最近、色々気が付く事があります。特に、今回のコロナでまざまざと人としての根元が見えた感じがします。
毎年、インフルエンザで感染する日本国民は1000万人+αで集計の残る最大の感染者数は1400万人+αです。死者は毎年3000人前後です。厚生労働省のホームページに出てますから正確な数字知りたかたら覗いて見てください。
アメリカなんかは毎年、インフルエンザで10,000人前後亡くなり、2年前は60,000人が亡くなっています。
不思議ですよね人間って、対処方法が確立(感染症で言えば、ワクチンです)していれば、必ず毎年死者が出る感染症はさほど話題になりません。まぁ、ワクチン打って予防しましょう、、位です。
今年の日本のインフルエンザ感染症数は728万人です。マスク、手洗い、消毒、自粛の徹底が謳われこれだけ減少すると分かりやすい事例です。当然、過去最小の感染者数だったそうです。(4月20日で集計終了です)
正体不明の不安には日本人だけでなく、人間の本能的な反応は、最終的には差別憎悪が蔓延ります。それは連鎖し最終的には同調圧力に変わります。話しは飛びますが、この群衆心理を権力者は使うのですよ、、
さて、今日、興味深い記事に目が止まりました。
以下、コピーです↓
「すべては、その人がどういう人間であるかにかかっている」と述べたのは、ナチスの強制収容所の生き証人で、実存分析(ロゴセラピー)の創始者であるV・E・フランクルだ。
その収容所では、ナチスの親衛隊員である所長が、密かに自分のポケットマネーで囚人のために薬を購入していたのだった。他方で、最年長者の囚人は、囚人仲間を「ぞっとするような仕方で」虐待していた。
ますます「人間性」を突き付けられる
フランクルは、この経験を踏まえて「最後の最後まで大切だったのは、その人がどんな人間であるか『だけ』だった」と主張したのである。
最後の最後まで問題でありつづけたのは、人間でした。「裸の」人間でした。この数年間に、すべてのものが人間から抜け落ちました。金も、権力も、名声もです。もはや何ものも確かでなくなりました。人生も、健康も、幸福もです。すべてが疑わしいものになりました。虚栄も、野心も、縁故もです。すべてが、裸の実存に還元されました。(以上、V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』山田邦男・松田美佳訳、春秋社)
コピー終わり↑
結局、人間の本性ってのは、危機的状況になり裸になった時にはっきり分かれるって事です。でも、これってずっと続いてる人間の課題です。
我良しで生きる人が多くなった現代ですが、そうでも無い出来事が沢山起こった、今回、いや、これから続く感染症との共存。。悪い面と良い面が見えたって事は、逆にこれからの気付きになったんだと思うんです。
本当に最後に残るもの、って、なんでしょうね。。

では、
paikaji