駄目なもの・汚いもの・間に合わないものなる存在をなるべく目のつかないようにしとくのがいいことだみたいな、凝り固まったフレーズで考えなしに口にデキる人というのが世の中に案外多くいる。
方便です。
有り体に言えば、嘘です。
わかってますよね?便宜上の都合の良さで「今の正しさ」はふんわりあるだけであって、ある日突然真反対に振り直す振り子みたいに、常識や正しさのほうがガラッと豹変することが、割と頻繁にあることを。
駄目なもの・汚いもの・間に合わないものを知っとかないとですね、普段それらを動機に動いてるひとや、隠すことに人生かけてるような面構えのひとの行動の底が理解できなくなっちゃいます。
人は正しいもので生きてるわけじゃないです。そこはあんまり生きてることに意味がなされません。互いの不快や利便の都合から、今のところはそれで良しとしときませんか?というあくまでも便宜上の妥協の産物なのであって、確固ではない。
そもそもふんわりしてないと、利便のほうが変わるから、そこへの柔軟が損なわれやすいととたんに不自由さや不快に巻かれてしまうから、運用上の工面込で「口約束程度」でなかったことにもしやすいウヤムヤを良しとするわけです。
駄目なもの・汚いもの・間に合わないものらを隠す人を詰(なじ)ってはいけません。
状況如何次第で、そっちの側にすぐ私達はなります。そして彼らの動機の持ち方を、知っとくことで、「言わないで済まそうとした」お澄まし顔の向こうの本性を、動機で見抜き、対処が用意になります。
言ってることで態度を変えるのではなく、言ってないことの方に勘付いて手を打つことで、事態は収束できます。隠してる方のものを掴(つか)んどくのが肝です。