉しかったです。
何日も何日も、自分の食い物にありつけないことが、ありましたですよ、実際がとこ。
今は、そういう苦労は無い、と思えば、なんと自由で、あっけらかんと寂しい日々。
世間的には、あたしは、もう存在してない、ようなあんばいですよ。実感として。
猫を抱いて、思う。
死ぬときは、あんたらと一緒だね、と。
猫、大迷惑^^;;
さまざまなことを、深く考えさせられた。
あたしも、時代的にちらっとかすっているので、気になってしまった。
思い起こせば、自身も介護のため離職した、くちである。
大きいじいちゃまのために五年、父に二十年、母に三年、介護漬けの日々だった。
合間にちょいちょい、嫁に行った伯母たちの世話とか、あったりしたが、それはまぁ、大したことは無かったけれど。
一人っ子、って、こういう時、つらい。
付添してると、風呂にすら入れない日々が続く。
交代要員が皆無なのだ。子育ての時期とも、もろにかぶった。
途中に、自身も怪我で入院を余儀なくされたことも数回あって。
入院先から迎えの車で親の入院先へ出向いて、毎日挨拶していた。
(あたしが入院すると、家族は「看る人が居ないから」と、勝手に親を入院させてしまっていた。)
だってね、あたしが顔を出さないと、不安で騒ぐんだもん。甘えっ子な親たちで^^;;
(↑お前が甘やかしたからじゃ、と、言いっこなし、ね。)
ま、頼りにされていた、と思えば、少しは誇らしかったりする。
で、一か月に10キロとかいう単位で、やせたんだよね、あの時分には。
ダイエットと思えば(思うなよ。。。。)。骨川筋子、なんてあだ名まで頂戴してしまったり。
全部で八人、仏様にした。
葬儀全般は、いやおうなしに生活を困窮させる。
大昔のことで、介護なんていう意識も、まだ浸透してなかった。
今は楽になりましたね、介護保険なんていう代物ができた。
介護の必要な人を収容する施設も、続々出来てきています。
介護職なんていう職業まで、ありますもの、ね。
あんなに重労働なのに、給料が見合っていない、気はしていますけれども。
あたしは、もう、どうにもならんものですからね、楽しんで介護しよう、と、開き直りましたっすよ。
どのみち、あたし自身が育ててもらった、わけですからね。
お返ししてる、と思えば。
いろいろ工夫していると、毎日発見があって、それなり楽しみもありましたし。
気持ちがせつない、のを除けば、おおむね、まぁ、よく生きてきたなぁ、と。
ただ。
介護が長すぎると、社会から離れてしまうんですよね。
友人知人なんてものも、付き合いなんかできない状態が続きますから。
どういうわけか、夜中に起きて騒ぐんですよね、年よりたちは。
のちに知ったことによりますと、昼間は家族の気配があるから安心して居眠りしていて、夜中は静かすぎて不安になるのだとか。
でも、それにいちいち付き合って生活してましたらね、いま、自分は真夜中にならないとエンジンがかからないんですよ、ね^^;;
ドラキュラ生活者、と笑ってますが、まっとうな生活が難しい。
だって、銀行とか友人とか、昼でないと連絡とれませんし。
ショップも、日中しか開いてませんし。
コンビニができたときは、心底嬉しかったです。
何日も何日も、自分の食い物にありつけないことが、ありましたですよ、実際がとこ。
今は、そういう苦労は無い、と思えば、なんと自由で、あっけらかんと寂しい日々。
世間的には、あたしは、もう存在してない、ようなあんばいですよ。実感として。
猫を抱いて、思う。
死ぬときは、あんたらと一緒だね、と。
猫、大迷惑^^;;
私も職場の人に骨川筋子って言われてる(笑)
そ、誰もいないと、全て自分 …… これ、辛いねー (T_T)
体重減少は、大変じゃん!
私は、肺炎と帯状疱疹になった時は、参ったわー
入院出来ず、治るまでに3倍、帯状疱疹なんて半年かかった (;_q)
で、施設を利用しだしたんだけど、ケアマネも施設も人間の質がピンキリあるねー
家は、ショートステイ中に急死させられたんで~
本人がお腹が痛いってるのに救急車も呼んでくれないし、かかりつけの病院書かされてるのにそこに連れてってもくれない …… 人を見るし、色々と言い訳の態度から不信になった!
選ぶ御家族は、慎重にやってあげて欲しいねー
コンビニは、確かに便利♪
お高いのがたまにキズ~ (^^;?
便利な世の中になったけど、かえって不便になったのもたくさんあるねー
新しい時代は、どうなるのかな~?
でもって、あたしは、もう、かなりてふてふだすよ^^;なんと、身体のラインが、かなーり「あやふや」。
もうね、今は楽に過ごしてるから。あのときに比べたら、なまけ放題?^^;;
途中に、少し好転してくれてた時期もあって、ね。
そのころ、小学校に勤めさせてもらってた、のよ。楽しかったなぁ。。。。(とほい目)
大きいじいちゃまの時は、あたし妊娠7~8か月だったんだけど、じいちゃまをトイレに連れて行こうとしてて、力を入れ過ぎて自分の腸がバレーボールくらいの大きさに「抜けた」ことがあって。
あれ、マジ痛い。自力では運転できない(座れない)から、乗せてもらって病院に行って、医者さまからあきれられるという。
ま、赤ん坊が抜けた(出てきた)のでなかったから、よし。身体(の一部)が裏返る、という貴重な体験できたし。
小さい爺様(父)の介護の時、最後の頃、自分が膝の靭帯損傷やっちまって。
で、入院になったんだけどね、その頃には施設もでき始めてて。家族が、頼み込んでショートスティに入れちゃった。
急ぎだから、遠くでもなんでも、はいれたらいい、ってんで、隣町に。
そしたらね、お互いによくわかんないまま急遽の入所をしたもんで、遠慮して。
具合が悪いのに、寝てれば治る、とか我慢してたみたいで。
あたし、呼ばれて妹の運転で出向いたら、爺ちゃまの顔つきが変で、受付に声をかけたんだけど
ご家族で(病院に)行かれるのなら、ですけど、こちらではどうにも対処できかねます、って言うんだよね。
しょうがない、松葉づえつきながらも、そのまま連れ出してかかりつけの病院に行ったら
肺炎だった。即入院で。施設の方へは、こういう事情ですから、って、お断りして。
みたいなこと、あったよ。
お互いによく話し合ったり、人柄を見てないと、我慢強い人なのか、騒ぎたい人なのか分からないし、ねぇ。
しょうがない、で済ませられる事態で、よかったよ。
コンビニ、最近はスーパーと同じ値段で売ってるとこも、あるよ^^
品物にもよるかも、だけど。そこにしか無いものもあるから、いろいろ回ると、楽しいかも?^^
どちらででも、スイーツなんか、絶品揃いだよね♪
良い時代に、なりました~♪
かえって不便に?確かに、何かを得ようとすると何かを失う、みたいなとこ、ある。でも平均値で均せば、いい方向、だと。便利だよ、まっこと。ありがたし。
しょうがない事態じゃすまなかったのよ、家は~
母が、普段から我慢強いのを知ってるのに、お腹が痛いと朝の4時ぐらいに訴えたのを、喋ったから平気って勝手に決めて、何時間も待たせてからその施設がかかりつけ医してるとこへ連れ行くって、9時頃電話があったの~ 大丈夫です、大丈夫です、なんてぬかしてさー
小一時間たった頃、その医者に貰った下剤を飲ましたら吐いたので、今度は病院に連れて行きます大丈夫です、なーんて!
で次は、検査しますから~入院ですから~って …… 大丈夫なんてぬかすから、自分の医者に行く日で行ってしまってたら、今度は至急病院に来てくれ~ってさー
来てくれったって、隣の隣のって町に施設があって、そこから更にの病院で、全然知らない場所なのに聞いても駅名しか教えてくれないし、自転車を1時間以上こいで道行く人に聞きながら病院に行ったよ~
やっと着いたら、もうダメだって言ってる癖に、病状の説明やら入院の手続きやら、心臓が止まったらマッサージするか否かとか、色々のサインやらで40分以上会わせてくれないし、会った時は虫の息で口も聞けず、パクパクして直ぐ死んだわー
看護婦の心臓マッサージだっておざなりのやった体~
で、医者は『 死んだから~ 』とか『 今日は窓口閉まっちゃったから、これ ( 病院の請求書 ) 、明日にでも払っといて 』だってさ!
施設の人は、病院に本人置いたら直ぐ帰っちゃってていないし、本人の衣服も返してくれず ( 施設着だったので ) 、後でわざわざ返してもらいに行ったさー
施設で担当した女と男 …… なぜ救急車呼ばない? かかりつけの病院書いて提出させられているのになぜそこに行かない? って問いただしたって、自分達の非は認めないよね~
却って、睨まれたわー
どこの施設か言いたいぐらい腹立つわー!
施設は、ケアマネがここにって言われたとこにショートステイしてたの~
当時は、自分の体がどうしょうもなかったし、初めてのことだから何も分からなかった~、ほんと後悔!
後で調べたら、デイも、ショートも、もっと近くに何軒もあるじゃん~
なんで2つとも遠くを紹介したんだろ、ケアマネ?
ケアマネも、施設も、病院も最悪だった!
因みに、ケアマネは、区からここがいいと紹介された事業所の人 …… 何事もついてなかったね~ (T_T)
運が悪かった、では済まされまい。
ふつふつ煮えたぎる心持は、一生消せないのだと思う。
命がかかったことは、うっかりや失敗は、許されない、ことなのだから。
ただ、首を垂れる。ご冥福をお祈りするしかできない自分が、悲しくてやりきれない。
ただ、お母様は、きっと、悲しんでる鳶ちゃんを、はらはら見てると思うよ。
母親ってさ、残してきた我が子が、健やかであれ、幸せであれ、と、祈るものだと思うから。
ごめんね、うまく言えなくて。。。
書き出したら、メラメラしちゃったわー
以前、バイトしてたとこの若奥さんとバイトの女の子~
奥さんは元看護師、女の子は助産婦の資格を取る勉強中、二人の会話が『 子供に国はお金かけて、老人なんかはやく死んだ方がいいよねー 』ってんで、吃驚!!!
今、介護やってる人達には、気をつけて色々選んで欲しいねー
otikomi さんに、嫌な思いさせて悪いと思ってる~
返信要らないよ~
本当にごめん!
私のコメ、不愉快になるかもだから、消していいよ~
夕方からの猫の世話しないで寝過ごしてまった^^;;
朝から大車輪で走り回ってて。ま、三日分くらいは、置き餌してはいるんだけど、つい・・・^^;;
で、今、見たわ。
鳶ちゃん、メラメラしとんのね。わかった。
んでも、直接体験したんでないから、あたしは状況を知らんのかもしれんけども。
見たとたんに、ずっと以前に、大きな大会で金賞とってた作品を思い出したわ。
年よりは 死んでください 国のため
あれ、ずいぶん物議をかもしたっけが。あ、あたしのじゃないよ、他の方の作品なんだけど、ね。
川柳で言えば、「いい作品」だ、と、あたしは思う。思ってる。
これは「揶揄」でしょ?
若い時分には、お国のために死になさい、って戦場に駆り出され、老いてからは年金やら政策やらで軽んじられ、まるで、死になさいと言われてるみたいだよな、という嘆き?ぼやき?の句、だなぁ、と見える。
そのころの年寄りたちは、本当に死ぬ思いをして戦い、あるいは死んでしまい。
やっと帰還したら、昔のように「年寄りは大事にするもんだ、若いもんは口をはさむな!」みたいな風潮はすたれてて。
家族を、国民を守りたい、その一心で戦ってきた人たちは、悲しかったんでないかな。
そりゃ、一時は平和を満喫しただろうけど、老いていく身には、今の平和がむなしかった部分もあるんでない?
あんなに尽くしたのに、まるで、居ない方が良いみたいな扱いを受けるのかよ!という、誰にぶつけていいのか、分からない怒りや痛み。
あれが発表されたとき、あたしは、まだ若かったけれども。ま、今よりは、ね。
だけど、自分がやった(年寄りを軽んじた)のでもないけど、なんだか申し訳ないという気持ちになったっけや。
今の子供たちの痛みや悲しみ。
いつごろからかなぁ?と思い起こすに。
運動会で一等二等をつけません、全員参加賞です、とか、言い始めたあたりから、かな?
全員平等です、分け隔てがあってはなりません、とか、さ。
人間、たい焼きでもあるまいし、全員おんなじ、なんて、ありえない。
ひいきとか差別とかはいけないけど、昔は養護学級なんて「別の場所に確保しておく」みたいなものはなかったし。
弱いもの、出来の悪いもの、全部いっしょくたに入ってて。
そして、子どもたちは、弱い存在に対して、認識する余裕があったっけよ。
命の大切さ、なんてのも、よく目にする機会があった。家族も多かったし。
今、昔と同じに、なんて、できやしない。
だけど、何かのヒントになれば、少しは変わっていくのかも。
ま、2020になれば、教育制度はガラッと変化する。
それは言えるけど。
ね。^^
不愉快にはならないよ。
世の中、いろいろ、あらあな。うん。