マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

後書きです

2010年04月29日 06時13分04秒 | 小説
「マヨ博士の伝奇考」というのを一週間かけて書いてみました。いかがでしたでしょうか。
今までになく長編?だったのでやや疲れました。今はあまり物事を考えたくないですね。(といいながらもシバちゃんの方で超短編小説を書いたけど・・・・)その点でも本職の作家たちはすごいなと思います。もちろん十分な時間を掛け、綿密にストーリを組み、資料を山ほど用意して・・・・仕事とはいえ、緻密な人たちなんだろうね。そして頭の中の容量も十分あるんだろう。
私の場合はそんな緻密さのかけらもなく、ひたすらいろいろな事象を書き連ねていくだけだから、途中で脱線したり、結論がわからなくなりかけたりと、誠に不細工な話であります。いいんです自覚しています。別にこれで飯を食うつもりもないし、ただ、私の考えをわかってもらうための手段に過ぎないのだから。
今回の小説はいくつかの妄想と、いくつかの真実とを組み合わせ、小説だからこそ許されるところをフルに利用させていただきました。

この小説の最初に宗像教授のパクリであると断ったけれど、あの本もやはりいくつかの真実と著者の妄想を組み合わせている。そういう意味で今回の小説は書いていて今までになく新鮮で実に楽しかった。読者の方が面白かったかはわかりませんが・・・・。
いろいろな無関係と思われる出来事をできる限り関連させることは歴史を学ぶ上で絶対に必要な作業であると思います。こじ付けといわれようが、偶然に起きる事はめったにないのだから、何かが起きたとき、当然何らかの目的なり、帰結があるはずで、それらを関連付けてはじめて世の中の深層を理解できるようになるのではないだろうか。間違う事を恐れてはならない、真実といわれる事のほとんどはウソなのだから。みんなが知っている事はほとんどが間違っているのだ。
今回の小説も笑って読んでいただければ幸いであるし、そして書かれていることが真実でないことを願うばかりであります。

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