善光寺への旅の続きを書くつもりで、半月以上も過ぎてしまった
光陰矢の如し
恐るべし時の流れトホホ。
善光寺参詣の続き
善光寺裏山へ
宝篋印塔
今年、二度目のお参りとなった
宝篋印塔について
塔に刻まれた銘と以下を参照にお伝えします。
参照:
『compassion』
チベット問題を考える真言宗智山派青年僧侶の会・チベットの風 発行 2010
「チベット経石奉蔵宝篋印塔」は1962年8月チベットの尊者三名と
多田等観師が善光寺に参籠し千曲川の浄石に世界平和を祈り写経した
これに随喜する
七百二十余名の浄石を合わせて蔵経数十巻とし
1964年4月この聖地に宝篋印塔を建立した。
右から多田等観師・(チベットの尊者三名)サキャ派の高僧ソナム・ギャツォ師、ニンマ派の高僧ケツン・サンポ師そしてツェリン・ドルマ氏のお名前が刻されている。
「多田等観師はロックフェラー財団の援助によって東洋文庫内にチベト研究センターを設立。
インドに亡命していたソナム・ギャツォ師、ケツン・サンポ師、ツェリン・ドルマ氏らを日本に研究員として招いた。これらの人々は日本滞在を経てインド、ネパール、アメリカでご活躍なさった
」『compassion』より抜粋。
奉納された浄石に書写された経典名が刻されている
「浄石は柳町中学の生徒達が千曲川河川敷から集めたものであり、その一つ一つに世界平和を祈り
ながら経典の文字が書写された
」『compassion』より抜粋
「塔の高さは約2メートル。
台石の正面に多田等観師の「萬善同帰」、月輪にソナム・ギャツォ師のチベット文字のご真言、裏面には埋蔵したチベット経名が刻まれた
』『compassion』より抜粋
今年の6月、東京の友人に誘われて
宝篋印塔を初めて参拝しました
。意義深く貴重な塔の前で祈り、刻された一つ一つの文字を眺めてゆくと、仏塔建立を発願し尽力したチベットの尊者の中にサキャ派の高僧ソナム・ギャムツォ師のお名前を見ることができました
。
ソナム師は私を仏教の道へお導きくださった今は亡き恩師であり、日本滞在後はアメリカに
永住なさっていらっしゃいました。
私は師のご苦労も知らず、数十年前にアメリカのお宅にお訪ねする機縁を得、
ほんの一時ですが仏教の教えを受けさせていただきました。
その後、おかげさまでその貴重な瞬間は私の人生を導く羅針盤となりました
。
恩師と言っても、私の一方通行の思いですが、私にとって、師との貴重なご縁がなければ、
いま此処に存在することはできなかったと常に思っています
。
また、ありがたいことに6月の参拝の折には、
ダライ・ラマ法王さまが
宝篋印塔をお訪ねになり、その場に居た私と東京の友人も法王さまにカタを供するご縁に恵まれました
報恩感謝
恩師が私の心に静かに蒔いてくださった小さな種のありがたさに感謝するとともに
、
善光寺裏山の
宝篋印塔は今では私の心の拠り所となっています
。
この塔は45年を経た現在も、奉賛会の人々のたゆまないご尽力によって護持されています
その後
長野巡礼の友である大阪の友人は、前回宝篋印塔のすぐ下まで着きながら
何のお働きか、塔までは辿り着けなかった関西の友人に写メールを送ってお参りの報告
そして、大好きな上田へと旅は続いたのでありました