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九州から始まった豪雨被害。いまや中部地区も被災者を出し、テレビではその模様が放映されています。
そのさなかで、避難した先で知人のおばさん同士がお互いを見つけあえて、抱き合って、半泣きになってよかった、よかったって喜んだ風景が映ってました。
喜んでいた反面、画面に映っていたおばさんは、知人のとても仲のいい方が亡くなられたと、泣き出していました。それがつらくてつらくて・・・と。
お互いの無事をあった事であった事で実感できて、喜べて、泣けて、うれしい。被災がなければ、毎日だって会えて、笑えて、話せた仲が、ものすごく貴重で泣けていた。
「いつものように」は「当たり前」じゃなかった。ものすごく素敵な運の巡りで、毎回毎回会えてただけだった。「会えなくなってしまった、すごくいい人」はいつものようではなくなってしまった。一瞬の被災地域の差で二度と再び会えなくなることが、とても身近なものだと、そのテレビの本の30秒で、走馬灯のように直感しました。
今、会えて、話せる人があなたのそばにいたら、うんと大事にしてください。ものすごい幸運の塊なんですから。
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