Pandakingなgooブログ

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駄目なもの・汚いもの・間に合わないものを知っておくことの価値

2023-05-06 08:04:25 | 日記
駄目なもの・汚いもの・間に合わないものなる存在をなるべく目のつかないようにしとくのがいいことだみたいな、凝り固まったフレーズで考えなしに口にデキる人というのが世の中に案外多くいる。

方便です。
有り体に言えば、嘘です。

わかってますよね?便宜上の都合の良さで「今の正しさ」はふんわりあるだけであって、ある日突然真反対に振り直す振り子みたいに、常識や正しさのほうがガラッと豹変することが、割と頻繁にあることを。

駄目なもの・汚いもの・間に合わないものを知っとかないとですね、普段それらを動機に動いてるひとや、隠すことに人生かけてるような面構えのひとの行動の底が理解できなくなっちゃいます。

人は正しいもので生きてるわけじゃないです。そこはあんまり生きてることに意味がなされません。互いの不快や利便の都合から、今のところはそれで良しとしときませんか?というあくまでも便宜上の妥協の産物なのであって、確固ではない。
そもそもふんわりしてないと、利便のほうが変わるから、そこへの柔軟が損なわれやすいととたんに不自由さや不快に巻かれてしまうから、運用上の工面込で「口約束程度」でなかったことにもしやすいウヤムヤを良しとするわけです。

駄目なもの・汚いもの・間に合わないものらを隠す人を詰(なじ)ってはいけません。
状況如何次第で、そっちの側にすぐ私達はなります。そして彼らの動機の持ち方を、知っとくことで、「言わないで済まそうとした」お澄まし顔の向こうの本性を、動機で見抜き、対処が用意になります。

言ってることで態度を変えるのではなく、言ってないことの方に勘付いて手を打つことで、事態は収束できます。隠してる方のものを掴(つか)んどくのが肝です。

振り返ってくれなさ

2023-05-06 07:47:33 | 日記
昔見た大人は、子供や若者を振り返ってくれなさがもっと際立ってました。

言い分も聞いてくれなかったし、理解も示してくれないこともザラで、むしろそれは社会のスタンダードな姿勢だった。もっとたくさんの「知ったことか」な態度も巷にナチュラルにあふれていました。

それがいつしか、妙に理解ある大人たちみたいなのが増えてきた。
印象としては団塊の世代の人らが「大人の側」に加わったあたりから、ぬるくなってきた。

子供らは空気を読むから、権威を振りかざさない大人に当たり散らすようになったし、何なら蹂躙しかかりに乗りかかっていく狡猾な小賢しい子供層も生み出した。

今はそうした世相すらも過ぎ去って、訪れた景色は「黙ってうなだれている」子供、という景色になった。

大人がどこかで理解ある大人像を目指すようになった。
実際は理解はしてない。むしろ「自分たちだって言いたいことは言えないできた」人らの憤りを、多分彼ら世代なりに「同じ鉄は踏むまい」のいわずもがなで、一斉の連帯を示したのが「実は理解してないけど、理解してるふうで子供に接し続けとく大人像」という、からっけつさだった。

子供はビビッドに理解した。
「大人は子供にい優しくあろうとする空虚がある」という本当の方に勘付いた。
優しくしてくれてるので文句はつけまいよ。けれど、真の人間味からは遠ざかってしまった。

お子さんらもですね、歯向かえ、てんじゃなしにですね、こういう駄目な大人を見限りにかかるのもありだなってもはや思うんです。実際、それは今、社会現象のうちに発露しだしてる。

大人の側がそうした表っ面に出始めた「現象」だけを揶揄しだして、悪い子供だ、駄目な子供だと一席ぶりたがりやがりますけれど、とんだ筋違いを思い込んでるのは大人の側ですよ。
子供は「今の正直」に戻ろうとしてるだけであって、歪(ひずみ)をみせてくれてるうちに、大人の側が焦るべきなのを、子どもたちは情けないなどと平気の平左で揶揄する側に鎮座おわします、って寸法ですもん。

呆(あき)れちゃうよね。

だからさ、今一度「たくさんの【知ったことか】な態度も巷にナチュラルにあふれてる世相」に戻るのもいいかなって思うんだ。
で、子供らに「お前らしくじってきたよな」って正当に評価させるほうが、互いにフェアってもんかも知んないわ。

「間に合わない」はなくなってきた僕ら

2023-05-06 07:30:24 | 日記
思い起こせば、幼少時に間に合わないことがいくらもあって、足りない、できないはもっと頻繁に、おしなべてみんなに心当たりのあるものだった気がします。

いつのまにか間に合うようになってきて、ああよかったみたいになってたつもりが、いつの間にか足らない、間に合わないがまた増えてきました。

それでいいのかもしんない。

足りてなさは、満たされ切るものなんかじゃないし、足りなさを見つけ出してきては足そう、あがこうを標榜しだして商機にされちゃうくらいなら、もういっそ、足りないっていういさ費良さの方に身を寄せときません?

足りなさは、どこまでも「他の足りなさ」を探し出せちゃう。

足りてるものを見ないですましておきながら、足りてなさにフォーカスした生き方と、周囲のそこへのつけこみに、私達は慣れすぎてしまってる。

常に足りてなさにやられる。

もうくたびれちゃった。
足りてないもあるでしょうよ。
それでもいいじゃないですか、って教えるひとはあまりにいませんよね?

落語の横丁のご隠居みたいな諭し方で、今のヨシ(良し・由・吉・好)をを腑に落としにかかるご年配は絶滅しちゃいましたかね?

どこまでも欲しがりでいきますか?
そんなの続くわけがないじゃないですか。

蔓延させてきたのは「どうせ無駄だから」じゃない?

2023-05-06 07:20:04 | 日記
大人の無気力が著しくなった。
明らかに私達の幼少時より、大人が大人らしくなくなっちゃった。

随分後退した感じがするし、助けられる素地が減った感じがする。
がむしゃらでなくなったおかげかも知れない。
失ったものもあったんだとも思う。


元気がなくなっちゃったことは、誰かのせいにはできない。
世相の空気は醸成される。誰か彼かの意思ではない。
みんながそう感じたことが、空気感として漂って、肌感覚で今はそうなのだと知る。

それが「どうせ無駄だから」。
四六時中そう言ってるんでもない。
態度にそれが出てるし、隠せてもいない。

どうせ無駄だから、に押し込んだものの結果は肌感覚に四六時中触れる。
そんな中を頑張れだとか、啓蒙だとか、的はずれな掛け声で、真正面から見据えるのを畏れて怯える姿も、また伝わってしまって浸透しきってる。

このままでいくの?
ねえ?

やってきたことのつけ・やってこなかったこともつけ

2023-05-06 06:51:10 | 日記
今がこうなのは、私達が見逃してきたことの結果でしょう。
自分には手の届かないことだから、ですましたことのつけは、今でした。
知らんぷりを決め込んだことのつけが今の状態で、成果も多くありましたが、間に合わないことも、冷たくあしらわれることもいくらか起こりました。

そしてこのまま後送りするので、後続の世代は私達の残したつけの支払いを強いられました。
生まれてきただけで、もうそこには積み上がったつけがたんまりあって、うんざりした顔つきと、なんでこんなの背負わされるわけ?の当惑の顔には、希望や溌剌を感じられないでしょう?

いやなんですよ。
いやんなってるんです。

辟易としてるし、飽き飽きもしてるんです。

自分たちもそうだったんだよ!
そう叫びたくなる先達たちは、なぜ叫ばなかったんです?
なぜ精算しないものを後続につけで渡すんです?負債ですよ。

間に合わなかったことを詫び、今の好き勝手を許したのは、現役世代です。
声を上げないで澄ました(済ました、でもある)ことは、無関与ではなく、助長を促した側です。

中立ではなく、加担です。
お加勢した以上、自分ら世代でつけを払う勇気もございませんか?
卑怯者と謗(そし)ることもしないで黙ってくれてる後続の世代の寛容を、自分ら世代のいいように解釈してませんか?

私達世代のしくじりを帳尻合わせにいきませんか?
まだ間に合うと言える大人の側でいきませんか?
なかったことにしない側になりませんか。
できること、まだあるんじゃありませんか?