あたしが、まだまだ子供だったころ、のこと。
町の日、という催しがありまして。
今でも残っている町名に「何日町」(たとえば朔日町、とか八日町、とか六日町、のような)がありますが。
その日付の日には、その町内に「市(いち)」がたちまして。
ずらら~~~っと軒を並べ、思い思いにさまざまのものを持ち寄って、売るのです。
糸屋(小間物屋)さんとか、金物屋さんとか、布屋さん、それから籠屋さん、テントの中に色とりどりの品物がみっちりと並べられてあって。
近隣の人々は、その市で買い物し、日々を過ごすのです。
デパートやショッピングモールなんて、まだまだなかった頃。
もちろん、コンビニなんてものもありませんし。
野菜も、朝取りの新鮮な、不揃いのものがたくさん、何軒も並んでいて、ひやかしたり値切ったり、大人たちも楽しそうで。
個人的には植木屋さんが好きでした^^
その日、親に連れられて、歩いてました。
八日町の角の、ちょっとした隙間。
何もしない男の人がひとりで、ただ黙って座っていました。
店のような小さな空間には、見たところ、何も置いてなかった。
違和感を感じて、目をとめたのでした。
良く晴れて、風の心地よい日でした。
そのとき。
親たちが品物を見定めている間、あたしはそこらここらに目をやって、少し手持無沙汰してました。
お金を持っていたら、何か買おうかと思ったかも?だけど、あいにく、お小遣いなんてしゃれたものは持ち合わせてなかった。
みんなが貧しくて、明るくて元気な時代でした。
うっかり、その角の辺りの、黙って座っている人と目があった。じろじろ見てたのがばれたかな?と、一瞬怖じんだ。
その人は、じっとあたしを見つめ、おいでおいで、と手招きしました。
?ナニかな?
と、うっかり近寄ってしまった。
近くに寄ったら、なんとなく怖い、感じがしました。
その人は、あたしを見て、しばらくじろじろと眺めて。
(内心、逃げた方がいいのかな、と考えたが、足がすくんで動けなかった。)
それから、おもむろに懐から条幅を出し、筆を手に取り、すずりの墨をたっぷりと含ませ、すい、と筆を持ち上げて
ちょっとあたしを眺めてから、紙にまっすぐに筆をおろしました。
吸い込まれるように見つめるあたしの目に映ったのは。
ぐいぐいと力を籠め、すぅっと抜き、またおろし。
上げてあげて曲げて戻して。
まるで真剣勝負のような、踊るような、不思議な筆運びに、思わず見惚れてしまいました。
なんと、条幅いっぱいに、一筆書きの龍を描いたのです。
それは、見事な龍でした。
まるで、今にも動きそうな、不思議な絵でした。
描き終わって、満足した顔でもう一度あたしの目を見て、その人は言いました。
おまえさんは、思うように生きればいいんだよ。
最初に見た、射るようなまなざしではなく、やさしいおじいさんの顔、でした。
何かを尋ねようとしたとき、親があたしを探して道の向こうから呼びました。
振り向いて、ここにいるよ、と声をかけ、小走りに近寄って今見たことを話し、もう一度そこに行こうとしたのですが。
その人は、そこに居ませんでした。
訳が分からず、しどろもどろのあたしに、母が声をかけました。
手に墨がついてるよ、どうしたの?
夢ではなかったようですが。
あたしはその後数日、ぽーーーっとしてました。
きっと、見物人のあたしが居なくなったから、トイレにでも行ったのか、ほかの店に出向いたのか、そんなところでしょうけれど。
お習字を習っていたあたしは、帰宅してから何回か挑戦してみたのですが、思うような龍は描けませんでした。
同じように筆を運んでみても、紙が破れたり、墨がかすれてしまったり、で、難しいものです。
町の日は、その後毎月ありますから、何年も通って探したのですが、それっきり、その不思議な店(?)はあらわれませんでした。
あたしは大きくなり、進学のため地元を離れ、それから長い月日が経ちました。
今でも、ごくたま~~に、思い出すのです。
あの人は、いったい何を売っていたのだったのだろうか?と。
っていうか、誰だったのかな?って。
町の日、という催しがありまして。
今でも残っている町名に「何日町」(たとえば朔日町、とか八日町、とか六日町、のような)がありますが。
その日付の日には、その町内に「市(いち)」がたちまして。
ずらら~~~っと軒を並べ、思い思いにさまざまのものを持ち寄って、売るのです。
糸屋(小間物屋)さんとか、金物屋さんとか、布屋さん、それから籠屋さん、テントの中に色とりどりの品物がみっちりと並べられてあって。
近隣の人々は、その市で買い物し、日々を過ごすのです。
デパートやショッピングモールなんて、まだまだなかった頃。
もちろん、コンビニなんてものもありませんし。
野菜も、朝取りの新鮮な、不揃いのものがたくさん、何軒も並んでいて、ひやかしたり値切ったり、大人たちも楽しそうで。
個人的には植木屋さんが好きでした^^
その日、親に連れられて、歩いてました。
八日町の角の、ちょっとした隙間。
何もしない男の人がひとりで、ただ黙って座っていました。
店のような小さな空間には、見たところ、何も置いてなかった。
違和感を感じて、目をとめたのでした。
良く晴れて、風の心地よい日でした。
そのとき。
親たちが品物を見定めている間、あたしはそこらここらに目をやって、少し手持無沙汰してました。
お金を持っていたら、何か買おうかと思ったかも?だけど、あいにく、お小遣いなんてしゃれたものは持ち合わせてなかった。
みんなが貧しくて、明るくて元気な時代でした。
うっかり、その角の辺りの、黙って座っている人と目があった。じろじろ見てたのがばれたかな?と、一瞬怖じんだ。
その人は、じっとあたしを見つめ、おいでおいで、と手招きしました。
?ナニかな?
と、うっかり近寄ってしまった。
近くに寄ったら、なんとなく怖い、感じがしました。
その人は、あたしを見て、しばらくじろじろと眺めて。
(内心、逃げた方がいいのかな、と考えたが、足がすくんで動けなかった。)
それから、おもむろに懐から条幅を出し、筆を手に取り、すずりの墨をたっぷりと含ませ、すい、と筆を持ち上げて
ちょっとあたしを眺めてから、紙にまっすぐに筆をおろしました。
吸い込まれるように見つめるあたしの目に映ったのは。
ぐいぐいと力を籠め、すぅっと抜き、またおろし。
上げてあげて曲げて戻して。
まるで真剣勝負のような、踊るような、不思議な筆運びに、思わず見惚れてしまいました。
なんと、条幅いっぱいに、一筆書きの龍を描いたのです。
それは、見事な龍でした。
まるで、今にも動きそうな、不思議な絵でした。
描き終わって、満足した顔でもう一度あたしの目を見て、その人は言いました。
おまえさんは、思うように生きればいいんだよ。
最初に見た、射るようなまなざしではなく、やさしいおじいさんの顔、でした。
何かを尋ねようとしたとき、親があたしを探して道の向こうから呼びました。
振り向いて、ここにいるよ、と声をかけ、小走りに近寄って今見たことを話し、もう一度そこに行こうとしたのですが。
その人は、そこに居ませんでした。
訳が分からず、しどろもどろのあたしに、母が声をかけました。
手に墨がついてるよ、どうしたの?
夢ではなかったようですが。
あたしはその後数日、ぽーーーっとしてました。
きっと、見物人のあたしが居なくなったから、トイレにでも行ったのか、ほかの店に出向いたのか、そんなところでしょうけれど。
お習字を習っていたあたしは、帰宅してから何回か挑戦してみたのですが、思うような龍は描けませんでした。
同じように筆を運んでみても、紙が破れたり、墨がかすれてしまったり、で、難しいものです。
町の日は、その後毎月ありますから、何年も通って探したのですが、それっきり、その不思議な店(?)はあらわれませんでした。
あたしは大きくなり、進学のため地元を離れ、それから長い月日が経ちました。
今でも、ごくたま~~に、思い出すのです。
あの人は、いったい何を売っていたのだったのだろうか?と。
っていうか、誰だったのかな?って。
otikomiさんは折に付け不思議な出逢いをされてらっしゃるw
その人は辻占だったのか
何かの行商人だったのか
姿を見たのはotikomiさんだけなのでなんとも言えませんが。
その筆はその人の心や姿を写し取るモノで
龍が描きあがったことで放免されたのでしょう。
だから今こうして思い返して思い出話として綴れているわけですから。
思うようにというのはなかなか難しいことですが
思うように生きられていらっしゃいますか?
龍を描いてくれたなんて、縁起がいいじゃん♪
一生、お金には困らないし、強い神様の援護がある印じゃん!
羨まだわー♪
ま、不思議なことって、色々あるよね (^^;
なんですかね、たぶん、みなさまにも不思議な出会いってのはあると思うのですけどね。
あたしは、いったん「心に引っかかる」と、ずっと気になってしまうもので(さらっと流すのが下手、というか)
それで覚えて居るだけなんだと思っていますよ^^;;
いろいろ、おかしかったんですよね。
テントみたいな、だったんですけど、ほんとに小さな空間で、ものが置いてなくて。
何をしに来たものか、理解できなかったんです。みんな、品物を並べている場所なのに、って。
男の人だったんですけどね、描き終ったら、20歳くらい年を取ったように見えたんですよね。
で、なんだろうか、って、いまだに心に引っかかっています。
単純に、「よく見ていなかった、だけ」なのかも、ですけども。わからないことだらけで。
思うように、という言葉は、まだ本当の意味が理解できていない、気がします。
物事の理解、って、難しいですよね。見ていても、真実にたどり着けるかどうか、は、疑問符だらけ、ですし。
見方によっては、いかようにも変化する、ことが多い世の中ですもの。
亡母は、幼いころから「人間は何のために生まれてきたのだろう?」という疑問にとりつかれてましたが。
あたしも、ずっと何かを探し続けていくんでしょうねぇ、これからも。^^;;
確かに存在してたんだけど、たまたま移動したところを目にしなかったから、気になってるだけ、なのかも?とも。
でも、触れた記憶は無いのに、墨がついてた、ってのも不思議だったし。
だって、作品にじかに手を触れるなんて距離じゃなかったし、って。記憶違いにしても、ひどすぎるじゃろ、と。
それは、以前書いた、占い師のおじさんの件のあとだったんで、ね。
ほら、『あんたは他人様のために尽くして尽くして尽くしなさい。』って言われた、二年後あたり?
あんときは、「ずいぶんと運のない顔だったんだね」って言われたけど、ね^^;;
あいかわらず小さくてやせてて、貧相だったんだとは思うけども。
その後、一年に20センチとか背が伸びて、ね、人並みになったんだ。以来、二十歳まで背が伸び続けたよ。
ま、成長期が遅かった、とか?
いろんなことを時系列で並べてみると、いろいろと面白い。
龍の夢は、よく見たなぁ。最近は見ないけど、夢そのものを、あんまり見なくなったんだ。
猫の世話で、疲れ果てて、寝床に入ると気が付けば朝、って感じね^^;;
ほら、布団に入って目をつむって、開けたら朝だった、っていうの。
まぁ寝つきがいいこといいこと。ありがたいわ。
たくさんの何か(誰か?)に助けられて、生きているっていう感触はあるよ、いつも感謝してる。あたし自身がヘタレ(意気地なし)だから、ね。
生きていくのはけっこう難しい。何回も死にかけてるし。でも、まだ死んでない。
まもられているのだ、と思っています。命があるのは、おかげさま、ですもの。ありがたいことです。