ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

いじめ自殺は学校の責任でいいのか?

2010-11-13 01:50:44 | Weblog
いじめをしていた生徒がなぜか学校に守られ、いじめられていた生徒は自死する。

自殺した生徒の親は学校を責め、学校は責任を回避しようとし、マスコミも学校を責める。

いじめをしていた生徒は土壌に上がってこない。

親も自分の子供を守りきれなかったことを学校の責任に転嫁しているかもしれない。
傍観していた生徒たちは学校が悪いからと自分を守れるのかもしれない。
傍観していたPTAは学校のせいだと自分たちを守れるのかもしれない。
いじめをしていた当人たちは問題から逃れられる。学校教育の被害者とさえなる。
いじめをしていた生徒の親も自分を守れるのかもしれない。

そういう構造の中で、学校を社会の生贄とすることで社会が助かる。
公務員である教師は、このロジックの中、生徒の死を前にして対抗することはできない。
そこを付け込んで、社会は社会の問題をすべて言いやすいところへ持っていく。

そして、自殺した生徒は、死人に口無し。

自殺をした親は、鬼となっていじめをした生徒を許さない!と追及してはどうだろう?
マスコミは学校ではなくいじめをした生徒や親を追及してはどうだろう?
傍観していた生徒やPTAを追及してはどうだろう?

これほどの問題を、教師だけに押し付けて対応できる訳がない。
家でできないことが、社会や学校で出来る訳がない。

個人それぞれが無責任な立場でいることを、責任を取らない生き方をすることが許され
その無責任複合体でいることこそが社会を生き抜く知恵となってしまった社会。

誰かの失敗を待ち望むことで、自分の立ち位置を確認できるかのような社会
すぐに自分にお鉢が廻ってきそうなことなのだけど、止められない。

いじめ自殺の問題でのマスコミ報道を見ていると
政権の失敗や揚げ足とりをしている国会、そしてその報道を見て切り捨ててる国民も
まったく同じやりくちなのだと思った。

うまく解決をしてくれないのが悪い、巧みに対応してくれないのが悪い・・
この国の全員が、サービスを受ける側、お客さんとなってしまっているように思う。

社会のことを、身の回りのことを、簡単な答えの出ない諸問題を、
誰かでなく自分自身を含むみんなで、なんとか答えを出していく術を失くしたのかも。

みんなで熟議をしてみること、自分自身の声で発言をしてみること、意見を戦わせること
国民一人ひとりがその経験をしていかなくちゃいけないように思った。

もしかしたら、国民にそういった経験をさせていく機会を提供していくことが
為政者として、やるべきことなのかもしれないとも思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いじめ自殺は学校の責任でいいのか?

2010-11-13 01:50:44 | Weblog
いじめをしていた生徒がなぜか学校に守られ、いじめられていた生徒は自死する。

自殺した生徒の親は学校を責め、学校は責任を回避しようとし、マスコミも学校を責める。

いじめをしていた生徒は土壌に上がってこない。

親も自分の子供を守りきれなかったことを学校の責任に転嫁しているかもしれない。
傍観していた生徒たちは学校が悪いからと自分を守れるのかもしれない。
傍観していたPTAは学校のせいだと自分たちを守れるのかもしれない。
いじめをしていた当人たちは問題から逃れられる。学校教育の被害者とさえなる。
いじめをしていた生徒の親も自分を守れるのかもしれない。

そういう構造の中で、学校を社会の生贄とすることで社会が助かる。
公務員である教師は、このロジックの中、生徒の死を前にして対抗することはできない。
そこを付け込んで、社会は社会の問題をすべて言いやすいところへ持っていく。

そして、自殺した生徒は、死人に口無し。

自殺をした親は、鬼となっていじめをした生徒を許さない!と追及してはどうだろう?
マスコミは学校ではなくいじめをした生徒や親を追及してはどうだろう?
傍観していた生徒やPTAを追及してはどうだろう?

これほどの問題を、教師だけに押し付けて対応できる訳がない。
家でできないことが、社会や学校で出来る訳がない。

個人それぞれが無責任な立場でいることを、責任を取らない生き方をすることが許され
その無責任複合体でいることこそが社会を生き抜く知恵となってしまった社会。

誰かの失敗を待ち望むことで、自分の立ち位置を確認できるかのような社会
すぐに自分にお鉢が廻ってきそうなことなのだけど、止められない。

いじめ自殺の問題でのマスコミ報道を見ていると
政権の失敗や揚げ足とりをしている国会、そしてその報道を見て切り捨ててる国民も
まったく同じやりくちなのだと思った。

うまく解決をしてくれないのが悪い、巧みに対応してくれないのが悪い・・
この国の全員が、サービスを受ける側、お客さんとなってしまっているように思う。

社会のことを、身の回りのことを、簡単な答えの出ない諸問題を、
誰かでなく自分自身を含むみんなで、なんとか答えを出していく術を失くしたのかも。

みんなで熟議をしてみること、自分自身の声で発言をしてみること、意見を戦わせること
国民一人ひとりがその経験をしていかなくちゃいけないように思った。

もしかしたら、国民にそういった経験をさせていく機会を提供していくことが
為政者として、やるべきことなのかもしれないとも思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする