運気が落ちている時は「あせらず、じっくり、心を落ち着けて」 横尾忠則が考える“能の世界”の教え
今、まさにここについて、思う所があります。
すべからく、兎角日本人は応援の最初に「励ます」で応じるをデフォルトとしてますが、ようは「頑張れ」と声がけします。
あそこで徹底的にしくじってるんじゃないかな、と。
失敗してる、上手く行ってない時には「エネルギーが停留・停滞」してるから弱るのであり、その刹那に考えなしに「励まそう」とするがあまり「頑張れ」ともっとも調子を落とすものに「いましてはならない」声がけを犯しています。
横尾さんの記事中にあるように女時の解釈を当てがうと、「頑張れ」といわれるより、正確に現状把握と、在すべきは休養ないし養生と観念できます。
すべき姿勢、心得はむしろこっちです。
で、ないと「不調時の邁進で自体悪化を加速」します。
常々ベストで、は嘘のアプローチで長持ちしません。「休めない」せいで、どんだけ人生が損なわれていることか。
そのカウントを怠るもの同士が、思案なく闇雲な「自分がしたい方の応援」だけで相手の調子を鑑みない奨励を促します。悪手だし愚かです。
本当に休める時、休まなくちゃなんない時に、休まないでいたから、今の日本がこうなりました。
社会の先達のご苦労と采配は見事でしたが、「先食い」は「根性論」「企業への献身」「家族顧みず」の不幸で釣り合わぬ不幸を招き続けました。
そう続けてきて現状どうですか?
若者たちが「あなたたちみたいに頑張らなくなったからこうなった」ってみてませんか?
違いますよ。
若者たちは人生を損なわせ切らない手前で、ちゃんと要領をえてたし、適切な塩梅を心得ててくれたし、挙句彼らなりの配分で先達の方らに譲れるだけは譲って付き従ってくれた。
その挙げ句は今の日本のザマです。
だからもういいでしょう。
若者のポテンシャルと、采配を信じた男時・女時に譲りません?
「従来通りのせいで、今」だからさ、失敗もしたんですよ。先達は昨今責任は負わぬは、救済もせぬわ、も見せ始めました。
もう十分です。
女時の日本を、きちんと加療し肉付けに手を貸してくださいよ。
「あなたたちの欲深い先食い」にはもう世代間を超えて付き合いきりました。愛想が尽きたんです。この言い分に同調できる世代の層は分厚いはずです。
横尾さんのおっしゃるところの「運」が落ち目は「気にしないでいい」は、一過性のことであって、凋落を意味しない。そんなあたまのよわさのことばじゃないし、そのぶんみゃくでもない。
とくとこころえて、しつらえなおしです。
大丈夫、そのポテンシャルはある。先達が「そう信じるか」の辺りだけが、少々心許ないくらいだけで。
こんないかれた文章も俺ら世代の前の連中が書くべきだったのを怠ったって逃げたからこんなに遅れちゃった。