「耐え難い苦しみ」を目の当たりにしたことのある人になら、当人に「してあげられること」の限界値に絶望を覚えた経験もお有りの方がいるでしょう。
緩和できる手立てをすべてやりつくし、その上で残る「耐え難い」苦しさを唯一「人らしく過ごせるため」に処置するやりようを、正面から見据え、善悪の垣根の配慮の上これを決めたオランダという国全域の慧眼に感服しました。
これが備わっててくれてるかどうかだけでも、生きて過ごしている間に病魔の進行や将来性に恐怖を覚えた罹患者には、「死に際は来るだろうけれど、怖がらないで済ましやすくなる」安堵がギリギリ用意してもらえていることになる。
よりよく生きるために、死ねることの選択が用意されている。子供が悶え苦しみ、大人に救いを求める手を差し伸ばすときに、楽にあるということを用意して置けるのは勇気のいることなのだと記事を見て思いました。
そして日本には、こういう優しさに思い至らせたのかしら?と怪訝に思う心もあるのでした。こういうところからでもQOLの底上げは叶うのにね。大事なことですよ。
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