もう、吹く風はかすかに冬の匂いを運んでいる。
はるかに夢の大橋を臨めるこの場所は、夕日の絶景ポイントで、あたしは、よくカメラを抱えて日暮れを待っていたものだった。
わざわざ足を運ぶ、というものでもなく、通りすがりに時間帯が合えば、という、気軽で気楽な場所。
マリエント、という、小さな水族館の展望台、真下は食堂になっている。そのまた下が、いわゆる水族館。
マリエントでは、主に近海の魚を展示してあるのだが、中には小さいながらも映画館もある。
また時々は、まぁ魚に関係したものがほとんどだが特別展も開催されて、夜の水槽を見よう、という特設会も、あった。
いつぞやは、インカの民芸品などを展示してあったり、とか、あぁ、当時はまだ生きていた家族を率いて見に来たなぁ、などと思い出す。
考えまい、考えまいと、脳みそが命令でもしているようだ。
無関係の事柄ばかりが次々と脈絡もなく浮かんでは消える。
どの季節でも、見慣れた風景なのに、一度も見たことのないものが、そこにはあった。
なんだろう、この黒い物体は。。。。知っている、よく知っているのに、考えないと答えが出ないような奇妙な感覚だ。
まるで、目にした瞬間、何かに手で前を覆われたような。。。。
あぁ、自分の涙だったんだ、と、ぼんやりと考える。
ほんの少ししか経っていないような、もう大昔のことだったような。
十月十日に、来ていた。
鈴を鳴らして、手を合わせた。カメラを持ち込んだので、撮影の許可を、と、願った。
見知らぬ人々が大勢お参りに来ていて、境内はにぎわっていた。
みんな、誰かと笑いさざめきあっていて、一人で撮影なんてのは気恥ずかしいくらい、だった。
境内のぐるりをめぐって、ほとんどは海の撮影だったんだが、神社の裏側からも撮影した。
これは横から。ここに写っているのが、祖父の建てた(造った)石碑、だったんだ。
蕪島の下の部分は、津波でさんざんに壊滅したため、工事中だった。
あの大津波は、蕪島神社をさけて(海が二つに割れて)くれたため、津波に飲み込まれずに残っていたのだった。
由緒ある神社が残った、ということで、浜の人たちは勇気を振り絞り、復興に力を尽くした。
まだ、火災の原因はわかっていないそうだ。
漏電も含めて、調査中とのことだが、宮司さん夫妻が「負けない」と言ってくれたと聞いて、嬉しかった。
何かを書かなければ、書き残しておきたい、と思う。
思うばかりで、何をどう書いたらいいものか、心の置き所を見失ったような混乱のさなかに居ます。
はるかに夢の大橋を臨めるこの場所は、夕日の絶景ポイントで、あたしは、よくカメラを抱えて日暮れを待っていたものだった。
わざわざ足を運ぶ、というものでもなく、通りすがりに時間帯が合えば、という、気軽で気楽な場所。
マリエント、という、小さな水族館の展望台、真下は食堂になっている。そのまた下が、いわゆる水族館。
マリエントでは、主に近海の魚を展示してあるのだが、中には小さいながらも映画館もある。
また時々は、まぁ魚に関係したものがほとんどだが特別展も開催されて、夜の水槽を見よう、という特設会も、あった。
いつぞやは、インカの民芸品などを展示してあったり、とか、あぁ、当時はまだ生きていた家族を率いて見に来たなぁ、などと思い出す。
考えまい、考えまいと、脳みそが命令でもしているようだ。
無関係の事柄ばかりが次々と脈絡もなく浮かんでは消える。
どの季節でも、見慣れた風景なのに、一度も見たことのないものが、そこにはあった。
なんだろう、この黒い物体は。。。。知っている、よく知っているのに、考えないと答えが出ないような奇妙な感覚だ。
まるで、目にした瞬間、何かに手で前を覆われたような。。。。
あぁ、自分の涙だったんだ、と、ぼんやりと考える。
ほんの少ししか経っていないような、もう大昔のことだったような。
十月十日に、来ていた。
鈴を鳴らして、手を合わせた。カメラを持ち込んだので、撮影の許可を、と、願った。
見知らぬ人々が大勢お参りに来ていて、境内はにぎわっていた。
みんな、誰かと笑いさざめきあっていて、一人で撮影なんてのは気恥ずかしいくらい、だった。
境内のぐるりをめぐって、ほとんどは海の撮影だったんだが、神社の裏側からも撮影した。
これは横から。ここに写っているのが、祖父の建てた(造った)石碑、だったんだ。
蕪島の下の部分は、津波でさんざんに壊滅したため、工事中だった。
あの大津波は、蕪島神社をさけて(海が二つに割れて)くれたため、津波に飲み込まれずに残っていたのだった。
由緒ある神社が残った、ということで、浜の人たちは勇気を振り絞り、復興に力を尽くした。
まだ、火災の原因はわかっていないそうだ。
漏電も含めて、調査中とのことだが、宮司さん夫妻が「負けない」と言ってくれたと聞いて、嬉しかった。
何かを書かなければ、書き残しておきたい、と思う。
思うばかりで、何をどう書いたらいいものか、心の置き所を見失ったような混乱のさなかに居ます。
石碑も、最近上映された映画の看板も、いろんな碑などなども、どうなっているものか。。。
なにしろ、情報が出てないもので、何もわからないまま不安だけが募ります。
ここの神社に奉納されている碑は、みんな、海難事故の犠牲者の慰霊碑なんですよ。。。。
昔から、船で漁に出て、嵐とかで帰れなかった人たちの。。。
お名前と年齢が刻んであって、残された親や妻や子どもたちが、精一杯の祈りをこめて建立した、血のにじむような叫びの聞こえてくるものです。
古いものからけっこう新しいものまで、数多くありました。
どれも、無事に残って欲しいですね。もう、記録にさえ残っていないものもあるでしょうから。。。
八戸市は、何十年か前に大火に遭って、古い帳簿やら記録が残らず灰になった経緯があります。
あたしは生まれる前でしたが、母から伝え聞いたですよ。
もう、碑文からしか想像できない、確かにそこに存在していた人々の記憶が、
どうか消えずに残って、と考えるのはわがままでしょうか。。。
たくさんの思いが、祈りが、そこにはあったんですよね。。。。