外国人観光客「自己責任でしょ」登山シーズン終了後に…閉鎖くぐり抜け富士登山
そうか
そういうことか
外国の方が口にする自己責任には、それをしでかすからには救援無用ばりのバーターが香る。
けど日本の自己責任は「実行を阻害だけを律してしまいにしたがる」ことでバーター部分がこそげ落ちてる。やらせない、の一字である。
規制側優位の律法推進さしかないから窮屈で威圧的なるのだろう。
自己責任なる言葉を使う者には救済の断絶も適用してトントン。
仏心で手を出すことで災禍を免れてしまわせては、自己責任を標榜し出した方がおかしくなり出す言葉なのだと、この外国人に感じた。
で、あるなら日本のいう自己責任は本来の意味を誤用している。日本のそれは禁忌事項と称すべきもので、やんわり排斥を図る手立てが先にある。卑怯な手口だから気持ち悪い後味が残る。
自己責任なら、自己責任を完遂しなさい。それがこれを口にし出した側の矜持。言い逃れも否応もなし。
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この記事にあるアプローチでは解決の手立てになれない気がしました。
しでかしてしまった事を、してはいけませんと反対を唱えただけです。
理性や教訓で止めれない衝動でしでかしてしまった事柄は、その衝動への対策で封じ込めるなり、衝動すら起きなさへの提言を、体験者だからこその視座ゆえに語り出せてこそ、威力を発生させるのに、そこが惜しいのです。
失敗は失敗と言い切れているので、みんなにはよしとけと済ますのではなく。原因を発生させた根元への根絶を自身の口から伝えてもらえると、あがないや償いに至れたと感じました。