マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

秀吉の朝鮮征伐と出口の満州進出は・・・

2011年11月03日 07時33分07秒 | 古代史
今日は祝日のため仕事はお休みだ、で、何の祝日だっけ?まあ、そんなことはどっちでもいい。せっかくのおやすみなのだからゆっくり静養しよっと。
先日、腱鞘炎が痛いと書いたら、多くの読者から色々アドバイスをいただきました。現在はテーピングで親指と薬指の動きを制限し、かなり楽になってきてます。ご心配をおかけしました。ありがとうございました。

今、悩んでいるのは、私がブログを始めた時、「還暦になったら本を作り知り合いに配る」を目標にしたのだが、昨年うどん屋に従事したおかげでまったくそっちの方面に時間が割けなくなったのだ。仮に時間があったとしても肉体的に限界で、栄養が脳に届いていないというか・・・、要は頭が悪くなったというか・・・、言い訳がましいな。早い話、研究が少しも進まないのである。
で、仕方がない。還暦は今年の十二月にやってくる。もう時間は残されていない。もちろん、シバチャンブログから適当に抜き出せば本の一冊ぐらいは作るだけの記事はないわけではないが、ばらばらの記事では「つながらない」でしょうね。
で、で、決めた。今年の十二月に日頃は買うことが出来ないような高級生豆を購入し、特別焙煎のコーヒーを作くり、希望者に配ろうと・・・。高級と言えば、ブルーマウンテンとかハワイのコナなどが有名で、1kg当たり5000円ぐらいはするかな…。でも、その種のコーヒーはどちらかというと酸味が強く、私の趣味ではない。もう少し苦みを生かしたエクセレントを探そう。

私が還暦に作ろうと思った小説は「秀吉」である。彼は実はジンギスカーンのお種を宿した有力皇族の隠し子で、いわゆる「お坊ちゃま」だったのだが、幼少のころ名古屋の農家に密かに託児され、執事として蜂須賀が付き添っていた。百姓に身をかくしながら兵法、漢学などにも精通し世に出る機会を待っていた。そんな時朝廷からの秘密指令が来て、信長に仕え、天下布武を助けるように命令された。
信長は秀吉(当時は藤吉郎だが)の持つお種の秘密は知らないものの、蜂須賀の力は知っていた。木曽川の水利権を持つ蜂須賀と組めば斎藤家を圧倒できる。すなわち、秀吉は信長の草履持ちなどではなく、客分の待遇だったはずである。
信長殺しは秀吉なのか?八切さんはそう言った。でも本当の犯人は皇室である。勝者の歴史書によれば、当時皇室は幕府の陰に隠れ、非力だったように書かれているが、実はそんなことはなく、敦賀湾から世界に向けて交易を営み、圧倒的な財力と権威を持っていたのである。表向き武力を待たない皇室はただ単に、国内の政治を軍隊、つまり幕府に委託していただけなのだ。まあ、このあたり、アメリカ軍に軍事を委託している現状と似たところがある。
しかしある時、海外に派遣していた奉公衆からキリシタン(イエズス会)の動向を伝えてきたため、もはや貴族化している足利幕府にはその対応力が備わっていないことははっきりしている。それが戦国時代に突入した原因である。
すべては朝廷の仕組んだ内戦で、いわゆる全国甲子園大会のようなものであり、信長はその筆頭に選ばれたのである。しかし、信長はキリシタンから武器を購入し、ついには朝廷をも超える権威を築きつつあった。安土城に天皇をお迎えした時にその決定がなされた。それが信長殺害の意味である。秀吉も光秀も当然命令に従っただけである。

問題は朝鮮出兵の意味だ。考えてほしい。当時の明は元王朝を滅ぼしたのだ。ジンギスカンの血をひく秀吉にとって明は宿敵である。しかもその王は「馬の骨」なのだ。モンゴルからは新たな主ととして秀吉の大陸進出を望む声が朝廷に舞い込んでいる。当時の李王朝は元の支配下にあった高麗を滅ぼし、王族を根絶やしにした逆臣だ。しかも明国を主と仰ぐいわゆる柵封体制の中にあった。だが、逆に共同して明を倒すことは朝鮮にとっても独立を果たすチャンスでもある。李王朝の朝廷が一枚板であったなら恐らく朝鮮は秀吉の進出を受け入れ、ともに明へ攻め込んだ可能性が高いのだ。つまり、朝廷の重臣には明とつながることで財をなし、王に対する忠誠心はそれほど大きくなかったということである。
勝者の歴史書には秀吉の朝鮮征伐を、「秀吉は頭がおかしくなった」と決めつけ、彼は正常な判断が出来ない状況だったとするが、それは歴史の矮小化である。つまり、秀吉の朝鮮出兵の意図を説明できなければ、おそらく西郷の征韓論も日韓併合も単なる歴史の千切り取り、いわゆる偶然の積み重ねの歴史観しか思い浮かばないだろう。
秀吉は朝廷から「明国を滅ぼし、元王朝を再興しなさい」との勅命を受けていたのである。歴史は繰り返す。清王朝が滅び、中国が建国されようとした時、日本の皇室は満州の地に清王朝を再興しようとしたが、その時の状況は秀吉の時とほとんど変わっていないのである。

秀吉は関白にまで上り詰めた。つまり、彼はその地位に着くべきお種を持っていたのである。徳川は征夷大将軍、足利も源頼朝も同様で、北条は執権にすぎない。皇室においてお種は絶対であり、例外はないのである。
秀頼は徳川に殺されるが、実は秀吉の種はひそかに託児され現代にまで伝えられている。私の妄想ではそれが大本の出口であり、笹川であり、鳩山(兄)である。

ところで託児だが、現在私たちが知っている系図は決して正しいものではなく、隠された養子はいたるところにあるのだ。栗原さんの「歴史の闇を禊祓う」を注意深く読むと「正田貞一郎は太平食品創立の翌年に藍綬褒章を授与され、昭和三十四年には孫娘の名目で預かり育てた美智子と皇太子の御成婚に恵まれ・・・」とある。預かり育てられるとはいかなる意味か?
正田家は皇室の外戚であるにもかかわらず、宮中へ招かれることはないという。血がつながっていない以上、当然なのだろう。つまり、皇室の外戚になるには表向きは平民でも、「お種」は必要なのだ。つまり、雅子さんも・・・・。

まあ、こんなストーリーで小説を書きたかったのだが、それらの肉付けとなる周辺資料を集める時間と方法がない。
残念だが今書いたストーリーで皆様勝手に妄想してください。