先日、幼稚園の有志のお母さん方で「桃太郎」の人形劇を上演しました。
クラスごとに歌、ライヤー、語り、人形の担当を分け、この日のために時間をかけて練習してきました。ちなみに私は人形を動かす役でおばあさんと鬼を担当しました。
羊毛で作った立ち人形を使いますが、お顔は目も鼻もなにもありません。何もない表情から子どもたちは場面ごとにその表情を想像していきます。そして背景などは、シルクの布などで表現し、やさしい色合いと布のゆるやかな感じがなんともいえない不思議な「メルヘン」の世界を作り出しています。
人形を手で持って動かすのですが、手はなるべく正面から見えないように、そして手を出す、引っ込める速さもゆっくりとしなくてはいけないので、それを気をつけるのもなかなか大変でした。そうしないと子どもたちがお母さんの手の動作に気をとられて、人形に集中できないからです。
最初は手順を覚えるだけで精一杯でした。少し慣れてきて今度はその話をよく噛み砕き、どのように表現するかを気をつけるようになると、気にしなくてはならないことがどんどんでてきて、人形劇はなかなか奥が深く、難しいものだということがわかってきました。
例えば、鬼が桃太郎に降参して去る場面で、始めはすっと下に下がっていましたが、先日幼稚園に講演に来てくださった先生のアドバイスは、鬼はそのままだと奈落の底に落ちた感じに見えてしまうので、階段を一段一段おりるようにしたほうがよいとのことでした。見えないところでもそのように細かく演じると言うことが大事なのだということがわかりました。
また鬼は自分の心の中にいる悪の心の象徴でもあり、それを退治して良き心を取り戻す・・・という意味が話の中に含まれているということを聞いて、桃太郎のお話の今までの印象ががらりと変わってしまいました。昔話には深い意味が込められているのですね。
当日、子どもたちが上演する部屋に入ってきました。最初はざわざわしていた子どもたちも始まる前には静かに座っています。娘もママを見つけて、とてもうれしそうに手を振ったりしていましたが、人形劇が始まると人形の動きや音楽に集中しています。
子どもたちが場面ごとに反応するのがよくわかりました。例えば、桃太郎が大きな木を引き抜いて家に持って帰る場面では、「桃太郎さん、すごいねー」といっているのが聞こえてきました。そんな子どもたちの反応がうれしく、緊張がどんどんほぐれてていきました。
そして歌の担当のお母さんが歌うたび、その方のお子さんがうれしそうににっこりと笑うのを見て、私もなんだかうれしくなってしまいました。やっぱり自分のお母さんが、自分たちのために人形劇をしてくれる―というのは子どもにとってうれしいことなのが伝わってきました。
話の中で、私が一番共感したのが桃太郎が生まれる場面です。桃から桃太郎が生まれておじいさんとおばあさんがうれしそうにしている場面は普段絵本で読むときはさらりと読んでしまいますが、自分が演じてみて、娘が誕生したことのうれしさの気持ちが重ね合わさり、おばあさんが赤ちゃんを抱くときは「まあなんてかわいいんだろう」という気持ちが素直に出てきました。
そして、ミスもなく無事人形劇を終えることができました。
子どもたちが次々に感想をはなしてくれました。みんな楽しかったようでほっとしました。娘も手をあげて「おにがゆるしてくれてよかった(鬼が桃太郎に降参したこと)」と母の役をふまえて感想を言ってくれました。みんなの前で手をあげて感想をきちんと話すことができる娘を見て、とてもうれしかったです。実は私は小さい頃からそういうことができない子どもだったので(笑)。
このようなメルヘンの体験は子どもの中にどのように残るのでしょう。お母さんたちが人形劇をしてくれて楽しかった、という思いは、もしかしたら大きくなっても意識の中で残っているかもしれません。
そして、そのときの体験―美しい歌とライヤーの音、やさしい色合いの羊毛の人形など五感で感じた感覚やお話の意味は意識の中には残らなくても、無意識の世界では何かの形で残り、それは、きっと子どもが成長する過程で良き「自分」を形成する上での糧になるのだろうと思うのです。
自分の子どもだけでなく、子ども全体のために何かできることはないか、と思っていても、一人では何もできませんでしたが、このような自分の心に沿う美しいものを通して参加することができ、とてもうれしく思っています。
子どもたちが人形劇を通して、楽しかったという思いと共に大人たちからの「あなたたちのことを大切に思っている」というメッセージを感じてくれたらこんなにうれしいことはありません。
写真は家で子どもが遊ぶために作った桃太郎と桃(赤ちゃんつき)です。桃の節句のお花と一緒に。
クラスごとに歌、ライヤー、語り、人形の担当を分け、この日のために時間をかけて練習してきました。ちなみに私は人形を動かす役でおばあさんと鬼を担当しました。
羊毛で作った立ち人形を使いますが、お顔は目も鼻もなにもありません。何もない表情から子どもたちは場面ごとにその表情を想像していきます。そして背景などは、シルクの布などで表現し、やさしい色合いと布のゆるやかな感じがなんともいえない不思議な「メルヘン」の世界を作り出しています。
人形を手で持って動かすのですが、手はなるべく正面から見えないように、そして手を出す、引っ込める速さもゆっくりとしなくてはいけないので、それを気をつけるのもなかなか大変でした。そうしないと子どもたちがお母さんの手の動作に気をとられて、人形に集中できないからです。
最初は手順を覚えるだけで精一杯でした。少し慣れてきて今度はその話をよく噛み砕き、どのように表現するかを気をつけるようになると、気にしなくてはならないことがどんどんでてきて、人形劇はなかなか奥が深く、難しいものだということがわかってきました。
例えば、鬼が桃太郎に降参して去る場面で、始めはすっと下に下がっていましたが、先日幼稚園に講演に来てくださった先生のアドバイスは、鬼はそのままだと奈落の底に落ちた感じに見えてしまうので、階段を一段一段おりるようにしたほうがよいとのことでした。見えないところでもそのように細かく演じると言うことが大事なのだということがわかりました。
また鬼は自分の心の中にいる悪の心の象徴でもあり、それを退治して良き心を取り戻す・・・という意味が話の中に含まれているということを聞いて、桃太郎のお話の今までの印象ががらりと変わってしまいました。昔話には深い意味が込められているのですね。
当日、子どもたちが上演する部屋に入ってきました。最初はざわざわしていた子どもたちも始まる前には静かに座っています。娘もママを見つけて、とてもうれしそうに手を振ったりしていましたが、人形劇が始まると人形の動きや音楽に集中しています。
子どもたちが場面ごとに反応するのがよくわかりました。例えば、桃太郎が大きな木を引き抜いて家に持って帰る場面では、「桃太郎さん、すごいねー」といっているのが聞こえてきました。そんな子どもたちの反応がうれしく、緊張がどんどんほぐれてていきました。
そして歌の担当のお母さんが歌うたび、その方のお子さんがうれしそうににっこりと笑うのを見て、私もなんだかうれしくなってしまいました。やっぱり自分のお母さんが、自分たちのために人形劇をしてくれる―というのは子どもにとってうれしいことなのが伝わってきました。
話の中で、私が一番共感したのが桃太郎が生まれる場面です。桃から桃太郎が生まれておじいさんとおばあさんがうれしそうにしている場面は普段絵本で読むときはさらりと読んでしまいますが、自分が演じてみて、娘が誕生したことのうれしさの気持ちが重ね合わさり、おばあさんが赤ちゃんを抱くときは「まあなんてかわいいんだろう」という気持ちが素直に出てきました。
そして、ミスもなく無事人形劇を終えることができました。
子どもたちが次々に感想をはなしてくれました。みんな楽しかったようでほっとしました。娘も手をあげて「おにがゆるしてくれてよかった(鬼が桃太郎に降参したこと)」と母の役をふまえて感想を言ってくれました。みんなの前で手をあげて感想をきちんと話すことができる娘を見て、とてもうれしかったです。実は私は小さい頃からそういうことができない子どもだったので(笑)。
このようなメルヘンの体験は子どもの中にどのように残るのでしょう。お母さんたちが人形劇をしてくれて楽しかった、という思いは、もしかしたら大きくなっても意識の中で残っているかもしれません。
そして、そのときの体験―美しい歌とライヤーの音、やさしい色合いの羊毛の人形など五感で感じた感覚やお話の意味は意識の中には残らなくても、無意識の世界では何かの形で残り、それは、きっと子どもが成長する過程で良き「自分」を形成する上での糧になるのだろうと思うのです。
自分の子どもだけでなく、子ども全体のために何かできることはないか、と思っていても、一人では何もできませんでしたが、このような自分の心に沿う美しいものを通して参加することができ、とてもうれしく思っています。
子どもたちが人形劇を通して、楽しかったという思いと共に大人たちからの「あなたたちのことを大切に思っている」というメッセージを感じてくれたらこんなにうれしいことはありません。
写真は家で子どもが遊ぶために作った桃太郎と桃(赤ちゃんつき)です。桃の節句のお花と一緒に。
すごくうれしいことだね
polinちゃんも準備など大変だったろうけど、その場で実感出来てよかったね
ゆっくり丁寧に子供達にお話を伝えることの大切さが私にもすごく伝わってきたよ。
そうそう、今回のクーヨンも天然生活もシュタイナー特集があるね。
大人も自然を感じたり、夢の世界を感じたいのかな?
早く本屋でチェックしたいわ
他のクラスの上演を見学したときは、
子どもが段々お話の世界に引き込まれていくのを見て、
子どもの集中力ってすごいなあと思ったよ。
最近、雑誌類はチェックしていなかったんだけど、
どちらもシュタイナー特集があるんだ~
最近は少しずつ認知されてきているのね!
私も本屋でチェックしてみよう♪
美しい春の季節をご家族で楽しまれますように。
昨日からバファリン飲み過ぎで胃が痛い~
人形劇楽しそうだな~
顔がないお人形ってことは、スットコドッコイな
子供だったら、とんでもない想像をしてるんだな(笑)
って思うと、面白いな~
思えば、浄瑠璃のお人形も、顔はあるけど
動きや仕草で感情を出すわけだから、
ものすごい技術なんだろうねぇ
子供の頃からお人形大好きな私だから、
子供が人形に大きな意味を持たせる気持ちは、
とっても分かるから
絶対、ココロに残っていくと思うよ。
私の場合、人形もお話も現実逃避や憧れの具現化としての存在だったけどね。
ところで、ライヤー、テレビで見たけど、ちょっと憧れ♡ポロンポロンってあの音、クセになるね。
しかも見た目もプチハープみたいで可愛いし(o→ܫ←o)♫
ちょっとpolinちゃんのマンドリンが懐かしくなったよ♥
ずっと子どものことで忙しい日々が続いています。
今できることを色々吸収したいと思っていると、
あれもこれもと顔を出し、そして自分の自由時間がなくなり苦しくなります(笑)。
でも、またそれも楽しいです!
カントリー・マウスさんに譲っていただいたうさぎさんは、
春のテーブルの主役です。
体がつらいのに動かなくてはいけないのが一番つらいよね。
休めるときはほんと休んでね!
人形劇は、最初は羊毛の人形を作りたいのが一番だったんだけど、
上演を経験してみて、実際に子どもの反応が感じられてとてもおもしろかった。
たぶん、どう捉えるかは、こどもの性格などにもよると思うけど、
すっとこどっこいな想像ってどんなだろう~(笑)。
人形劇について、先生も、能などの動きを参考に少しの動きで感情を表すお話をしていて、
人形浄瑠璃や能などの伝統芸能はきっとその奥行きは深いものがあるんでしょうね。
やっぱり人形はその子どもの気持ちを投影するものだよね。
お友達でもあり、自分自身でもあり。
きっとねこ★ほりっくちゃんにとってもお人形はすごく大事な存在だったよね。
子どもの心に寄り添う存在なんだな、って改めて感じた。
ライヤーとても素敵なのよ~弾けたらいいなあ。
うちにも7弦の小さなものがあるんだけど、あまり子どもは触らないかも(笑)。
そういえば、私むかしマンドリン部でしたね!
ちょっと自分の過去を久しぶりに思い出しました(笑)。