頑固丸の思い出

2011-07-15 12:11:37 | インポート

おっはようございま~す、マリーで~す。 うちのおばはんは昨日、木曜日の聖書の集いに行ってから、なんか急に落ち込み気味みたいなの。なんせ、司教様でさえどうしようもない現実ってのがあるんだもんねえ。でも、しょうがないじゃないの、そういう時は少し気分転換をしなくちゃ。

雑用もいっぱい溜まっちゃってるけど、一日遅らせたからって大勢には影響ないもんね。今月いっぱいはご近所のDVDのレンタルショップが新品以外はどれでも7泊8日で一本100円よ。ちょうどいいじゃないの。あの人も昨日5本借りてきたから当分、気分転換にはちょうどいいんじゃないのかな。でもさ、どうしてトゥイーティーの漫画とニコラス・ケイジの映画が一緒なのかよくわかんないけど。

トゥイーティーは、うちのおばはんが可愛いキャラクター大好き人間だからよね。ニコラス・ケイジが可愛いとはどう見ても思えないんだけど、アクターとして優秀だとかなんとか言ってたっけ。全然共通性のないお気に入りだわ。

キャラクターっていえばうちのおばはんが未だに悔しがっている幻のキャラクターがいたのよねえ。原稿もコピーも一部も残らず行方不明よ。頑固丸って言うブルドッグの子犬なの。普段はガン公って呼ばれてるの。あの人、今暑さで頭がボーっとして、新しい物語どころじゃないからかしら、頑固丸のことが頭に浮かんでくるみたいよ。性格のいいワン公なのよこれが。

あの人の頭の中の引き出しに、小柄なおばあさんがリードをつけたブルドッグに引っ張られるように歩いているイメージが入っているの。そのイメージを何度も見ているうちに年配のおとうさんとおかあさんと、おとうさんのお母さん、つまりおばあさんの三人の家族の家にブルドッグの子犬が貰われてきた話が浮かんできたの。子犬の顔を見たおかあさんが、この子はまだ半分赤ちゃんなのにまるで頑固じいさんみたいな顔をしてるって言い出して、おとうさんが、なるほどそうだな、これはひとつ男らしく頑固丸でどうだ、とか言い出して子犬の呼び名が頑固丸、通称ガン公になるの。ほら、正式な名前って日本語じゃなかったりするじゃない、それじゃなんか呼びにくいって思った家族なのね。

ガン公はこの高齢世帯のおうちで可愛がられて育っていくんだけど、ある日、お父さんとお母さんのお嫁に行った娘さんが病気で急死しちゃうの。その娘さんには三人の女の子がいて、夏見、冬見、清見っていうんだけど、この名前、すごく安直に夏みかん、冬のみかん、清見オレンジからとったの。でもってこの三人の女の子が、お父さんの仕事の都合で自分たちのおじいさん、おばあさん、ひいおばあさんにあたるこの家族の家に引き取られて一緒に住むようになったの。

でもって、実はおばあさんはカトリック信者で、三人の孫たちもおばあさんと一緒に教会に行くようになるの。頑固丸がよくお世話になっている獣医さんの奥さんも信者で、子供が生まれて、獣医さんも一緒に洗礼や婚姻の秘蹟を受けるの。そんなことがきっかけで、獣医さんの奥さんの実家のある長崎の歴史とか隠れキリシタンのご先祖様の話とかになって、宣教師のドロさまやドロさまそうめんのことなんかも簡単に出てくるの。

だけど、肝心の原稿が無くなっちゃって、残っているのはガン公も女の子たちもすっかり大きくなってからの続編だけなのよね。それも、家のおばはんの言いたいことの意味も読み取れない連中がくだらない憶測で悪いうわさの種にしてるんだもの、どうしようもないわよ。もっともその意味を深く考えて見ると日本の教会の信者の未熟性ってことかもね。日本人の普通の感覚では実はキリスト教の「愛」の意味は理解できないのかも。いやいや、そういうことになるのは神父側にも問題があるんだわさ。人間的にも未熟ってことじゃないの? ま、余計なことを言うのはやめとくけど、結局今のおばはんの状況の原因てその辺に行き着くんだわ。

62歳になろうとしているうちのおばはんもこれじゃちょっと可哀相だってことがわかんないのかしら、まったくどうしようもない連中だわ。これ以上書くと文句ばかり出てくるからこのへんでやめるわね。

ほんじゃ、また。次回は愚痴にならないようなはなしにしたいわ。バイバイ。

(言ってしまうと、なぜこの話が消えたのか、複雑なわけがあるのよん。言ったところでどうにもならない事情、それは竹の園生に関係しちゃってるから。だからおばはんも黙っちゃうだけ。何とかできる人はいないのかしらねえ)