勲章をもらうのは成果として、「本来すべきだった」なる「しなかったこと」にも大いに心当たりがあるのです。
そっちが重要にすぎて、この期に及んで「したいこと優位」で「してほしいこと」を剥落させて辞さぬのだと、ほとほとこっちがあきらめた。
もういいです。
いまはわかる。
冷たくした、知らぬふりをした、などの「回避をしたもの」は、「うまくやった」のではなく、「冷たい人に位置した」「ここぞに知らぬふりができる人」の加算を為しているのだ。
それらは「自分に飛び火させない」積極能動だったのだろうが、残念ながらマイナス加点を人知れず足しただけだった。
気づかれない云々ではない。
遠からず「その返礼」でその価値を知るでしょう。
よしなさい。
「うまくやる」ときってね「狡猾さ有意」を足してもいる。
わかんないでしょ?
そこに業がある。「なかった」ようにみえて、「やったこと」とともに「やらなかったもの」もカウント対象なのだ。
「思い知らせてやりたさ」を育ませたのは「ひどい目にあった側」が生まれてたせいである。
不当な目に目に遭っていると言う気持ちが、「このままで済ますか」となって「せめて一太刀」まで思い詰めるほど、放置され、救いの手もなく、蔑まれた心地に、微かでも命の雄叫びみたいにあらがう。
「そこまで・・・」と皆が思う以上に、慟哭を経由した動機に転じている。