「救いは来る」と信じて待てる、から希望の火を灯せる。
コスパ上ここには救援救済は来ないかも、と微塵でも信じればもう希望をもてない。
信じてるから待てるのに、信じるなってこの国は言い始めてる。
自助だの自己都合の避難だのと難癖つけて「救わないケース」を徐々に増やし続けた。
その歩幅はぐんぐん大股で跨ぐようになっていって、元に戻ることがなかった。
国家が震災に辛辣なこと言ってのけている。
税収の一角を担ってくれてる能登にこれが言い放てられる心象が全然理解できないのです。
震災後に「信じて待つ」が愚の如きではないか。この機にどうしてこれを言えたんだろう。