先日、吾郎さんの『象』を観てきました。
相変わらず舞台の吾郎さんは美しいです。
コウモリ傘をさして佇んでるだけで絵になる人。
優しくて深みのある声も大好き。
大杉レンレンの演技はもうド迫力もので…
よく理解はできなかったものの、不思議な空間を楽しんできました。
最初は、ひとつひとつのセリフにどんな意味があるのかと考えながら観ていたんですけど、すぐにそれは無理なんだってことに気付きまして。
セリフの量はハンパなく多いんですけど、その言葉たちがどうにもこうにも頭の中で形にならない。
夢を見てるみたいに辻褄の合わないことだらけ。
で、もういちいち意味を考えるのは止めまして、あとはもうずっと分からないことはそのままで舞台の雰囲気を楽しむことにしました。
きっと、もっとしっかり観ていればなにかしら深~い意味があるんでしょうけど、私には無理!ってことで。
こういう見方が正しいのかどうか分かりませんけど、もともとが不条理劇なんですから、難解なんですよね?分からなくてもしょうがないですよね?(開き直る)
ただ、表現の仕方が特殊なだけで、伝えたいことはそれなりに受け取ったかなという気は、しました。
そしてね、その雰囲気は暗くて重くて怖くて、ジリジリした焦燥感っていうの?居心地の悪い緊張感がずっとあるにも関わらず、ユーモアもあるんです。
背中のケロイドを見世物にしたがる被爆者(大杉さん)の、狂気を孕んだ言動の滑稽さ。
悲惨さとユーモアが同居してる不思議さ。
そういうのがピリピリ神経にさわるような感覚がある。
でも不快じゃないですよ。
舞台を見ながら、こういうのはずっと以前に読んだ山岸涼子さんの作品にもあったなーと思い出してました。
燃えさかるストーブの上に立つおばあさんや追分を聴く幼女が出てくる、なんとも不思議作品。
あれは死者の世界を描いてたんだっけか…