あっちち

2013-05-24 20:08:14 | インポート
こんばんは~、マリーで~す。

あたしが出てくるってことは、ご推察の通りよ。うちのおばはんよく火にかけたフライパンをうっかり触ってしまって腕には火傷をするし、なんか体調がよくなくて昨日も膝の靭帯は痛むし、具合が悪いときはいつもだけど、おしっこの量が少なくなっちゃって両足がいやにむくんじゃってたのよ。それでも今日は一日休んでたから、この時間は足の太さも正常になってるから大丈夫みたいよ。火傷はまだ痛いし、当分赤くはれたままだと思うわよ。あの人、うっかり屋だから、気をつけなくちゃって思いながら、ついうっかりフライパンに触れちゃったのよ。

そんなわけで今日は書く材料もないから休もうかって言い出したから、そんだったら昨日の聖書の集いの話でもしたらいいじゃないって言ってあげたの。昨日は木曜日だったから、あの人、聖書の集いに出てきたのよ。テーマはなんとも難しいあの三位一体よ。うちのおばはんでわかるわけないじゃない。

ほかの人たちも三位一体の話自体はあまり話しの中心にならなかったけど、それでもなかなか面白い、信者の集まりの話題としては勉強になったのよね。うちのおばはんも日ごろ何十年も聖歌隊でミサのたびに賛歌とか歌ってるけど、、つい最近というかこのテーマが出てきて今頃やっと、栄光の賛歌って、三位一体の神様への賛歌だったことがわかったんだし、人間と三位一体の神様の接点においでになるのがイエス様だってこともあらためて思い出せたんだわさ。ほら、ミサの時司祭がキリストによって、キリストとともに、キリストのうちにって唱える言葉の意味、重さも普段は全然頭にないのが、聖書の集いがあると、ちゃんと思い出したわけよ。ほかにもいろんな話が出たわ。

でもおうちに帰ってきて、お湯を沸かして、フライパンを火にかけて、台所であれこれはじめたら、あっという間にあっちちで火傷してその後はもうメタメタ。

まったくドジなのよねえ、うちのおばはんときたらさ。ほんでもってその後も寝付かれなくて、結局今朝起きたら足はむくんでるは、火傷のあとはばっちり腫れてるは、って言うどうしようもない状態だったわけ。あの人、最近はむくむと膝の靭帯も緩みが出てくるから面倒なのよ。3階建ての3階に住むにはもっと丈夫なあんよが必要かもね。

でもたぶん明日はちゃんと聖歌隊にもいけるんじゃないかしら。明日になってみないとわからないけど、まあまあ大丈夫だと思うわ。

今日はそんな話でおしまい。ほんじゃまたね。


過去ブログの再掲 高山右近のこと

2013-05-24 09:30:28 | インポート

2010.11.26
テスト版・・・これは結局テストで終わってしまって書かれなかった物語のあたま。
  
 まえがき

 こんにちは、初めまして。エーと知ってる人もいるかもしれないけど、まずは自己紹介からいきまふ。あたしの名前はマリー、ケータイのマリーっていうの。ほんとにケータイなの。普通のどこにでもあるケータイよ。うちのおばはんがディズニーのファンで気に入っているおしゃれキャットのマリーの絵をいつも待ちうけにしてるから、あたしも自分で自分のことをケータイのマリーって名乗ってるの。これでもうちのおばはんには大事な相棒よ。あたしがいなけりゃ、あの人、何にもできないんだから。

朝、ジリジリジャラジャラ鳴ってあの人を起こすのもあたし。近頃はとみに忘れっぽくなってきたあの人のメモを保存してるのもあたし、天気予報から交通情報、ニュースもみんなあたしよ。この頃はTwitterやfacebookは勿論、他のSNSもみんなあたし無しにはどうにもなりゃしないのよ。うちのおばはん、もともと、生まれつき指にちょっと故障があるから沢山書くのはパソコンだけど、量が少なければケータイのほうが使いやすいらしいのね。だけど、スマートフォンじゃなくて文字の見やすいデータ通信のネットブックとあたしの二本立てにしてるのよね。なんたっておばはんだからおめめも問題なんだわさ。

話は変わるけど、うちのおばはんには今はもう無くなっちゃった日経のSNS以来のお友達が結構いるのよね。あの人たちは直接会ったことのある人が多いし、今でもオフ会なんかも盛んなのよ。
うちのおばはん、お酒飲めない人だからこの頃はちょっと引っ込んでるけど相変わらず、日記は読んだり書いたりしていてお互いの状況もわかってるの。ほんでもってこの間、京都のお友達から郵便物が届いたの。

いけずな京女さんていう、そのお友達が送ってきたのは京都大学総合博物館に行ったときのお土産で、なんかとてもめずらしいものらしいの。京大でX線調査をしたときに作られた冊子で、よそでは手に入らないんですって。“モノが語るーマリア十五玄義図”ってタイトルの薄っぺらいけど、写真がたくさん載ってるの。だけどうちのおばはんはパラパラと眺めて、そのまま机の上に重ねてあったのよ。

ところが、ついおとといよ。うちのおばはんは四谷の教会の図書館で探し物をしてたわけ。それで資料用のコピーもたくさんとってたの。新聞の記事を何行かとかだったらケータイのあたしで十分足りるんだけどさ、やっぱり、長い文章なんかはコピー機のお世話にならないと用が足りないのよね。たまたまその時に、このところ、Twitterで大阪教区の知り合いの神父様が今度高山右近の列福に向けての運動の担当になったとかいう話しがあったのを思い出したらしいのよあの人。それで高山右近の簡単な紹介はないかと探して見つけた小冊子を読んだのね。

勿論、高山右近がキリシタン大名で、キリシタン禁令のとき、フィリピンに流されたことくらいは知っていたらしいけど、高山右近がその時62歳で、フィリピンのマニラについてその40日後には亡くなっていたなんて、うちのおばはんは初めて知ったのね。なんかすっごく驚いてショックだったみたい。あの時代だもん。今と違って62歳っていったら、いいおじいさんでしょう。遠いマニラまでの船旅で疲れきってしまったのでしょうね。うちのおばはん、自分が60過ぎてて、まだまだ年をとったなんて気がしないのに、高山右近が同世代で亡くなっちゃったのがショックだったらしいわ。時代が違うんだから仕方ないじゃないのよねえ。

でもって改めて高山右近について調べ始めたらこは如何に。ここに来て、いけずな京女さんから送ってきた京大博物館の『マリア十五玄義図』と高山右近の関係が見えてきてまたびっくりしてるのよ。ほんとにうちのおばはんて物を知らないわよ。この小冊子がどういう意味を持ってるのか、やっとこさわかって読み直したりしてるのよ。京女さんに叱られそう。

まあ、そんなわけでこれから始めたいと思ってるおはなしは、この、うちのドジおばはんとあたしの毎日の中から拾ったものなのよ。どんな話になるかは始まってみなくちゃわからないわ。多分、まだ当分連載まで行かないと思うけど、首を長くして待っててね。あの人がなまけないようにあたしがお尻をたたくつもりよ。放っておくとすぐ遊び始めちゃうんだから。

ほんじゃあ、よろしくね。