私感・雑感

平和、平穏。

安全、安心。

でもそれらを脅かすものは許さない。

蝉にまつわるエトセトラ

2011年07月26日 | 日記
先日、蝉が元気ない、ってぼやいていましたが、どうも先週末以来、つまり23~24日くらいから、当地では少しづつ元気を取り戻している様子です。

昼間に、近くの木陰でボケッとしながら、電話をしていました。
雨が降ってるわけでもないのに、頭の上から少し水分を感じました。

ん?……と思って、樹上を見ると……
バタバタと羽ばたく蝉がいました。

蝉のおしっこ、だったのか~(笑)

浴びたの生まれて初めてだったんで、なぜかラッキーな気がして、多少のムカッ!ときた気分は蝉と共に去りぬ、な~んて、ね。

夕方は組合の会議に行きました。

いつも事務所で会議をするのですが、その場所のビルは駐輪場もなく、また真下の歩道に自転車を置いておくのも……商店街のメインストリートですし、某餃子の王将のお店やお客さんの迷惑にもなるので、近くにあるぞう公園というところ、遊具つきの小さなグランドのある公園に置いています。

その公園はぞうさんの姿をした滑り台があるため、そのような愛称で呼ばれ、春には公園全体に綺麗な桜が咲き乱れ、格好のお花見スポットになります。
また、夏には地域の盆踊りの、それ以外でも商店街や地元の神社のお祭りの際などの、さまざまなイベントや行事のときによく使われる公園です。

さて、いつもより若干長引いた会議も終わり、件の公園に行き、愛車の28年物の自転車の脇でホッと一息ついておりました。
いつも電話ボックスのすぐ隣に停めるのですが、ふと、そのボックスに目を見やると……

私の身長くらいのところに、蝉の抜け殻がありました。

ああ、今年も蝉は生きてたんや、って……実感がありましたから、少し嬉しく思いました。

さらに、私の目の高さくらいのところには、今夜羽化するような感じの蝉が……静かに、止まっていました。

さらにさらに、もっと下の、ちょうど私の膝くらいのところに、よいしょ、よいしょ、と……スベスベの金属を登ってくるのは……やはり、今夜羽化予定っぽい蝉でした。

小さなときから、蝉の抜け殻は何度も見ているのでしたが、羽化する予定の蝉たちや、そのために地中から這い上がってくる蝉を見たのは初めてだったんで、なんだかちょっぴり……嬉しい気持ちになりました^^

携帯で写真を撮ろうと思ったんですが、フラッシュやシャッター音でビックリしたらかわいそうなんで、静かに退散。

元気のない自分が少し元気づけられたような……そんな(7フレットで2,3,4弦ハーモニクス?!)気がして……


♪む~ぎわ~ら~ぼ~しは~

2011年07月21日 | 日記

近畿地方は、台風が過ぎ去った。台風一過……

子どものときは、台風パパと台風ママ、台風兄ちゃんと姉ちゃん、台風弟と妹……
つまり、台風ファミリー、と思ってた(笑)アハハ~

でもこんな時期に台風なんて、学校の終業式とかできなかったところ多いんじゃないかな。

ん??学校は夏休みに入ってるんだ、そう言えば。

夏休みといえば、む~ぎわ~ら~ぼうしは~……で始まる、吉田拓郎さんの唄。

実はこの唄、少年時代の過ぎ去った夏休みの思い出を唄っているものとばかり思い込んでいたんだけど、
先日面白い解説を聞いた。

この私にとっての新解釈は、実は台風の影響である大切な用事がなくなる可能性があったので、テレビのニュースをあちこち視て回っていたときに偶然飛び込んできた。

姉さん先生も、田んぼの蛙も、みんな、原爆、放射能で消えてしまった……

そういう解釈は全くしていなかった。
確かに吉田拓郎氏はヒロシマの地で大学時代までを過ごし、ヒロシマにゆかりのある方である。
だから反戦・平和を唄ってもなんら不思議ではない。

なるほど、そういうふうに読めば、喪失感とその悲しみも、美しいメロディに載せられて心に入ってくる……

7月も下旬になると、もうすぐ8月6日、9日、15日が来るなあ……と、毎年のことだけど思う。

そう言えば、今年は梅雨明けがやけに早かったからか、それとも梅雨の雨量が少なかったからか、あるいは昨年の猛暑で沢山死に絶えてしまったのか……
梅雨明け以降もやけに蝉の声がおとなしい。木陰のクマゼミ、どこ消えた??

例年なら梅雨が明けた途端に、猛烈な勢いで鳴き出すのだけれども、どうも今年は蝉たちが静かな気がする。

近畿だし震災で壊れた原発のせいなんかではまさかないだろう。


失敗したパイさん

2011年07月19日 | 日記

自分でパイさんなんて書くなよ、ってツッコミはなしで……(^^;
押韻ですよ、押韻、ははっ。

先日、実家でリンゴをもらって来ました。

実は私は食物アレルギーがあって、リンゴを生では食べられないのです。
いや、食べられなくもないんだけど、ガブッと生でまるかじり……なんてことをすると、後々、
口の中とか唇が荒れて痛痒くなってくるのです。

でも、リンゴジュースやリンゴジャム、缶詰、アップルパイは平気です。

なので、加熱して冷たいデザートを作ることにしました。

皮を剥いて8等分、芯を取って、ユキヒラに入れます。
茶色くならないように、薄い食塩水で煮てやります。

少し色と透明度が変ったら、おおよそ火が通った証拠なので、砂糖をサッサッサ、
シナモンをパラパラ~

はっきり言ってレシピも何も参照せずに作ったので、全くの自己流です。

まだ熱いのでそのまま冷蔵庫に入れたりせず、粗熱をとってからタッパに入れ、冷やしました。

……さて、お味のほうはといえば……

う~~~ん、マズイ*(困る)*

はっきり言って、甘過ぎました><

缶詰よりも、ジャムよりも、も~っと甘かったよぉ、トホホ~

味見したときにはそんな感じじゃなかったんだけどなぁ……

もうちょっと控えめな甘さを狙っていたんだけど……あかしまへん。

次回からはもう少し砂糖を減らそう。

で、残ったシロップ、シナモンがどかどか入ってるし、何か使えないかと思い、
まあ、なんと言うべきか、セコイと言うべきか、ブラックのアイス珈琲に入れたら美味いかも、と
思い、やってみたのですが……

ガ~ン、はっきり言って、またもや
マズイ*(困る)*

シロップ自体が相当甘かったのに、適量をわきまえず、一気に入れてしまったため、甘すぎるアイス珈琲に……><

でもシナモン風味に助けられ、なんとか完飲(←そんな言葉ねえだろう!?)

いやはや~塩加減を間違うと大変とはよく言いますが、お砂糖もひとつ匙加減を間違うと、エライ目に遭いますね。

気ィつけやなあかしまへんなぁ。


○△□

2011年07月19日 | 日記

正面から見ると、○

横から見ると、△

上から見ると、□

……同じものでも、見る角度によって見え方はさまざまだ。
一面的な見方しかできないと、ややもするとその正体というか、本質を見失いがちかもしれない。

ものごとは、多面的なアプローチが必要なんじゃないだろうか、って……最近、思う。

それは、人に対する見方でも当てはまりそう。

よく、人の発言内容や行動パターン、思考様式を評して、
「あいつはドコドコに勤めているからなあ」
「あいつは公務員だからなあ」
「あいつは何々してたからなあ」
……と、思ったり言ったりすることが往々にしてあるように思う。

確かにそれはその人を評するときの、あるひとつの側面には違いないだろう。
だがしかし、ときに人は、あたかもそれが全てであるかのような勘違いに陥りやすいような気がする。
あるいは俺だけかも知れないが……。

確かに、特定の業界にはその業界特有の価値観とか礼儀作法、あるいは暗黙の了解みたいなのがあって、そこから遠退いてからも、ある意味で職業病が抜けないというのか、当分当時のクセが抜けなかったりすることもある。

あるいは、他にもその人の属性の一つに過ぎないものを取り出して、あたかもそれがその人の第一義的な大きな側面であるかのように思い込んでしまうと、人に対する見方を誤ることに繋がりかねない。

思うのは、人、という存在を、その人、というふうに捉えられるようにしたい、ということ。

例えば、自身の発達障害が発覚してからしばらくは、周囲の人々やテレビなどに出てくる一般視聴者に対しても、
あいつは発達障害がある、あいつは発達障害がない、とカテゴライズしようとしていた時期もあったりした。

でも、最近特に思うのは、まあ、今さらながら何を言うてんねん、って謗りを免れないと思うが……
当事者か否かなんてことの前に、まず大切なこと、それは

かけがえのない、その人、人間としてのその人、

……という見方、少し、自分の頭から、どこかに飛んで行きかけていた。

勿論確かに、発達障害の当事者には当事者ならではの特性や特徴、ないわけじゃない。
それも人により大きかったり小さかったり、あるいはスキルでカバーできてたりできてなかったり……。

でも、たったひとつ確実に言えること、それは、

この世にたったひとりしかいない、かけがえのない、あなたであり、わたしである、

ということ。

誰だってそう。
当事者かどうかなんて関係ない。

う~~ん、本当はだから、当事者も定型も関係なく、もっとみんな仲良くできたらな、いいんだけどな。

あるいはもっとグローバルに、肌の色が違おうが、国や言葉が違おうが……ね。

なかなか難しくっても、時代は少しづつでも、そう向かっている、と……思いたい、な。

自分自身への、戒めも込めて……。


手をつないで……

2011年07月17日 | 日記

存在理由……か。

今、ここにいる、というだけで、ものすごい奇跡的なこと。

その奇跡というか、偶然のまた偶然の積み重ねというか、

始まりも終わりもない、果てしない時空の永遠の広がりの中で、

こんなちっぽけな星に、

こんなちっぽけな俺たち。

でも、人と出会う、ということ、これもものすごい大切なこと。

別れる、というのもこれもまた大切なこと。

うん、なんていうんだろうな、こう……

人、という存在、に対する考え方、ちょっとづつ、少しづつ……

変ってきている感じが……する。

なんだろう、うまく言えないなあ、

でも、こう……

もっと、大きく捉えることができるように、なりたいな。

もっと、色々な視点から見られるように、なりたいな。

そんな、気がしてる。