マヨの本音

日本の古代史から現代まで、歴史を学びながら現代を読み解く。起こった出来事は偶然なのか、それとも仕組まれたものなのか?

世界の歴史はシンプルなもの

2011年01月09日 08時21分30秒 | 古代史
飯山さんのHPは毎日必見である。昨日は「中国は日本の天皇に頭が上がらない」というような記事があった。そんなことマヨちゃんファンなら耳にタコである。
いきなり奈良時代へ戻らなくてはいかないが、平城京は不思議なことに当時すでに滅びていた北魏の首都の名称である。そしてその聖武天皇のところへ渤海から使者が来た。そしてその親書には「渤海の王と日本の天皇とは親子関係ではないですか、お互い仲良くしましょう。」と書かれていた。
一般的には渤海は高句麗の後継国とされるが、実際は北魏の亡命政権だった可能性が高いのである。
そしてその北魏は鮮卑拓跋族が支配した国で、隋も唐も言ってみれば鮮卑族が作り上げた国なのだ。中国はいくつもの国名に変化しているが、いわゆる漢族が支配した期間はそれほど多くはなく、歴史的に言うならほとんどが満州・匈奴系の遊牧民が支配してきたのだ。そして今でも北京政府の幹部、そして官僚達はほとんどが満州族に占められている事を忘れてはいけない。(満州族は優秀でしかも学習意欲が高く、官僚の大半は満州族なのだそうである。)

さて、北魏の王家、拓跋族は自ら「元」という姓を名乗った。「元」は「源」でもある。ここに義経がチンギスカーンとして皇帝に即位できた根拠がある。もちろん、モンゴル帝国が「元」であることは言うまでもない。
奈良時代から平安時代に源氏と天皇家は血縁を結び、その結果として清和源氏以下多くの源氏が誕生した。源氏の女性を皇室に送り込み、いわゆる貴重な「お種」をいただいたのである。つまり、源氏は天皇の血縁でありジンギスカーンが義経であるならモンゴル帝国は日本の天皇が宗家になるのである。さらに時代がすすみ、清朝の始祖、ヌルハチもジンギスカーンの末裔を自称した。その真偽はともかくとして、中国全土を支配するにはジンギスカーンの末裔であるということが絶対的な条件なのであり、満州はその出身地である。その満州に日本軍がこだわったのは歴史的に見ればまさに当たり前である。

京都皇統である堀川辰吉郎がなぜ紫禁城で暮らしていたのかの理由がまさにそこにある。英国を中心とする欧米各国のワールドゲームに対抗するため、京都皇統はツラン同盟に呼びかけ、アジアのど真ん中に反ワン・ワールドラインを築こうとしたのである。ただし、その試みは江戸皇統により無に喫した。それ以後、京都皇統は閉じ込められた神として身を潜めたと考える。

日本の皇統はいくつかの部族の習合で成り立っており、それ自体は犯すべからずの貴重な文化遺産に違いない。しかし、何度も述べているように権力は各部族に分割支配されており、やはり軍事・警察・司法を握る部族が圧倒しているようである。中国は確かに共産国家だが、それはあくまで建前で、実質は北京と上海で満州人対漢族の対立関係にある。

説明したように、日本も韓半島も、そして中国もすべて満州族の支配層とそれらに対抗する反満州というべきワン・ワールド族との二元支配になっている。私はそれらの満州族をツラン同盟と呼び、多神教同盟と位置づけている。対するワン・ワールドを一神教とするが、その根源をたどると、なんとエジプトのツタンカーメン時代まで遡ってしまったのだ。
世界の対立をキリスト対イスラムの図式で考えては何もわからない。キリストとユダヤ、あるいはイスラムの元はすべてアクエンアテン一神教から始まるのであり、ツランもまったく同じ時代にその対立軸として発生しているのだ。
菅さんと小沢さんの対立が政治と金の問題なんて小さな問題と考えてはいけない。エジプト時代から延々と続いている世界を二分する対立のひとつの現れに過ぎないのである。

年賀状に「マヨさんの歴史の話は難しい」と書いて来た人がいたが、そんなに難しく考えなくてもエジプト時代に始まり一神教の迫害を逃れた部族が匈奴やフン族、あるいは突厥、などに化け、最後に日本に到達したと考えればそれほど難しくはないと思うのだが・・・・。難しいかな?

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11 コメント

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歴史初心者 (chaico)
2011-01-09 13:52:01
今まで、歴史、古代史の知識が余りなかった私は、寧ろ分かり易いと感じています。
先入観がないからかしら?
しかも分からないなりに、大雑把にそーゆーことなんだな!!!?と納得してます(^^;

今年も、宜しくお願い致しますm(_ _)m
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チャコさんへ (mayo)
2011-01-09 14:35:28
そうでしょ、私の歴史は世界一分かりやすいとおもいますよ、細かいことは無視して、3000年を数行で説明できるのですから・・・。
まあ、大雑把な方が森が見えるのですよ。
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こんにちは! (yoshiko)
2011-01-09 17:06:24
私の古代史の興味は10数年前に読んだグラハム・ハンコックの「神々の指紋」とシッチン博士の「ニビル」から始まるのですが、「神々の指紋」に出て来る「文明を教えて東に帰って行った神」が何者か?今又「神々の指紋」を読み返しているところです。
日本人のルーツはシュメールからと言う人達も居ますが・・・
父の実家は祖父の代まで毛利軍と戦って敗れた「野田の大将」の祠を守っていた神官だったそうで、家紋は「橘」です、マヨ博士これでルーツが解かりますか?
小沢さんが今の政権に残っている訳を、小沢さんの講演と共に下記のブログで説明して有りますが、少しは希望がも持てるのでしょうか?
何としてでも小沢さんには踏ん張ってもらいたいです。
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Unknown (yoshiko)
2011-01-09 17:08:45
貼り付け忘れてました 此方です。

http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/21743997.html
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yoshikoさんへ (mayo)
2011-01-09 18:27:13
橘の紋はアクエンアテンそのものということです。つまり、十字架です。日本に上陸した一神教徒と考えます。彼等は日本中に散り隠れキリシタンになったのでしょう。ちょっと飛躍したかな・・・・・?
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カルタゴ (アールデコ)
2011-01-10 08:22:09
マヨさんこんにちは・・・チュニジアに行ってきました。フェニキア人http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2が作った植民地カルタゴ、サハラ砂漠もらくだで三十分ほど散歩して日没を見に。チュニジアは地中海北アフリカに位置する、左にアルジェリア右にはリビアというイスラム観光国家です。カルタゴは首都チュニス市のすぐ近くの海岸にありヴェネチアが地中海の主導権をとるまで東西貿易はここの港が主でした*紀元前800年西暦150年ほどまでの約1000年。サハラ砂漠はチュニス市から700kmほど内陸になります。

カルタゴ博物館入り口に「だんご屋」のような旗が6本ほど立っておりそこにフェニキア文字が大きく書いてありました。驚いた事に5つ読めました。
「月」両側たて2本がつきでているというか、はみでてはいるけれど。
「羽」まったく同じ。
「力」ャのようにもみえる、刀と鞘の組み合わせのよう。
「江」ただし左側はくずしで縦一。
「ヰ」まったく同じ。
ガイドさんに教えてあげたら「今までそんな事は聴いたことがない。もっと詳しく説明してちょうだい」といわれました。「月」は地元のテレヴィ局のトレードマークです。
スペイン語のガイドだったのでよ~く耳をすましてやっと半分理解・・・英語のガイド本を読んでいたので助かりました。地元はアラビア語とフランス語です。

そうそう仏像で毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という大仏があり「奈良東大寺大仏とか鎌倉大仏」ビルシャナというのは梵語vairocanaの音読みだと言われていますがカルタゴでビルシャという地名はいわれのある名で・・・テイールの姫「エリッサ」が部族を引き連れカルタゴにやってきて 現地人からカルタゴの土地を分けてもらうのに 巧みに動物の皮で周りの土地を覆い 土地を少なく見せかけ「ほんの少々土地を分けてください」と持ち掛け不当に取得した土地なので ビルシャ「BYRSA=HIDE=皮・隠す」という名がついた。ビルシャ・・・あんがいあたっていたりして・・・
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Unknown (ましゅまろ)
2011-01-10 11:06:03
mayoさん、おはようございます。
先日浅田次郎の中原の虹を読み、満州が俄然気になり始めました(笑)
昔々は世界の距離感が近かったのかな~?とか思ったり。

私も大雑把が好き(助かる)です(^^;
これからも楽しみに読ませて頂きますので、どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m
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デコさんへ (mayo)
2011-01-10 16:53:26
いやいや、チェニジアってどこ?って話ですよね。うらやましいな。
まさに世界史のスタート地点みたいなところですね。今度ゆっくり土産話をお聞きします。
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ましゅうさんへ (mayo)
2011-01-10 17:25:57
戦争中、日本人は本当に満州の奥の奥まで入って行ったようです。
いずれにしても古代からその地と列島との関わり合いは意図的に隠されてきたと思います。歴史は勝者の記録ですから閉じ込められた神が勝てば歴史書が書き換えられるかも・・・。
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度々すみません (yoshiko)
2011-01-12 00:12:40
「橘」の話有り難う御座います
で、色々と調べていたのですが・・・
日蓮上人と井伊直弼、は同族で家紋が「橘」八幡も「橘」の様ですね。
八幡大菩薩と言えば、日蓮が「竜の口の法難」で「何故助けぬ」と叱責しますが、何だか意味深です。
日蓮と言えば、「創価学会」の創立者
牧口常三郎。
大本教の出口王仁三郎とは異母兄弟サンカの「アヤタチ」の子ではないかと言われていますよね
出口王仁三郎で満州ですね、日蓮も「蒙古来襲」を知らされていた?とサンカ説も有ります。
又、源氏は「法華経」ですね
私の近くに「源氏」の里が有ります、やはり「法華経発祥の地」と書いて有るお寺が有ります。古墳も有り、連山はピラミッド説も有ります。
で、「橘」が一神教なら反満州と成りますね・・・ウーン難しい・・・
アクエンアテンは確かにイスラエルで、イスラエルの一部族「祭司」の家紋が「橘」のようです。
上手く纏まって来たと思ったら、満州が多神教で・・・?です(涙)
父母は満州の奥地シベリアの国境近くに居たのですが、ある日果てしなく広がる草原を馬車で走っていたら遠くに馬の群れが・・・
「卑属」ならば母を殺して戦うと日本刀を握り閉めていたと子供の頃母から良く聞かされました。幸い「馬賊」だったようで、まるで映画のシーンの様だと子供心に満州と言う地に思いを馳せておりました。では又寄らせて下さい




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yoshikoさんへ (mayo)
2011-01-12 16:52:50
だいぶん深いところに行っていますね。
私は日蓮は皇室奉公衆だったのではないかと想像します。
アヤタチについてはもうひとつ確証は得られませんが、安氏というソグド人が唐で活躍していますが、この安氏が日本へ来て住んだのが安宿、つまり飛鳥だと考えています。安宿姫というのは聖武天皇の王妃、光明皇后です。その一族がアヤタチになったのではないかというのが私の推理です。キリがないですね・・・・、この辺にしましょうか。
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