注)
誤解の無きよう一言付け加えておきます。家は死んだ父がお寺さんの子だったためか、長女で一番上の子の私も小さい時から父を通して仏教的な言葉の数々は教えられてきました。いきなりここに出しているわけではありません。ほかの作品でも何度も書いている話です。
三界の狂人は狂せるをしらず、こんな言葉の意味を私は子供の時から教えられ、どういう意味かと考えてきた人間です。そんなにとっぴなことを書いているつもりはありません。
今晩は~、ご無沙汰さんのマリーで~す。うちのおばはんは暑さでへたばっちゃってるから当分駄目じゃないかしら。当分ていつまでだって? そりゃあ、秋までに決まってるじゃないの。パソコンだって下手すると熱暴走を起こすこと請け合いの毎日の気温じゃないの。ケータイのあたしや弟分のギャラクシータブだって相当の熱だもん。あの人自身だけじゃなくて、連日扇風機だけの室内でこき使われているパソコンが正常でいられるかどうかはすっごーく疑問よ。
もう今日あたりなんかあの人、午前中に家事や雑用だけは終わらせて、昼間はぼけーっとしちゃってたのよ。冷凍庫の中に、ほら、ケーキなんかに詰めてくれる保冷剤があるじゃない、あれを5個くらい凍らせておいて、とっかえひっかえ、頭や首筋を冷やしてたわ。でも冷えすぎるとまた調子悪くなるのにね。
ボケーっとして何考えてんのかと思ったら、キリスト教と仏教の接点みたいなものを考えてたのね。だけど多分、普通の神父様達に聞いてみてもわからないだろうなあって思っちゃったみたい。普通のキリスト教の教義だけしか知らない人のほうが多いものね。エックハルトとかさ、タイプはちょっと違うけど、十字架の聖ヨハネとかの感じ取ったことって、なんとなく東洋的な感覚が感じられるし、仏教との接点も感じられるような気がするって、なんだかわけのわかんないことを言ってたの、うちのおばはん変わってるからねえ。
キリシタン時代の宣教師はでうすって言う神様の呼び方を大日って訳していたんですってよ。ところがその大日という呼び名は、仏教の大日如来とすごく紛らわしかったんで大日って呼ぶのは止めたんですって。うちのおばはんは暑さから気を紛らわせるのにその大日如来について調べたの。そしたら面白いことがわかったのね。
あの人は子供のころ、鎌倉時代からの歴史のある古いお寺さんの門前の近くにいて、どうして仏教ではいくつもの仏様がいるのかが疑問で、まことの神様はただ一人って教えているキリスト教が好きになって信者になったの。ところがこのところ仏教のことも少しは勉強してみたら、たくさんの仏様がいるようだけど実はそれはみんな大宇宙の真理のごく一部をそれぞれ表しているらしいってわかってきたわけよ。
あれれ、仏教で言ってる大宇宙の真理というのと、唯一全能永遠の神とはまったくの別物とばかりはいえないのでは・・・呼び名が違うだけなどという浅薄な見方はしないけれど、でも、共通したものがいくつもあるんじゃないの。これはどう考えたらいいんだろうってわけよ。
どちらかというとさあ、インド由来の仏教の世界観て、すごいのよねえ。あれだけの膨大な時間の観念があってインドの数学やIT技術にも影響してるんでしょう。うちのおばはんもあたしも数字にからっきし弱いんだけど、インドの歴史、文化、文明には感心するばっかりよ。そのインドから出た仏教の世界観だもの、強烈だわさ。そこから生まれた思想宗教を簡単に無視できるわけないじゃないの。
こちらはちっちゃな島国に生まれて育ったおばはんと、この国で生産されたケータイのコンビだから、たいしたことはわからないんだけど、虚空蔵とか、大日という言葉の意味を調べると、日ごろ思っている絶対者のイメージに、神のイメージに重なってくる気がしてならないの。どう思います?
まあ、とにかくやっと少しすずしくなったと思ったらもう夜中じゃないの。明日があるんだからこの人を寝かせなくちゃ。ほんじゃまたそのうちにね。バイバイ。