内緒だもんね。
某SNSで、日経の知人が地震のことで『備えあれば憂いなし』ということを書いておられた。でも備えようもない生活状況のこちら、何をどうしたらよいのか、まあなるようにしかならないと思い、枕元にスニーカーを置いて寝るくらいの策しか実行していない。とりあえず生き延びられたらそれから考えようと言うわけだ。大体どこで地震に出会うかで生き延びられるかどうかも定かではないのに、先のことばかり考えてもどうにもならぬ。予想されるのはちょっとやそっとの大地震どころではすまない筈だ。
実は死んだ父が退職後、外房の海の近くに家を買って住んだため、房総の海沿いの地域がどんなものかはよくわかる。我が家にもすぐに津波警報が伝えられる無線装置が生活の一部として取り付けられていた。父たちと一緒に江戸時代の大津波の時に波がここまで押し寄せてきたと言う場所を見に行ったこともある。お寺だったか神社だったかで、そばの見上げるような崖のかなり上のほうまで水がきたと聞いて以来、房総には住みたくないと思ったものだった。いくら気候が温暖で住みやすくても海沿いは絶対いやだと思っていた。
今回の東北の地震と津波でますますそう思った。そして今現在の房総沖から茨城にかけてのさまざまな今後の予想だ。もちろん、どこに住んでいてもなるようにしかならないのも確かだが、あの崖の高さを思い出すと恐ろしい。海辺には住みたくない。とはいえ、都会では水は押し寄せてこない代わりに火事になればもっと恐ろしいことになるのだろう。関東大震災の時も、火の海に巻き込まれて亡くなった方々は数え切れない。今の時代だから別の場所の原発がまた事故を起こすかもしれない。やっぱり、どう考えてもなるようにしかならないとしか言えない。
とにかく知人の言葉のように『備えあれば』で、せめて出来ることはしていこう。こういうのも日ごろから見ておくと役にたつかもしれない。
20数年前に富士山の噴火の可能性を言った時、誰も信じなかったのだが、歴史を見れば富士の噴火は巨大地震と常に連動して起きているではないか、でもこんなことは言うだけ無駄か、房総沖の事だって考えたくないことは考えないで済ますのが人間だし・・・・なるようにしかならないというわけだ。