名曲に思う

2011-07-30 13:51:24 | インポート

youtubeのコメントによるとこの歌は、伊集院静氏が書き、井上 堯之氏が曲をつけてできた名曲、だそうだ。このビデオで演奏しているのは井上さんご本人と宇崎竜童さんだ。

  http://www.youtube.com/watch?v=OAox_GVGKBc

正直なところ、こちらはお酒は呑めないから呑まないし、ちょっと聴いただけではそれほどピンとくるような歌ではなかった。せいぜい、演奏テクニックが二人とも流石だなと思ったくらいなものだった。自分と重なるものが見えなかったから。しかし、何度か聴いているうちに歌の詞の言語感覚の見事さに驚いた。これはただの酔っ払いの自嘲の歌どころではないぞ。

これってまさに人生そのものを歌っているのではないか。お酒を呑もうと呑むまいと、話の中心はそんなところにあるのではないだろう。youtubeで昔の記録を見ていると,さまざまな思い出が蘇って来る。今も知らぬ顔をして上席に座っている生き残りのお偉方たちの顔を見れば、過去を思い出してよくもよくもと腹が立ってくるし、あのころの本当に大変だった日々が浮かんでくる。

何分、当時の事態は一種の中間搾取ともいうべき状況で、お偉方には真相は伝わっていない可能性大でもあるわけだ。今更言っても仕方がないが、いずれ一度ははっきりさせないと、杉並区と杉並区の福祉事務所はこちらが受けてきた被害は無視したまま、ただの不正受給として支払請求を続けるばかりだろう。ケースワーカーの斉藤さんはちゃんとNTTに確認したうえで処理を進めたのだろうか、怪しいものだ。

本当にあの時、阿佐ヶ谷の我が家に日本時間の夜中に父ブッシュの国際電話があったのだ。その記録があったからこそ、マスコミが急におとなしくなったいきさつも何も杉並区は調べてもいないのだろう。まったく考えると頭が痛くなってくる。現実にある方たちがこちらを落としいれ、利用し、知らん顔を続けていたのだが、こちらももうそれをとやかく言うには時間がなくなってきている。

何しろ、まさに『相棒』ではないけれど、立場によって正義はいろいろ変わってくるのだ。絶対的な正義がこの世にあるとは思わない。それは神の手に委ねるしかないものだろう。善と悪、光と闇。自分の立ち位置はどこにあるのだと考えるわけだが、そこでふと思うのは、いろいろあってもかかわりのあった相手、直接、間接にかかわってきた相手もまた自分と同じ時間を一緒に生きてきているのだと言う事実。いまいましいが向こうも自分なりに必死に生きてきた命だ。もはや文句を言う気がしない。お互い、残り時間は限られてきているのに面倒なことにかかわっていていいのかと思う。

そんな時にこの歌を聴いた。~ごらん、金と銀の器を抱いて、罪と罰の酒を飲もうよ~、実にすごい詩だ。まったくこれこそは人生と言いたくなるような歌ではないか。人を責めるのは簡単だがそれだけでは自分の人生の意味を生ききることはできまい。

さてどうしたものか。