お祭りがあったりして、パソコンの前でゆっくりするのも久しぶりである。その間に政局はずいぶん変わってしまったようだ。野田氏と安倍氏の談合による解散であり、国民のことなどまったく無視した欲だけ、つまり金に目のくらんだ人たちの政治である。
要は、表裏合わせると莫大な額に及ぶ復興財源を補正予算で自民党と民主党、さらには公明とが談合し、お互いに十分満足できる内容に落ち着いたから、まあこのあたりが限界と野田氏は決断したということのようだ。もっとも、田中真紀子さんが文科省の方針に逆らい、新大学の認可を渋ったため民主党は大いに困ったのだが・・・。
なにせ、日教組に金を配分するには文科省を怒らしたくないからね・・・。どこまで行っても日本は官僚が支配しているんだ。真紀子さんが10人ぐらいいれば日本の政治は変わるだろうね・・・。
奇兵隊さんのコメントで答えたように、安倍氏は田布施出身であり、田布施は九州にもあるが、いわゆる朝鮮である。別に私は朝鮮だからどうだというわけではないが、九州の田布施出身なのがあの有名な小泉である。田布施には何かがあるのである。
明治維新に大きな力を発揮したのはあの松下村塾である。そしてその創始者はWIKIによれば「松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいる。」とあり、その塾は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出した。
この玉木氏は室町時代に大きな勢力を持っていた大内氏の末裔だとの情報があった。つまり、日本で一番最初にイエズス会の教会を作ることを許可した大内氏は歴史上では断絶したように書かれているが、広く種をまき散らした結果、現代までその血脈は生き続けているのである。冷泉氏などの貴族とも血縁を結んでおり、その広がりは私たちには想像もできない。
問題は、大内氏が百済王の末裔だと主張していることで、当時から半島とのネットワークは出来ており、明との交易を独占できたのも一種独特の人脈があったものと想像するのである。
また、これは聞いた話で私には裏がとれないが、鉄砲の日本への伝来は種子島からと歴史は語るのだが、実は大内氏はそれより以前から鉄砲を手に入れ、大陸との交易で売買していたのだと言う。つまり、山口は当時からコスモポリタンだったわけだ。
要は、私の言うABCDE理論のD勢力の拠点が戦国時代にすでに日本に出来ていたということ。
ついでに言うと、IMFや国連のトップに韓国人が任じられているが、韓国の国際的な地位からしてちょっと不思議ではないか?どうも、韓国にはそれらの国際機関を動かす一派がいるようなのである。
まあそんなことより、明治維新で大内氏の末裔が政治の表に出て、その中で田布施の人脈は操り人形として機能したのだろう。その田布施の安倍さんと、松下政経塾の野田さんの関係はどうなるのか?
つまり、松下さんが世界の家電メーカーにのし上がるにあたり、田布施の歴代首相にお世話になり、そのお礼も含め政経塾を創設し、現代の松下村塾を作ったと考えるべきである。つまり、野田氏は安倍氏を首相にするために一肌脱いだということだろう。
さあ、私が一番気にかかるのが河村たかしである。意外にも自ら太陽党にすり寄り、挙句に橋下氏の強硬な反対で合流を拒否されてしまった。結果は単なる地域政党に終わる可能性が高いが、深読みするなら、大村氏の思惑、即ち維新との合流を打ち砕くために河村さんが打ち出した戦略なのかもしれない。いずれにしても政局だけで合流しても、所詮は野合にすぎないのだ。
先日も言った通り、さわやかに孤立するほうが意見の合わない政党に入るよりましじゃないの。私は太陽党に断られたことは良いことだと思っている。良いじゃないか、名古屋だけで。
要は、表裏合わせると莫大な額に及ぶ復興財源を補正予算で自民党と民主党、さらには公明とが談合し、お互いに十分満足できる内容に落ち着いたから、まあこのあたりが限界と野田氏は決断したということのようだ。もっとも、田中真紀子さんが文科省の方針に逆らい、新大学の認可を渋ったため民主党は大いに困ったのだが・・・。
なにせ、日教組に金を配分するには文科省を怒らしたくないからね・・・。どこまで行っても日本は官僚が支配しているんだ。真紀子さんが10人ぐらいいれば日本の政治は変わるだろうね・・・。
奇兵隊さんのコメントで答えたように、安倍氏は田布施出身であり、田布施は九州にもあるが、いわゆる朝鮮である。別に私は朝鮮だからどうだというわけではないが、九州の田布施出身なのがあの有名な小泉である。田布施には何かがあるのである。
明治維新に大きな力を発揮したのはあの松下村塾である。そしてその創始者はWIKIによれば「松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいる。」とあり、その塾は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出した。
この玉木氏は室町時代に大きな勢力を持っていた大内氏の末裔だとの情報があった。つまり、日本で一番最初にイエズス会の教会を作ることを許可した大内氏は歴史上では断絶したように書かれているが、広く種をまき散らした結果、現代までその血脈は生き続けているのである。冷泉氏などの貴族とも血縁を結んでおり、その広がりは私たちには想像もできない。
問題は、大内氏が百済王の末裔だと主張していることで、当時から半島とのネットワークは出来ており、明との交易を独占できたのも一種独特の人脈があったものと想像するのである。
また、これは聞いた話で私には裏がとれないが、鉄砲の日本への伝来は種子島からと歴史は語るのだが、実は大内氏はそれより以前から鉄砲を手に入れ、大陸との交易で売買していたのだと言う。つまり、山口は当時からコスモポリタンだったわけだ。
要は、私の言うABCDE理論のD勢力の拠点が戦国時代にすでに日本に出来ていたということ。
ついでに言うと、IMFや国連のトップに韓国人が任じられているが、韓国の国際的な地位からしてちょっと不思議ではないか?どうも、韓国にはそれらの国際機関を動かす一派がいるようなのである。
まあそんなことより、明治維新で大内氏の末裔が政治の表に出て、その中で田布施の人脈は操り人形として機能したのだろう。その田布施の安倍さんと、松下政経塾の野田さんの関係はどうなるのか?
つまり、松下さんが世界の家電メーカーにのし上がるにあたり、田布施の歴代首相にお世話になり、そのお礼も含め政経塾を創設し、現代の松下村塾を作ったと考えるべきである。つまり、野田氏は安倍氏を首相にするために一肌脱いだということだろう。
さあ、私が一番気にかかるのが河村たかしである。意外にも自ら太陽党にすり寄り、挙句に橋下氏の強硬な反対で合流を拒否されてしまった。結果は単なる地域政党に終わる可能性が高いが、深読みするなら、大村氏の思惑、即ち維新との合流を打ち砕くために河村さんが打ち出した戦略なのかもしれない。いずれにしても政局だけで合流しても、所詮は野合にすぎないのだ。
先日も言った通り、さわやかに孤立するほうが意見の合わない政党に入るよりましじゃないの。私は太陽党に断られたことは良いことだと思っている。良いじゃないか、名古屋だけで。