大変疲れて帰ってきました。何よりも道路の混雑が半端なかったことと、ついでに寄った太郎坊の階段が思いのほか体に応えたということかな。
まず、最初に業務連絡です。
S氏から教育シュミレーションに関し、とても大きい提示がありました。それは「中学三年までに高校卒業のレベル、つまり大学検定が受かるレベルまでに達する特別な教育プログラムを用意する」という話です。方法は具体的にはまだお聞きしていませんが、S氏から過去にお聞きしている松果体を量子レベルで励起させるような画期的なプログラムではないかと想像します。この方法を使うと現在の教育システムがいかに人間を家畜化させようとしていることが分かってしまうでしょう。
つまり、今回のメソポタ・ヴァレーのターゲットが小学生や中学生の子供を持つ親御さんも含まれることになります。あるいは、期間限定の合宿みたいな企画も考えるべきかも・・・ですね。
さて、黄檗山萬福寺に行ってきた話を少ししておきます。萬福寺は驚くほどスケールのでかい寺院です。詳しくはネットで見ることができるので省きますが、わざわざ見てきたのが卍崩しでしたね。写真で見ていただくのは多くの建物の中のひとつ、開山堂です。
チャンと卍の文様が出てますよね。つぎの写真は一番奥にある建物、法堂の写真です。
これが卍崩しです。ほとんどの人は気づかれないでしょう。でも、やはり変ですね。
1654年、福建省から渡来した隠元禅師は単に臨済宗の坊さんだったのですが、1661年に創建された萬福寺は独立した禅宗の一派、黄檗宗になったわけです。それだけにいかに重要な役目があったかが想像できるわけです。
それが卍崩し、禅宗の仮面をかぶったユダヤ原理主義とキリスト教の集会所になったのです。要は、当時キリシタン禁止令が出ていた時代だったのでこのようにこっそり日本に潜んだということです。もちろん幕府は知る由もなく〇〇宮の差し金で冷泉家が動いたというのが真相だったのです。まあ、一般の方が考えるよりもはるかに力を持つ萬福寺ですが、表から見える姿は落ち着いたたたずまいを見せる普茶で有名な禅寺です。普茶は贅沢なので食べませんでしたが、健康にはよさそうなものですね。
さて、次に訪れたのは三井寺(園城寺)です。ここも立派なお寺です。特に何ということはないのですが、今後大化の改新や壬申の乱を研究するときにきっと役に立つと考えたのです。まあ、たいそう立派なお寺です、広大な敷地は固定資産税がかからないんだから宗教はいいよな‥‥。
太郎坊というちょっと変わったお寺にもゆきましたが、まあ階段を上った以外は特にいうことはありません。まあ、それが面白いのですがね。
で、最後に寄ったのは長浜です。とんでもなく人が出ていました。ほとんどの飲食店は行列ができていて商店街の周りは駐車場を求める車で大渋滞を引き起こしていました。今回の連休はコロナ疲れの反動もあるでしょうが、この長浜は若い人の努力とそして古い町並みが奇跡的に残った結果ともいえます。いくつかの新しい店舗は独創的で刺激的でした。今後メソポタミア・ヴァレーの店舗を整えるに当たり相当に参考になると考えました。
今回は太郎坊の階段で疲れてしまいゆっくり調査できませんでしたが、もう一度長浜の商店街を子細に検討する価値はあるような気がしました。
まず、最初に業務連絡です。
S氏から教育シュミレーションに関し、とても大きい提示がありました。それは「中学三年までに高校卒業のレベル、つまり大学検定が受かるレベルまでに達する特別な教育プログラムを用意する」という話です。方法は具体的にはまだお聞きしていませんが、S氏から過去にお聞きしている松果体を量子レベルで励起させるような画期的なプログラムではないかと想像します。この方法を使うと現在の教育システムがいかに人間を家畜化させようとしていることが分かってしまうでしょう。
つまり、今回のメソポタ・ヴァレーのターゲットが小学生や中学生の子供を持つ親御さんも含まれることになります。あるいは、期間限定の合宿みたいな企画も考えるべきかも・・・ですね。
さて、黄檗山萬福寺に行ってきた話を少ししておきます。萬福寺は驚くほどスケールのでかい寺院です。詳しくはネットで見ることができるので省きますが、わざわざ見てきたのが卍崩しでしたね。写真で見ていただくのは多くの建物の中のひとつ、開山堂です。
チャンと卍の文様が出てますよね。つぎの写真は一番奥にある建物、法堂の写真です。
これが卍崩しです。ほとんどの人は気づかれないでしょう。でも、やはり変ですね。
1654年、福建省から渡来した隠元禅師は単に臨済宗の坊さんだったのですが、1661年に創建された萬福寺は独立した禅宗の一派、黄檗宗になったわけです。それだけにいかに重要な役目があったかが想像できるわけです。
それが卍崩し、禅宗の仮面をかぶったユダヤ原理主義とキリスト教の集会所になったのです。要は、当時キリシタン禁止令が出ていた時代だったのでこのようにこっそり日本に潜んだということです。もちろん幕府は知る由もなく〇〇宮の差し金で冷泉家が動いたというのが真相だったのです。まあ、一般の方が考えるよりもはるかに力を持つ萬福寺ですが、表から見える姿は落ち着いたたたずまいを見せる普茶で有名な禅寺です。普茶は贅沢なので食べませんでしたが、健康にはよさそうなものですね。
さて、次に訪れたのは三井寺(園城寺)です。ここも立派なお寺です。特に何ということはないのですが、今後大化の改新や壬申の乱を研究するときにきっと役に立つと考えたのです。まあ、たいそう立派なお寺です、広大な敷地は固定資産税がかからないんだから宗教はいいよな‥‥。
太郎坊というちょっと変わったお寺にもゆきましたが、まあ階段を上った以外は特にいうことはありません。まあ、それが面白いのですがね。
で、最後に寄ったのは長浜です。とんでもなく人が出ていました。ほとんどの飲食店は行列ができていて商店街の周りは駐車場を求める車で大渋滞を引き起こしていました。今回の連休はコロナ疲れの反動もあるでしょうが、この長浜は若い人の努力とそして古い町並みが奇跡的に残った結果ともいえます。いくつかの新しい店舗は独創的で刺激的でした。今後メソポタミア・ヴァレーの店舗を整えるに当たり相当に参考になると考えました。
今回は太郎坊の階段で疲れてしまいゆっくり調査できませんでしたが、もう一度長浜の商店街を子細に検討する価値はあるような気がしました。