今日のニュースを見て恐れていたことが始まりつつあることに気づいたのは私だけではあるまい。
まずはニュースから。
「提供の臓器摘出、各地に搬送へ 移植終了は20日午前
書面による臓器提供の意思表示がなく、家族の承諾で脳死と判定された男性からの臓器摘出手術が19日午後、男性が入院していた近畿地方の病院で行われた。
摘出された臓器は各地の移植施設に順次搬送。心臓は東京大病院で40代の男性、両方の肺は大阪大病院で20代の男性、肝臓は京都大病院で40代の男性、片方の腎臓は神戸大病院で60代の男性、もう片方と膵臓は名古屋第二赤十字病院で30代の女性に、それぞれ移植される予定。
日本臓器移植ネットワークによると、各施設での移植手術は臓器が到着し次第開始され、すべて終了するのは20日午前になるとみられる。
今月9日に、臓器移植法の改正後初めて家族の承諾のみで脳死と判定された関東地方の男性は事前に家族に口頭で提供意思を伝えていたのに対し、今回の男性は、本人の意思が完全に不明で脳死判定と臓器摘出が行われる初めてのケース。」(引用以上)
このニュースでは家族の希望で、脳死した?男性の年齢、死因、病院等の情報は公表されていない。誰も何もわからない。臓器移植ネットワークの人たちが記者会見しなければ、まったくその事実さえ知ることはない。
これが党議拘束なしで採決された新しい臓器移植法案の真髄だったのである。みんな法案の中身を知っていて賛成したのだろうか。
これを認めると、あとは歯止めはかけようがない。現在はいちいち記者会見が行われるが、徐々に新聞にも載らなくなり、平然と当たり前にすべてが秘密のうちに移植が行われるようになるのではないか。
本人の意思が確認できなくとも、極端な話し、金で家族が買収されることも十分にありえるだろう。最低でも何らかの第三者が、脳死の判定が妥当だったかどうか、そして家族が本当に同意したのかの確認が必要なのではないのか。
日本の医療は越してはいけない川を越えてしまったような気がする。
私は人間の実体は脳ではなく腸にあると考えている。脳死が人間の死であるという定義は単に医師の方便で、脳死と判定された人も実は腹を立てているかもしれない。痛いよ、痛いよと悲鳴を上げながら、はらわたが煮えくり返っていても表現できないだけかもしれないではないか。もし、私の考えが正しければ、移植手術は立派な殺人である。医師たちは合法的に殺人を行っていることになる。私は脳死を以って死と判定することには反対する。心臓が停止したのを以って人間が死んだものと認めるものである。
本人が同意したなら他人がとやかく言う必要はないかもしれないが、人間には安らかに死ぬ権利があるのではないだろうか。家族にそれを妨げる権利があるとは思えない。
まずはニュースから。
「提供の臓器摘出、各地に搬送へ 移植終了は20日午前
書面による臓器提供の意思表示がなく、家族の承諾で脳死と判定された男性からの臓器摘出手術が19日午後、男性が入院していた近畿地方の病院で行われた。
摘出された臓器は各地の移植施設に順次搬送。心臓は東京大病院で40代の男性、両方の肺は大阪大病院で20代の男性、肝臓は京都大病院で40代の男性、片方の腎臓は神戸大病院で60代の男性、もう片方と膵臓は名古屋第二赤十字病院で30代の女性に、それぞれ移植される予定。
日本臓器移植ネットワークによると、各施設での移植手術は臓器が到着し次第開始され、すべて終了するのは20日午前になるとみられる。
今月9日に、臓器移植法の改正後初めて家族の承諾のみで脳死と判定された関東地方の男性は事前に家族に口頭で提供意思を伝えていたのに対し、今回の男性は、本人の意思が完全に不明で脳死判定と臓器摘出が行われる初めてのケース。」(引用以上)
このニュースでは家族の希望で、脳死した?男性の年齢、死因、病院等の情報は公表されていない。誰も何もわからない。臓器移植ネットワークの人たちが記者会見しなければ、まったくその事実さえ知ることはない。
これが党議拘束なしで採決された新しい臓器移植法案の真髄だったのである。みんな法案の中身を知っていて賛成したのだろうか。
これを認めると、あとは歯止めはかけようがない。現在はいちいち記者会見が行われるが、徐々に新聞にも載らなくなり、平然と当たり前にすべてが秘密のうちに移植が行われるようになるのではないか。
本人の意思が確認できなくとも、極端な話し、金で家族が買収されることも十分にありえるだろう。最低でも何らかの第三者が、脳死の判定が妥当だったかどうか、そして家族が本当に同意したのかの確認が必要なのではないのか。
日本の医療は越してはいけない川を越えてしまったような気がする。
私は人間の実体は脳ではなく腸にあると考えている。脳死が人間の死であるという定義は単に医師の方便で、脳死と判定された人も実は腹を立てているかもしれない。痛いよ、痛いよと悲鳴を上げながら、はらわたが煮えくり返っていても表現できないだけかもしれないではないか。もし、私の考えが正しければ、移植手術は立派な殺人である。医師たちは合法的に殺人を行っていることになる。私は脳死を以って死と判定することには反対する。心臓が停止したのを以って人間が死んだものと認めるものである。
本人が同意したなら他人がとやかく言う必要はないかもしれないが、人間には安らかに死ぬ権利があるのではないだろうか。家族にそれを妨げる権利があるとは思えない。
ヨガはまったく知りませんが、日本人にもすごい人がいるんですね。驚きました。
まずは日韓、日朝、そしてモンゴルまで行けば後はトルコが頑張るでしょう。
脳死を人の死とは思えません!
それから、9月にヨグマタ、相川圭子さんの講演会に行こうと思っていますが…
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/10780.aspx
彼女のような特殊な例も有りますよ♪
参考♪
『ヨグマタ相川圭子|人名事典』
http://www.php.co.jp/fun/people/person.php?name=%A5%E8%A5%B0%A5%DE%A5%BF+%C1%EA%C0%EE%B7%BD%BB%D2
瞑想・ヨガ修行の究極であるサマディに到達したシッダーマスター。
35年以上にわたり、瞑想・ヨガの第一人者として活躍。
人間の本質、生き方を探究し、 1985年、伝説の大聖者ハリババジに邂逅。
高度4000~6000メートルのヒマラヤで生命をかけた幾多の厳しい修行を経、心と体を超え、呼吸・心臓を含めた すべての生命活動を止め、死を超え、神の領域の存在となる究極のサマディに到達。
1991年から2007年まで18回、インド各地で世界平和のための公開サマディを行い、救急車寄贈等のチャリティ活動を通し社会に貢献。
公開サマディを成した史上初唯一の女性であり外国人でもある偉業にインド中の尊敬が集まり、2007年にはインド最大の霊性修行の協会である「ジュナ・アカラ」より、最高指導者の称号「マハ・マンドレシュワリ」(偉大なる宇宙の
ヘソの下にある丹田が元気の源なので そこに暖かい気を送ると良いと言っていました
誰かの役に立つとは思っても
意識の無い間に当人の了承なく
切り刻まれるのはゾッとしないですね
なぁあんてね(笑)誇大妄想です。許してちょんまげ。
私は今回の代表選は茶番劇と見ます。どうなるか、結構面白そう。
残酷な話です。
あーあやっちゃった。
これで軒並み脳死患者の内臓が切り裂きジャックのごとく抜かれてしまいますよ。
手術を行う医師はもし自分が脳死状態になったらその内臓を他の人に捧げる事ができるのでしょうか?
移植で仮に命が助かったとしても、一生病院とお付き合いしなければならないでしょうね。つまり、錬金術そのものですよ。
確かに救える命といわれれば救いたいのが人情です。しかし、私はもっとオープンにしていただきたいと思う。自分の臓器がどこそこの誰それのお役に立てるなら譲ってもいいと思うかもしれない。
大金持ちのじじいの為に誰が臓器なんか提供するものか。
殺人部隊ですよ、私は人殺しだと思いますよ。
脳死の判定が下るや身体を切りきざむなんて、私の家族には絶対にさせたくないな。
移植の順番も不透明、全部不透明。やはり最後は金だろうね。
mayoさんは千島学説支持者でいらっしゃいましたか。
西洋医学と司法、このゲルマン民族の支配ツールには、できることなら私も一生お世話になりたくありません。
議論も尽くされないまま、今回のような「やったもん勝ち」で人をモノ化する事例が作られていくのはほんとうに恐ろしいですね。ワクチン接種への性急な動きも異様です。
疑問なのは、臓器移植を受ける側の気持ちで、これまでも臓器ブローカーの悪質な噂はさまざまに伝わっているのに、どうして他人の体をパーツとして買うなどということができるのか? そのパーツがどこからどのように流通してくるのか? 考えたことがあるのだろうかということでした。
自分自身の死が目前にあるとそんなことは考えられなくなるものなのでしょうか?
私の保険証の意思表示欄はもちろん「臓器提供しない」にマルをつけてありますが、こんなんでちゃんとこちらの意志を尊重してもらえるのか、いささか心許ない気分になります。
生殺与奪の権という言葉がありますが、現代医療が完全に権力者の道具に落ちたことを痛感します。病院に行くぐらいならのたれ死んだ方がマシでは?
ニュースの、解体された臓器の入っているであろうクーラーバッグを運ぶ医療関係者の姿を見て、思わず「殺人部隊」という言葉が浮かんでしまいました。