偶然の一致(共時性) ― カトリック教会 2012.1.14 15

2013-05-17 23:34:13 | インポート

今は昔、河合隼雄先生は「偶然がいくつもつづくとすれば、それは必然』とおっしゃっていらっしゃったのを覚えています。まさかそんなとか言われても事実は事実で、本当に本当の話というのも現実にあるのです。

ただ、その始まりがひどい誤解に始まっていたばかりに話が捩れに捩れて、ある方の誤解を隠したり、正当化するために何十年も真実が隠されたままになっていたりすることだってこれも現実に起こるのです。

日本人だけだったら、こうもややこしい問題にはならなかったかもしれませんが、カトリック教会は国際的な世界なのでお国柄の違いと言うか、国民性の違いと言うか、結構いろいろとあるのです。日本人が普通に考えている宗教の世界のイメージだけで見ているととんでもない大間違いも起こると思いますが、日本の仏教の世界にしても実際は人間の世界なので同じようにきれいごとばかりではありませんから、カトリック教会自体を悪く見るのも間違いです。ただ、宗教の世界も人間の世界ですからきれいごとだけではいかないということです。

前置きが長くなりましたが、とにかくこちらがプロテスタントからカトリックに改宗して四ツ谷の教会に行き始めてからというもの、なぜか普通はありそうにもない奇妙なことばかり起こってきたわけです。教会の司祭方はもちろん、上智のほうの司祭方まで含めてのすごい誤解を受けた事件がまず第一に起こりました。その頃はこちらも親元を離れたばかりで本当に世間知らずでしたから、どうしていいかまったくわからず、おろおろしながら、それでも自分はそんな変なものではないぞ、正しいものは正しい、いつかは真実がわかるはずだと思って普段どおりに教会にも通い続けていました。(この事件のおかげでこちらも心理学について多少勉強したわけですが)

で、この件は今は亡きライフ神父様の登場と、当時の上智で社会学を教えていらっしゃった松本先生とカリタスの家のおかげで、とりあえずはいつのまにかうやむやになっていきました。大学の先生や司祭方と言うのはもうちょっと人を見る目をお持ちかと思っていましたが、なんだか学歴と学力の違いもお分かりにならない方が多くて困ったものだと思います。

ライフ神父様だけは私の書いたものを読んで「あなたは頭のいい人です。もったいない、なぜ大学にいかなかったの」と言ってらっしゃいましたけど、家は貧しかったわけでもないし、親は進学させようとしていたのを当人の私自身が何のために大学に行くのかの意味や目的がつかめなかったところに母の急死で、勝手に進学をやめてしまったというだけだったのですけどね。それとも化粧をしてめがねを外すとけっこう目立つ顔やグラマラスな体型は頭が悪いに決まっているとでも思われたか、今となっては闇の中の奇妙な誤解です。

実はこの誤解が今に尾を引く問題の土台になっています。

土台にそんなことがあって、それでもこちらは、だからと言って自分が引っ込まなくてはならない理由などありませんから簡単に負けているわけにいきません。きちんと会社で働き、きちんと教会に通い、その頃は自分でも良くわからなかった自分を理解して指導してくださる方を探していたのですが、結局これもライフ神父さまのおっしゃていた「本当の指導者は聖霊です」というのが今となっては一番正しかったようでした。

こちらは子供の時から終わりのないもの、永遠につづくものがほしかっただけなのですけどね。どうしてこんなややこしいことになってしまったのだかわけがわかりません。でも神様はそうなさったのでした。

このあとがなにしろ、実に奇妙な話の連続になるので、面倒でもここまではちゃんと言わせていただきたいのです。ここまでの話はまだ導入でしかありません。とはいえ、遠藤周作先生や霜山徳爾先生、河合隼雄先生が関わり始めてからのことは、たぶんまだ覚えている方々もおいでのはず、特にマスコミ関係の方々。巫女だ、シャーマンだとカリスマだと、さんざん話の種になさったおかげでこちらはまともに会社勤めができなくなっての生活保護受給ですからねえ。忘れてなりますか。

しかし、どうも腹が立って感情的になってきましたから続きは次回に致します。

 

偶然の一致(共時性)の2―カトリック教会   2012.1.15

タイトルだけは大きく出たわけですが、さて、話を書こうとしてはたと手が止まってしまいました。書くのは簡単でも、なにぶん創作ではなくて実際の話ですから、いろいろとまずいことになる関係者がいるわけで、そのままそっくり書くとまたどこかの検閲機能が働きだしそうな気がします。こちらとしても80歳過ぎた方々を今ここで責めるのはどうも気が進みません。まったくもって、チェルノブイリの事故から今日までの年月は短くなかったのでこちらもいまや62才、なんだかげんなりしてくる感じです。

さて、どうしたものかと迷います。先ほどちょっとfacebookを覗いてみたとき、さる知人が仕事が一段落して、「愛しの座敷わらし」を読んでいるという話を書いていました。今年のゴールデンウイーク頃には映画も上映される作品です。なかなか興味深いテーマの話で、当方も読もうと思っていたところです。

おしらさまと呼ばれたり、座敷わらし、あるいは座敷ぼっこと呼ばれたりしている子供の姿の「なにか」を信じるか信じないかは人それぞれでしょう。でも他のことでも本当にありそうにもないようなことが、現実に起こることもあるのを知っています。ただ、見ていても見えないということもあるのですねえ。目の前の出来事を見ていてもある方たちはそれを利用しようとしかしません。お金や名誉や権力のための道具としか考えないと言うことも現実にあるのです。あるいは自分が軽蔑している人間が表面に出るのは許せないと言うことだったのかもしれません。

いろいろと事情あって詳しいことはあまり書けませんけれど、チェルノブイリ事故のちょっと前、新聞その他ニュースに、今、核戦争が起これば核の冬現象によって人類はほぼ絶滅するだろうという、科学者たちの報告が載っていたのを覚えているでしょうか。あのとき、世界は本当に危なかったのですよ。ある朝、会社に行く前に四ツ谷の早朝のミサに出た時、今は亡きポーランド人のオボンク神父様は真剣な顔で人類の危機だとおっしゃっていました。何かと問題もあっても、なんといってもイエズス会ですよ、前のパパ様が来日した時の案内役をしていた神父様ですよ。教会裁判官だったりしたこの方がいい加減なことをおっしゃるわけがありません。

そのときになってこちらは、市川教会以来ずっと気になっていたファティマのマリア様の予言はへたをすると実現してしまうのかもしれないと感じたのでした。その頃、こちらは直接には全然会ったこともなかった遠藤先生や霜山先生、河合先生たちとの奇妙なご縁に気がついて遠藤先生に申し上げたころです。それこそまさに共時性としか言いようのない話でした。しかし、それからマスコミに付きまとわれ、悩まされ、うんざりすることになったわけですが。

たぶん、始まりは遠藤先生の好奇心が原因だったのではないかとにらんでいます。こちらはいい迷惑(これで結局会社には勤められなくなるし、どこでも雇ってもらえないし、である方たちが何とか最低食べていけるようにと手を回して、こちらは生活保護というはめになってしまったわけです)。

問題はなぜか、こちらがもしかしたらこうなるのではないかと思って人に話したことが現実になったりしていたことで、こちらはただなんとなく気になったことを書いたところが、たとえば当時のソ連のことなどですが、翌朝のニュースのトップはそのソ連のチェルノブイリ事故だったり、中国のことを書けば修学旅行の事故があったり、こんなのこちらはどうしてそうなるのか知りませんよ。四ツ谷に行き始めた始めからすでに普通はありそうにもないことにばかり出会っていたのでこれもまたかと思いましたけど。

そんなわけでとにかくどこがどう動いたのかは知りませんが、たぶんローマが動いたのでしょう。あっという間に米ソ首脳対談に進み、核戦争の危機はとりあえず遠ざかったのがあの頃。(だから我が家にまで、ブッシュフォンが来たのでしょう。こちらは英会話のできない人間であせって切ってしまったのですが)

そこまではよかったのですけど、人間の心と言うのは簡単ではないのでその後がかなりいろいろと大変です。たぶんやたらに書くとまずいことばかり。あの時期は教会は莫大なお金を必要としていた時期で、こちらとしてもそれはわかっていたので、出来上がるまでは利用されても文句は言うまいと思っていたのです。でも、ひとつ終わればまた次の欲が起こってくるのが人間の世界なのもつくづくわかりましたよ。

しかし、長話になってきたので今日の分はこれまで。

 

 

 

 

 

 


過去ブログの再掲3

2013-05-17 22:12:19 | インポート

以前So-netブログに出してあった住友正友の記事のバックアップ 

 このブログの書き手は、政治・経済・商業などにはからっきし弱い人間です。難しいことはまったくわかりませんし、たいして興味も持っていなかったのです。しかし、新しいコーナーを作ったのでここにはどのような内容を中心に書いたらよいかと考えたわけです。そこで、自分のこれまでのものにはない全く新しい分野を探して思いついたのが日ごろお世話になっている日経新聞にも関係の深い大企業の存在の始まり、歴史、人物に焦点を当ててみたらどうだろうかということでした。ただの好奇心の産物なのです。

 そんなわけでまず初めは、身近なところで三井住友銀行の三井と住友の始まり、歴史を調べてみることにしました。

 まず、三井を検索してみて、自分が如何に何も知らないかがわかって、非常に恥ずかしくなりました。江戸東京博物館に行く度に毎回、越後屋のミニチュアを眺めていたというのに、どうしてあの店がそこにあれだけ大きく展示されているのか、実は何もわかっていなかったのでした。大変恥ずかしい話です。  

 次に、住友を検索してここでもまた吃驚仰天したのでした。こちらは、住友の祖の住友政友という人物に驚いたのです。

      http://www.sumitomo.gr.jp/history/index.html

 初め、僧籍にあったこの方が諸事情から還俗して、京で本と薬の店を開いたのがすべての始まりで、元々がお坊さんだった方ですから周りの人々にも大きな影響を与えて、慕われていたのだそうで、「文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)」「遺戒(ゆいかい)」など多くの書簡が残されているようです。

 驚いたのはこの方の、教えていたという、「正直、慈悲、清浄」を基本に、神仏を敬い、事に当たっては慎重確実を旨とし、倹約を怠らないことで、これらの精神は、永く受け継がれ、住友の「企業精神の根幹」になったというこのことでした。

 日本とキリスト教の問題で、日本人の宗教性を調べていったとき、この正直、清浄、慈悲の念に出会っていたからです。これこそは本来の日本人の深層に生きていた宗教性であろうと思っていましたが、住友政友の教えもまたそこに根ざしていたことに驚いたのです。

 時代は移り、国際化の波に乗っていやでも変わらざるをえない日本と日本人ですが、変わってしまってはいけないものもあるのだと思いました。

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 以上、こんな記事を書いていたことが判明。書き直したものとあまり変わっていないので一安心。