寂しいついでに、失われたものを惜しんでもう1題。
先に「急行銀河」が姿を消して寂しい、と書いた記憶があるが、逆方向、つまり
東京発大阪方面行きの列車でも同じようなものはある。
近年では「ムーンライトながら」という愛称がつけられていたそうだ。
私の学生時代は、自治会活動などで、年何回かは関東方面へ行ったものだ。国会要請が多かったな。あとは
大会か。
交通費は自治会持ちかあるいはカンパだから、少しでも安い方法を選ばざるを得ない。
夜行バスは当時片道で9,000円前後だったし、新幹線も片道13,000円くらい。
普通電車で日付が変わるまで岐阜あたりまで行って、そこから東京4:42着の電車に乗る、というのが比較的多かったかな。で、山手線何週かする内に池袋の喫茶店が開く、と。
帰りは大抵、東京発23:30くらいの大垣行き。季節にもよるけど、2時間くらい前から並んでる人いるんだよね。保谷あたりで確か日付が変わり、そこからは青春18切符でOKだから、京都や大阪まで片道3,000円弱だった。
社会人になってからも、懐かしくて1回だけ乗ったことがある。確か94年のGW。そのときは東京駅のホームが工事中で品川発だったな。で、何を勘違いしたのか、出発時刻を1時間も間違えて、早めに着いてしまったんだよね。
往路は友人とだったんだけど、復路(箱根駅伝みたいだな(笑))はその連れが名古屋に用事があるんで別行動だったんさ。品川のホームに21:30頃着いて、1時間ほど雑誌読んで過そうと思っていたのに、列車が出るまで2時間もあると……まあ、大変だった、時間潰すのが。
実はその旅行中にやね、なぜかお金を落としてしまい、さらに当時は郵便局のATMもGW期間中全部止まっていて、にっちもさっちも行かなかったんだよね。だからどこか喫茶店とかレストランとか、あるいは銭湯とかにも行くことができなくて、せいぜいホームでボーっとするくらいしか能がなかったんだよなぁ……。
社会人になってからはなかなか東京方面へ行くことはないけれど、学生時代にはちょくちょく行ったな。
神田古書街を徘徊したこと、都立大前の急な坂を歩いたこと、赤門近くの旅館で寝るところがなくなって広い押入れの中で座布団に埋もれて寝たこと、新木場での人混みにビックリしたこと、京葉線まで時間がかかってビックリしたこと、麻布十番で居酒屋に入って枝豆がメニューにないのでガッカリしたこと、興銀のビルの高さに驚いてたこと、先述の池袋の喫茶店っていうのは、サンシャインビルB1のマザーグースという喫茶店のことで、そこでモーニング食べててさ、これでもか、これでもか、というほどパンを食べてたこと……。
今は付き合いのない父方の親戚が関東に住んでいて、父の兄が亡くなったとき、89年にも行ったかな、新幹線始発で八王子まで。でも少し遅刻しちまった。特別快速ってもっと早いと思ってたけど、1時間以上もかかるんだね、東京から。
少し手前だと、高校生のときに、トマホークが横須賀港に来るというので、反対集会に行ったりしたときは、有志でマイカーに分乗させてもらっての参加だった。海老名のSAから見た朝の富士山、綺麗だったな。早朝、みんなで白い息を吐いて、輪になって、平和の歌とか青春の歌とか歌ったな。なぜか山下公園でたこ焼き買おうとしたら、8つで400円もしてその値段の高いのにもビックリした。当時大阪では12個入りで200円が普通だったからね。
まだ小学校に入る前には、在来線で大阪まで帰って来たことがあったと思う。新幹線は開通していたんだけれども、おそらく私が嫌がったのだろう。
まあ、何かと便利だった夜行列車がまた1つ姿を消したことは、寂しくてならない。
新幹線や飛行機に乗らないで、ノンビリと旅を楽しみたい人々にとっては、楽しみが1つなくなることになるわけで……そうそう乗るチャンスがあるわけじゃないんだけれどさ、また復活……したら、いいんだけれどね。