歩いて10分しないうちに何件もコンビニがあって、牛丼屋さんもスーパーもある。電車も数社の路線の駅がその10分圏内にあり、クリニックも大病院も近い。最寄りにないものでも、20分もあれば地方都市の中核地域に出かけられる。本当に便利でらくちんな生き方ができるのが、今住んでるところ。
生まれて育ったところはバス停も駄菓子屋すらもなく、買い物するには車で出かける距離だったから、基本的には「近くに何もなく」ても「不自由」とは認識しないのでした。ないものは、ないまま過ごせるし、あらかじめないものだから、「あれば便利ね」程度の便利さ程度のことなのでした。だから都会の生活も「すばらしー」とはならないし、田舎の生活も「不便ー」ともなりません。
今の時代、ネットの普及で「分からない」ことは「誰に聞かなくても」わかるようになって、知らない土地にもずんずんおでかけして困らないほどになっています。昔の人のように「知恵者」や「縁故」などの「下仕込み」なしに生きられるようになり、随分自由度は高まりましたよね。遠くの友も、今ではすぐに話せるし、動静もわかる。
こういう事柄たちが「普通」になっていられる生活って、ものすごいことなんだよね。幼少の頃に思ってた生活よりも、うんと上の生活なんだよね。それが「普通」なんて枠にくくられるだなんて、すごいことです。だからそういうのが無くなりかけたり、なくなってしまうと、とたんに「普通」の威力がガツンと堪える。ああ、普通ってすごかったんだって、元通りをなにより渇望しはじめるんだ。
もうちょっと、日々に感謝の念をもって生きます。はい。