G.Wの最終日にこれを打ってます。絵本作家の五味太郎先生のドキュメンタリー再放送が昨晩NHK でやってたものだから、録画して言葉をかみしめてるところです。
いやぁ、ひねてますね。跳ね返りまくってます。つまり本気です。子供のために描いてないって
おっしゃってるのがあながち嘘でもスピンでもなく、むしろそうした意図的なありようそのものを嫌う方なので、本当に定義なしでやってみて、面白かったらよしとして、面白くなかったら破棄するということを番組中でおっしゃってるんですが、そうね、なるほどそうかもねって思いました。
作り手は「どうぞ見てやってください」までをするけれど、読み手の子供らは、大人の意図も事情も一切かんがみたりせずに、いいから寄こせ、見せて来いってだけなんで、作品それ自体を見ていいかよくなかったかは、受け手の自由であり裁量であると。
そこについてどう読んでほしいかだとか、面白いのはどこか、読みどころはここなんだよなんてないとの一切合切は余計な詮索であって、まずもって五味太郎先生自身が面白がれなさでシャットダウンしてるっていう構図でした。
いちびりやあまのじゃくを気取るとかでもなく、まず自分がなんか始めてみてるけど、実宇はそれが面白いかどうかは知れないし、わかってなくていい。楽しそうで、自分自身で探っていくありさまで、それゆえに予定調和の様子がない。
事前の構想やテーマなんてもってのほかで、興味が湧くか否かも自身では知れないけど、やってみてるってことはどこかきっと面白いんだろうくらいのスタンスが潔い。
「うまくいく・いかなない」を念頭に据えることで、行き先が曖昧模糊としてる。つか、そもそもの「念頭に据えるかどうか」そのものこそ思索のうちに置こうともしたがってなさげの様子でした。
好きにさせろい。
それだけでやるのであり、まぁ心のどこかにはそれでもまあ何とかみたいな勘はあるでしょうから、他者がまねし得るものではなさげです。
返せば事前に出版社さんなどとかと話し合っておくようなそぶりも手加減も配慮も一切ごめんこうむるという、頑固な放置の要求が先立つだけで、おかげで作風に定型な「作り方」の範を感じさせないことに、うまくいってる。
先生がそれを狙ってるのかどうかも、たぶん狙ってないし、結果そうである・ってことだけを売良しとしてるので、そこの間合い加減を知ってるんの出なければ、たぶん五味先生との仕事は成立にこぎつけれないのではないかとテレビの前で思ってました。
ただまあ、そうした事前のバーターの断固拒否でもなければ、あの持ち味ともいえる奔放は醸せないし、醸そうとして醸すべくしてなどとふれこめば、途端にごみ先生の逆鱗に触れる気がしました。
決めてない、を決めてる、すらも、決めたくはない。
ので、決めてるだとかどうだとかの次元で話を聞きたがったり、名言めいた誘導を期待しにかかってくるような朴念仁には、先生は軽んじて流すと思う。
そこいらへんの定義ですらおっくうなのだ。枷(かせ)なのだ。ニュアンスの話なのである。
私たちクリエーターが社会に出てごく初期に、クライアントの意向をくむことに慣れて、受け狙いしやすいものや、売り文句に当てはまりやすいものをひたすら志向し始めて、それを称してプロと自称するころには。すっかり自在な感性や、オリジナリティとは相容れない、実に退屈で凡庸でよく売れるものばかり、せっせと真面目にコンスタンスに作りおおせるツマンネーなにかになっちゃえるように、向かっていく人を五味先生はきっと「あんたらはあんたらの好きでいたらいい」で済ませられると思う。そのやり口を非難もしないし、勘案もしないし、同情もしない。
俺はできねえな、それ、で済ます。
済ますしかない人なのだとわかるドキュメンタリーだった。
それでいて考えてないかといえばそうではなく、考えた点ですけどこうなりましたのスタンスなので、特段周囲がやいのやいのほざくのも「うるさい」くらいにしか思わないんだろうなあ。
自在さってのは、そうした決めごとのなさすぎるところから派生してくることで、根っこにそれを宿した創作作品になる。なるけど、必然ではないし、たぶん外してる事柄もかなり多い。その有象無象のさなかから、子供のほうが「見つけにかかってくれる」ことをよしと諦観し、自らの努力や才覚で子供をひっ捕まえてやるなどという姑息も嫌いの様子。そうなればこそ、訳の分からなさの宿ってるものを片っ端から数打つが最善とばかりに、先生はたくさんの弾を放つ。
その評定は子供が好んで歓迎したかどうかだけが結果であって、先生がそれを望むかどうかはある程度多めの運の進み具合を、むしろ進んでみてる感じがしました。
それを悠長と呼べるかどうか。そこまでを才覚とするかどうか。
そんな事前の見立ては先生には野暮だし、そこ発進で始めちまえば、作品がよどむばかりであるのは明々白々なわけです。そーゆーロケンロールな風体な絵本だから、子供はきりきり舞いで喜べるんだろうな。そのありようはやり方が判明したところで、コンスタンスにそうありたがる作り手は多くないはずで、おかげでニッチ市場は五味先生が5馬身くらい優位で突っ走ってるのかもしんない。
全部、俺の感想だから先生はそんなこと言ってないって話でした。
仕事が忙しくても恋は諦めない❤️などという宣伝がネットに流れてた。
や、無理させんといて。
仕事軽くするか、恋遅らせたら?
なーんでがんばろーに持ち込むんさ。
消耗しちゃうから却下!
くたびれないくらいに副業、とかさ、溜まったポイントで投資!とかさ、ないから.メリット。
お金吸われて終わっちゃうとか、搾取めいてるし、今以上に過酷を主張してきてるのを乗っからないようにね。
無理筋だから、幾つもってのはね。
足さないで、減らす方とりな。でしょ?
休みなはれ。それがいいよ🎵
在留資格がない「日本育ちの子ども」が直面する“報われない現実”とは…? 「日本の入管」問題を考える