1週間前くらいから、今年の秋以降初めて風邪をひきました。
いつもは、10月か11月頃に風邪を引くのに、今年は遅かったです。気温が高かったせいなのかな?
風邪を引くことで、体が「冬用」に変わる感じがします。
今娘の小学校では嘔吐下痢の風邪が流行っています。私は嘔吐下痢ではありませんでしたが、お腹の具合が悪くなったので、数日間絶食することにしました。
最近食べ過ぎであるのは自分ではわかっていたのに食欲が止まりませんでしたが、この調子で胃腸を酷使すると、嘔吐下痢になるよ、と体が言っているようでしたので(私の勝手な解釈ではありますが笑)。
といっても完全に食事は絶たずに、こういうときは最近私は100%ストレートのりんごジュースに本葛を溶かして、りんご葛湯にしたものをとり、胃腸を休めます。
そうすると、2、3日後には穏やかに治ることが多いです。
胃も小さくなり、ちょっとやせましたが、また食欲がもとに戻れば体重もまた戻ってしまうので気をつけます!
でも、ほんとはこの年末年始、行事が多いので食べ物がたくさん食べられないというのはきついんですけれどね^^;なんだか残念というか(笑)
でも食べ物を減らすと、体力はちょっとなくなるのですが、体がよく動き、仕事がはかどります。
いつもお腹が満腹というのは、よくないのかもしれませんね~
話は変わって、
百人一首の記事の中で「記憶」について触れたとき、第2・7年期のころ自分はどうだっただろう?とふと思いました。
これも、バイオグラフィーワークをして思い出したことですが、
9歳頃で一番印象に残っているものを思い出し、絵を描くワークをしたときに私が描いたのは、編み物をしている自分の姿でした。
ちょうど3年生の頃に母が編み物をしていて、それを見た私は「私もやってみたい」と言って母にかぎ針編みを教えてもらいました。
かぎ針を習得してから棒針編みも習い、マフラーを作ったり、モチーフ編みをしたり、編み物に熱中していました。
自分が作ったものが積み重なってどんどん形になったり、長くなっていくのを見るのがとても楽しかったのです。
そういえば小学校の部活動でも編み物クラブに入ってました。
大学時代に彼氏(だんなさんです^^)のセーターを編んで(大きさをまちがえてすごい巨大なものになってしまったけど)以来、ぱったりと編み物はしなくなってしまったのですが・・・
子どもが生まれて、クリスマスツリーに飾るオーナメントを作ろうと毛糸で雪の結晶を編んだり、幼稚園で冬のうわばきを編んだりしたときに自分でびっくりしたのは、編み物をしなくなって久しいのに、手が勝手に動くことでした。
棒針編みの目の作り方もちゃんと覚えていて、さくさくできることに自分でなんかびっくり。
大人になってから覚えることって覚えてもすぐ忘れてしまって、また本を見ないとわからないことが多いのに、子どもの頃に習得したことは、残っているんだなあと。
だけど、意識的にいつもあるのではなくて、どこかで眠っている感じ?といいますか。
普段は意識上にはないけれど、必要な場面になるとさっと引き出しからそれがでてくるような。
でも、私の場合はですが、その頃の記憶はどちらかというと頭で覚えただけの記憶というよりは、体と頭を両方使った記憶といったほうが正しいかな。
頭を使って覚えた記憶で今でも残っているものは、小学校高学年以降のものがほとんどです。前回も書きましたが、今でも覚えている古文などは中学・高校の頃に暗記したものです。
こちらは意識の上にずっと残っていてすぐ出てくる位置にあるような・・・
こういうことをふりかえり、色々感じてみると、小学生の頃(特に低学年)のときの記憶って、シュタイナーの言う通り無意識の世界に沈んでいくんだろうなあと思ったのです。
それは、形として見えなくても、自分を形成する基礎の部分に影響しているのではないかと。
編み物はシュタイナーの小学校でも授業で行います。
子どものときにひとつひとつ積み重ねてできあがる体験をしていくことが重要なのかなと思います。
そして、私にとっては、編み物はどういう体験だったのかな・・・
少しずつでも積み重ねれば、何かが出来上がると思っていることはたしか。
中途半端な努力をほそーくながーくだらだら続けるのが特徴の私ですが(笑)←でもこれ自虐ではないのですよ。ほんとのことだから。
それでも最終的になにか出来上がったら、うれしい。
いつもは、10月か11月頃に風邪を引くのに、今年は遅かったです。気温が高かったせいなのかな?
風邪を引くことで、体が「冬用」に変わる感じがします。
今娘の小学校では嘔吐下痢の風邪が流行っています。私は嘔吐下痢ではありませんでしたが、お腹の具合が悪くなったので、数日間絶食することにしました。
最近食べ過ぎであるのは自分ではわかっていたのに食欲が止まりませんでしたが、この調子で胃腸を酷使すると、嘔吐下痢になるよ、と体が言っているようでしたので(私の勝手な解釈ではありますが笑)。
といっても完全に食事は絶たずに、こういうときは最近私は100%ストレートのりんごジュースに本葛を溶かして、りんご葛湯にしたものをとり、胃腸を休めます。
そうすると、2、3日後には穏やかに治ることが多いです。
胃も小さくなり、ちょっとやせましたが、また食欲がもとに戻れば体重もまた戻ってしまうので気をつけます!
でも、ほんとはこの年末年始、行事が多いので食べ物がたくさん食べられないというのはきついんですけれどね^^;なんだか残念というか(笑)
でも食べ物を減らすと、体力はちょっとなくなるのですが、体がよく動き、仕事がはかどります。
いつもお腹が満腹というのは、よくないのかもしれませんね~
話は変わって、
百人一首の記事の中で「記憶」について触れたとき、第2・7年期のころ自分はどうだっただろう?とふと思いました。
これも、バイオグラフィーワークをして思い出したことですが、
9歳頃で一番印象に残っているものを思い出し、絵を描くワークをしたときに私が描いたのは、編み物をしている自分の姿でした。
ちょうど3年生の頃に母が編み物をしていて、それを見た私は「私もやってみたい」と言って母にかぎ針編みを教えてもらいました。
かぎ針を習得してから棒針編みも習い、マフラーを作ったり、モチーフ編みをしたり、編み物に熱中していました。
自分が作ったものが積み重なってどんどん形になったり、長くなっていくのを見るのがとても楽しかったのです。
そういえば小学校の部活動でも編み物クラブに入ってました。
大学時代に彼氏(だんなさんです^^)のセーターを編んで(大きさをまちがえてすごい巨大なものになってしまったけど)以来、ぱったりと編み物はしなくなってしまったのですが・・・
子どもが生まれて、クリスマスツリーに飾るオーナメントを作ろうと毛糸で雪の結晶を編んだり、幼稚園で冬のうわばきを編んだりしたときに自分でびっくりしたのは、編み物をしなくなって久しいのに、手が勝手に動くことでした。
棒針編みの目の作り方もちゃんと覚えていて、さくさくできることに自分でなんかびっくり。
大人になってから覚えることって覚えてもすぐ忘れてしまって、また本を見ないとわからないことが多いのに、子どもの頃に習得したことは、残っているんだなあと。
だけど、意識的にいつもあるのではなくて、どこかで眠っている感じ?といいますか。
普段は意識上にはないけれど、必要な場面になるとさっと引き出しからそれがでてくるような。
でも、私の場合はですが、その頃の記憶はどちらかというと頭で覚えただけの記憶というよりは、体と頭を両方使った記憶といったほうが正しいかな。
頭を使って覚えた記憶で今でも残っているものは、小学校高学年以降のものがほとんどです。前回も書きましたが、今でも覚えている古文などは中学・高校の頃に暗記したものです。
こちらは意識の上にずっと残っていてすぐ出てくる位置にあるような・・・
こういうことをふりかえり、色々感じてみると、小学生の頃(特に低学年)のときの記憶って、シュタイナーの言う通り無意識の世界に沈んでいくんだろうなあと思ったのです。
それは、形として見えなくても、自分を形成する基礎の部分に影響しているのではないかと。
編み物はシュタイナーの小学校でも授業で行います。
子どものときにひとつひとつ積み重ねてできあがる体験をしていくことが重要なのかなと思います。
そして、私にとっては、編み物はどういう体験だったのかな・・・
少しずつでも積み重ねれば、何かが出来上がると思っていることはたしか。
中途半端な努力をほそーくながーくだらだら続けるのが特徴の私ですが(笑)←でもこれ自虐ではないのですよ。ほんとのことだから。
それでも最終的になにか出来上がったら、うれしい。
お身体の調子はいかがですか?
先日はお誕生日でしたね
おめでとうございます!!
多忙な毎日だと思いますが、一日一日を大切にしていこうじゃありませんか(自分に言い聞かせています)
編物・・・
今度是非教えてください
お元気ですか?
体調の方は、誕生日の次の日にお腹も全快しました^^
誕生日にごはんをちゃんと食べれなかったのが残念。
ほんと、年末ということもあるし、まあ、そろそろいい年齢ということも含めて(笑)
1日1日が大切だよね・・・
細切れの時間を無駄にせず有効に使いたい。
編み物・・・教えてあげられるほどはうまくないけど^^;
また遊びましょう。