正月休みでずいぶん体重を増やし、仕事が始まって少しは元に戻るかと思いきや、またもや連休である。まったく・・・体調を保つのが難しいですな。
食べログに不正が発覚!というニュースは久々にうれしいニュースである。皆が早くネットの持つ危険性に気づいてもらえばこんな良いことはない。(修正しました。)
野田政権が消費税のアップに自民党も賛成するよう協力を要請しているが、「問責議員の辞職が先だ」そうである。本音は「井戸を掘った人」に利権がもたらされるのが常識だから、民主党が消費税をアップすると自民党はうまみがなくなる。どうせなら自分がやりたいのである。議員というのは職業で、金儲けなのである。そう考えないと、国民の大半が嫌がる消費税をアップしたがる気持ちはわからないだろう。勝手にしろ!
さて、昨年末から一生懸命秀吉時代を研究してきた。それは私の一貫した歴史観「天皇が古代から現代まで歴史を動かしてきた」で戦国時代を読み解くためである。
足利政権を終わらせ、キリシタンの攻撃にも耐える強力な政権を作るため、朝廷が画策したのは幕府の分断政策である。足利政権を内部から分断するとともに、各地で勢力を伸ばしつつある守護大名や戦国大名を競わせることで日本をご破算に願いまして状況にするのである。
しかし、当時の天皇の中でそれを画策するほどの能力を持つ人物がいたのだろうか?
やはりいたのである、正親町天皇がその人である。彼がどのように日本を動かしたのかはもう少し厳密に年表を見て行かなければならないが、信長や秀吉、あるいは家康などもその天皇に翻弄されたのは間違いないのだ。
いま述べたのは軍事に関する分断政策で、イエズス会が東方へ進出してくるのを十分に認識していたからこそ朝廷は危機感を持って戦国時代を演出したのである。
もう一つの分断政策は宗教関係である。南北朝分裂自体も一つの分断政策といえる。皇室の後継者問題に関与させることで仏教関係者は真っ二つに分かれてしまったではないか。いうなれば皇室自体が肉を切らせて骨を切ったといえる。
そして生き残った宗派に対抗し、さらに皇室はいくつかの秘密兵器を送り出す。それが本願寺(一向宗)と利休である。利休とはオシラ様だといったのは八切さんで、彼が中心となり全国の白山衆が信長に協力し、逆に一向宗は邪魔をしたのである。
そう理解すれば全国統一後秀吉が利休を殺した背景が浮かび上がる。要は秀吉のバックは仏教系であり、家康は神道と仏教の習合だったのではないかと私は考える。
秀吉は早く朝鮮へ行き陣頭指揮を取りたかったのだ。しかし、日本を離れれば利休は必ず神道系の部族に声を掛け日本を支配しようとするだろう。秀吉は後顧の憂いを取り除き朝鮮へ行くにはどうしても利休を殺す必要があったのだ。
いま大阪が熱い。腐った大阪市や大阪府をを支配しているのは秀吉を擁立した仏教徒であり、橋下政権下で大阪をひっくり返そうとしているのもやはり同じ仏教徒どもで、つまり八百長である。
宗派の違う東京、もっと違う名古屋はこれに介入できないのである。
ここで白状するが、私は秀吉を誤解していた。彼が皇室奉公衆であることは間違いないにしても、どう考えても原住民系ではなく渡来系、すなわち仏教系だったのだ。その点が徳川とは違っていた。もっとも秀吉は最初からそのように動いていたのではなく、徐々にそれを知らされて行ったと考える。だからこそ最後に利休と衝突したのだろう。あるいは、石山本願寺と和解するころに知ったのかもしれない。
さて秀吉の朝鮮出兵の意味はなんだったのか?
それはマヨ理論からすれば明白だ。モンゴルを中国から追い出した明は腐敗してもはや崩壊寸前である。ロシア南部にある大スキタイ本部は日本の皇室と満州の女真族に指令を出した。「早く明を滅ぼした方に支配権を与える」という指令である。女真族と日本が朝鮮へ侵入するのは同じ時期で、動機も同じようなものである。秀吉がもし(歴史にもしは禁句だが・・・・)もう少し長生きしたなら、朝鮮は間違いなく日本のものだったろう。
いずれにしても、日本皇室の目標は大モンゴル帝国だったのである。モンゴル帝国が世界帝国を作りえた原動力を単に武力だと見るのは大いに誤りで、モンゴル軍はそれほど強くなかったのは定説である。あまり言われていないが、モンゴルの一番の強みは紙幣を持ったことである。これは「塩本位制」のようなもので、アジアから中央アジアに至るまでこのモンゴルの紙幣を見せれば一番貴重だった塩と交換できたのである。つまり、なんでも買えたのである。モンゴルが強大な帝国になれた本当の理由はいくら調べてもあまり書かれていない。それは現在世界を支配している者どもがその秘密を知られたくないからである。
皇室は秀吉を使い、アジア全土を征服し「金本位制」の帝国を築こうとしていたのだ。大阪城に積まれた金塊をどのように手に入れたかを私は知らないが、その目的は良くわかるのだ。
それと・・・・ああ、秀吉に関してはあまりにも研究すべきことが多い。今日はこのへんで。
食べログに不正が発覚!というニュースは久々にうれしいニュースである。皆が早くネットの持つ危険性に気づいてもらえばこんな良いことはない。(修正しました。)
野田政権が消費税のアップに自民党も賛成するよう協力を要請しているが、「問責議員の辞職が先だ」そうである。本音は「井戸を掘った人」に利権がもたらされるのが常識だから、民主党が消費税をアップすると自民党はうまみがなくなる。どうせなら自分がやりたいのである。議員というのは職業で、金儲けなのである。そう考えないと、国民の大半が嫌がる消費税をアップしたがる気持ちはわからないだろう。勝手にしろ!
さて、昨年末から一生懸命秀吉時代を研究してきた。それは私の一貫した歴史観「天皇が古代から現代まで歴史を動かしてきた」で戦国時代を読み解くためである。
足利政権を終わらせ、キリシタンの攻撃にも耐える強力な政権を作るため、朝廷が画策したのは幕府の分断政策である。足利政権を内部から分断するとともに、各地で勢力を伸ばしつつある守護大名や戦国大名を競わせることで日本をご破算に願いまして状況にするのである。
しかし、当時の天皇の中でそれを画策するほどの能力を持つ人物がいたのだろうか?
やはりいたのである、正親町天皇がその人である。彼がどのように日本を動かしたのかはもう少し厳密に年表を見て行かなければならないが、信長や秀吉、あるいは家康などもその天皇に翻弄されたのは間違いないのだ。
いま述べたのは軍事に関する分断政策で、イエズス会が東方へ進出してくるのを十分に認識していたからこそ朝廷は危機感を持って戦国時代を演出したのである。
もう一つの分断政策は宗教関係である。南北朝分裂自体も一つの分断政策といえる。皇室の後継者問題に関与させることで仏教関係者は真っ二つに分かれてしまったではないか。いうなれば皇室自体が肉を切らせて骨を切ったといえる。
そして生き残った宗派に対抗し、さらに皇室はいくつかの秘密兵器を送り出す。それが本願寺(一向宗)と利休である。利休とはオシラ様だといったのは八切さんで、彼が中心となり全国の白山衆が信長に協力し、逆に一向宗は邪魔をしたのである。
そう理解すれば全国統一後秀吉が利休を殺した背景が浮かび上がる。要は秀吉のバックは仏教系であり、家康は神道と仏教の習合だったのではないかと私は考える。
秀吉は早く朝鮮へ行き陣頭指揮を取りたかったのだ。しかし、日本を離れれば利休は必ず神道系の部族に声を掛け日本を支配しようとするだろう。秀吉は後顧の憂いを取り除き朝鮮へ行くにはどうしても利休を殺す必要があったのだ。
いま大阪が熱い。腐った大阪市や大阪府をを支配しているのは秀吉を擁立した仏教徒であり、橋下政権下で大阪をひっくり返そうとしているのもやはり同じ仏教徒どもで、つまり八百長である。
宗派の違う東京、もっと違う名古屋はこれに介入できないのである。
ここで白状するが、私は秀吉を誤解していた。彼が皇室奉公衆であることは間違いないにしても、どう考えても原住民系ではなく渡来系、すなわち仏教系だったのだ。その点が徳川とは違っていた。もっとも秀吉は最初からそのように動いていたのではなく、徐々にそれを知らされて行ったと考える。だからこそ最後に利休と衝突したのだろう。あるいは、石山本願寺と和解するころに知ったのかもしれない。
さて秀吉の朝鮮出兵の意味はなんだったのか?
それはマヨ理論からすれば明白だ。モンゴルを中国から追い出した明は腐敗してもはや崩壊寸前である。ロシア南部にある大スキタイ本部は日本の皇室と満州の女真族に指令を出した。「早く明を滅ぼした方に支配権を与える」という指令である。女真族と日本が朝鮮へ侵入するのは同じ時期で、動機も同じようなものである。秀吉がもし(歴史にもしは禁句だが・・・・)もう少し長生きしたなら、朝鮮は間違いなく日本のものだったろう。
いずれにしても、日本皇室の目標は大モンゴル帝国だったのである。モンゴル帝国が世界帝国を作りえた原動力を単に武力だと見るのは大いに誤りで、モンゴル軍はそれほど強くなかったのは定説である。あまり言われていないが、モンゴルの一番の強みは紙幣を持ったことである。これは「塩本位制」のようなもので、アジアから中央アジアに至るまでこのモンゴルの紙幣を見せれば一番貴重だった塩と交換できたのである。つまり、なんでも買えたのである。モンゴルが強大な帝国になれた本当の理由はいくら調べてもあまり書かれていない。それは現在世界を支配している者どもがその秘密を知られたくないからである。
皇室は秀吉を使い、アジア全土を征服し「金本位制」の帝国を築こうとしていたのだ。大阪城に積まれた金塊をどのように手に入れたかを私は知らないが、その目的は良くわかるのだ。
それと・・・・ああ、秀吉に関してはあまりにも研究すべきことが多い。今日はこのへんで。