北極圏の刑務所で獄死したロシアの反体制派指導者、アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻ユリアさんのX(ツイッター)のアカウントが20日、一時停止された。Xは同日、「防御装置がユリアさんのアカウントを誤ってルール違反と判断した。誤りに気付いてすぐに利用停止を解除した」
激しく危惧・懸念を覚えた。
この有事に咄嗟にこうした「重要な発信を阻止する」程度の倫理観で、なぜTwitterを設定していたのか?
機会損失してはならないタイミングでこれをなす程度の運用にまで、コストカットで済ませてた運営側の思慮のなさは誠に情けなく愚かしい。
「阻止してくれる』ことで利する側や人物がいるのに寄与してしまう「意図せぬにしてもの加担」が全世界規模で発生する。
これだけの有用性のプラットフォームを運用するにしては軽率というか、真摯さを疑う。その手合の経営倫理すら腹立たしい。
「防御装置」なるものも、使用側では触れもできねば改ざんもままならない位置のもので、プログラムに準拠させただけの判別なんでしょうね。
このタイミングの、この機会に、「防御」でこれをなすとは、「どこの側の立場」で「防御」とやらがプリセットされてて、機能発揮としたのか?
これをして「防御」と表明してる無神経さも不愉快な印象を重ねました。
以前なら「判断する人間の影」が少なからず、幾層かのフィルターがあってくれたはずでしょうが、かの方がステークスホルダーの牛耳りになってから、極端な劣化・改悪を修繕する気も感じられません。
この事態を「防御」と認知させ、「それでよし」と機能を許した運営側の愚かさをどうかしてると思います。
自分の年齢になってくると、「逃げ出したらどうなるか」も「逃げ出さなかったらどうなるかも正直大差ないなって思えてきた。
別にどっちもしんどいし、結果は違ってもどの結果が、という優劣に一喜一憂もなく、すべからく「それは、そうでした」にすぎない。
こうなってくると、大事に生きてきたか?くらいがバロメータになってくる。