ぽんぽこノート

いつだって今がスタートライン。
行動しなくては何も始まらない。壁にぶつかったところから新しい道がひらける。

前進を助けてくれる音楽

2010-11-04 | 生活・色々

画像/浜崎あゆみ 「Born to be free」PVより


動画  サイト:豆土网
http://www.tudou.com/programs/view/lpHtxaL84Ec/



私はかなりポジティブ思考なほうだと自負しているが、それでもたまに悩まされるときがある。考え方も楽天的なのだが、考えすぎてわからなくなるときもある。そんなとき、ジョギングでもしながら音楽を聴くと気分転換には最高にいい。

ジョギングしながら聴く音楽というのはだいたい決まっている。それは、浜崎あゆみなのだ。私は浜崎あゆみの大ファンというわけではないが、彼女のステージや表現力、そのエンターテイメント性など、素晴らしいと思っている。彼女の曲の中でも、「Born to be free」が一番気に入っている。

というか、浜崎あゆみが好きというよりも、この曲を歌っている彼女はとてもいいと思うし、この曲自体が好きだと言ったほうが合っている。とても力強い前向きで、少しへこたれているような時でも、この曲を聴くとたちまち元気になれる。自分の中の熱い心を思い出させてくれる曲なのだ。


以下は歌詞の一部だが、私が上海へ来る前から抱いていたものと、上海に来てから実現してきた過程にフラッシュバックするような歌詞が自分のことのように思える。


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今ならわかることがある

今なら見えるものがある

だからもう一度思い出してる君とのあの約束

簡単には諦めないって誓った

Born to be free

あの日から夢は続いてる


失敗は呆れるほど重ねてきたけど

後悔だけはないようにやってきた

あの頃の僕らにもしもどこかで出会ったら

未来は不安じゃないと伝えよう

いつかは許せることがある

いつかは笑えるときが来る

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こういう詩というのは、読む人が読めば感じるところがあると思う。
ちなみに「君とのあの約束」という部分。誰と約束したのかと言えばそれは自分だ。そう、決して諦めないと。あのときの自分、それは今の自分でもあるのだが同じではない。

ちなみにBornとあるが骨ボーンのことではない。当たり前だけどスペルは違うし、これは誕生のほうだ。Born to be freeを訳すとどうなるだろう。ここからはじまるor目覚めのはじまり、とでも意訳すれば合うだろうか。



特に好きな部分がここ。

「あの頃の僕らにもしもどこかで出会ったら、未来は不安じゃないと伝えよう」



私は楽天的な性格ながらも、この曲を聴いていると現実は厳しく見る必要があるといつも思う。厳しくといっても、毎日眉間にしわを寄せて考え事をすることではなくて、一人のチカラだけでも生きていかなくてはいけない覚悟をもって生きるということ。楽天的なのはいいことだと思うのだけど、それだけではもちろんだめであり、現実をしっかり見つめて進んでいくことが大切だろう。言うだけじゃだめだ。考えるだけでもだめ。行動するのはいいけど、よくよく考えることも必要だ。

事業にしても、行動したはいいが行き当たりばったりの思いつきなら失敗する。だから日々考え、色々な要素、パターンを考える。そして大事なことは、ここ中国では「脳力」が重要なウェイトを多く占めるように思う。もちろん心も大事なのは大前提だが。考えすぎてしまうのもよくないが、希望を叶えるには努力が必要なことに変わりはない。



今日はいい天気。最近、新しい日系クラブ(踊るほうの)が2軒もできたので、今度行ってみようか。

やっぱり面白い上海万博

2010-10-30 | 生活・色々
ここ最近、上海万博へ2回行ってきた。
1回目は夜票という夜からのチケットで夕方4時過ぎに入り、10時半頃まで色々見て回り、2回目は朝8時から入場門で並び、夜11時まで会場にいたのでかなり疲れた。

夜から長時間ならぶのは避けたかったので、比較的空いているパビリオンを見て回ることにしたが、まったく並ばずに入れるところというのは、だいたいつまらない。でも、そうしたつまらないかもと思われるパビリオンの一つに国家电网馆があった。中に入るまではほとんど並ばず、施設内を見て最後になにやらショーが見られるらしきところに誘導され、そこで10分ほど待つと20メートル四方ほどの立方体の空間に入る。映画「CUBE」を連想させられた。ちなみに「CUBE」は数学に詳しい人によると素数に関する計算が滅茶苦茶で、素人騙しの最初から最後まで数字処理に関してはダメダメな映画らしい。しかし内容は面白い。


国家电网馆内のイベント。



それで、その立法体の中に入ったからといって、映画のように危険なトラップが出てくるわけではないが、足元も含めて立法体壁面の全面がスクリーンになっており、このスクリーン全体を大いに使い、おそらく実写とCGを駆使した爽快な映像が流れる。実際に見ないとわからないことだが、とてもかっこいい未来感覚映像だった。私はこういうのが大好きなので、特にこのパビリオンは印象に残っている。

また、2回目の万博で入った大人気パビリオンの一つである上汽集团-通用汽车馆だが、ここも素晴らしいものだった。まず、映画館のような空間に案内され、デザインも特筆すべき独立した未来チックなイスに座る。このイスは映像と同期して動くのでシートベルトを装着する必要があった。


上汽集团-通用汽车馆



30メートルくらいはありそうな湾曲した大スクリーンを目の前にし、期待感を高まらせてくれる。映像との同期は、まあこんなもんかと言った感じがしなくもなかったが、空中からの映像は本当に飛んでるかのような浮遊感を体験することができてとても楽しい。感覚的にはIMAXよりすごいかもしれない。

さらに、スクリーンショーが終わると、なんとその巨大スクリーンは可動式で下がり始めた。すべて下がるとその裏にあったのは大きなステージ。と同時にステージは4方から観客席に囲まれていることがわかった。今までスクリーンを観ていたのは私がいる空間だけだと思っていたが、4倍の人数が今まで同時に同じ映像を観ていたとは思いもしなかった。ステージが出てきたこともすごいと思ったが、実は私が一番感心したのは、同時にこれだけ多くの観客に4つもの巨大スクリーンを用意して観せていたということだった。


上汽集团-通用汽车馆でのスクリーンイベント。精巧で迫力のある映像と同期するイスが楽しい。「2030 上海」の中では、ボタンひとつで服装チェンジが出来たり、自動車が自動走行だったりと、多くの魅力的な未来技術を披露するが、さすがにあと20年で実用し普及までいくのは不可能だろう。



上映後に突如表れたステージショー。振り付けはわりと単調で意味不明だったし、抑揚がなかった。振り付け師がよくなかったのだろうか。



チリ館に行ったら、どこまでも木を用いた空間作りになっていた。床、壁、巨大な樽状のトンネルと、すべてが木を使用している。チリは木が特産なのか?私の中ではワインのイメージがあるのだが、やはりお土産コーナーでワインを販売していた。駄洒落のようになってしまうが、木ばかりに気を取られていた。ふ~ん、こんな感じかと、さあもう出口だというところに差し掛かると何やら展示物があった。

これは!!あれだ!!
・・・あれって何?そこで目にしたのはつい最近まで世界的に見守られていた一大ニュースであるチリ鉱山での鉱員の救出作戦。地下700Mに閉じ込められた33人を救うということで、チリ国家をあげてのレスキューで、チリ国民はもとより世界中の注目を受ける中、政府のメンツもかかっているので、これは絶対に成功させなければならないプロジェクトだったが、見事成功させたのが記憶に新しい。

このカプセルの名前は「フェニックス1」。数台作られたうちの1台だそうだ。カプセルは、万博終了まで1週間という10月23日から上海万博に展示されていて、ちょうど来た私はとても運がいいと言うしかない。

チリ大統領が今回の救出騒動を大いに政治利用したと、マスコミからも家族からも言われているようで、すべてがよかったではなかなか済まないこともあるのだろうけど、外から見てる者にとっては、助かって本当によかったと思う。


「フェニックス1」


まさか上海で実物を見ることができるとは思わなかった。あの、連日のようにニュースでやっていた希望のカプセルがそこにあった。国民の期待を一身に背負ったカプセル。下にいた人たちはどんなにこいつを待ちわびただろうか。一昔前なら技術的な障害で救出ができなかっただろう。そんな時代であったのなら、本来は死んでいたはずなのだ。

このカプセルに乗り、地上に出たとき、一体どれだけの喜びと本当の感謝をしたことだろうか。想像に難くはないが、彼らと同じ気持ちになることはできない。地下に閉じ込められたことは不幸だったが、救出は本当に素晴らしいニュースだった。ちなみに、一緒にいった友達はこのカプセルについて、宇宙がなんたらと言っていた。宇宙で使うものだと思ったらしい。このニュースを知らない人がいたことに驚いた・・・。

こうして万博に来てみると、意外な発見があるわけで、行ってみて本当によかった。
でも、意外は意外でも、日本人を含めた外国人はほとんど見かけなかった。ここ最近、多いときは1日100万人、少ないときでも1日30万人の入場者がいる。あれだけ多くの人が入っているのに、だ。見かけたとしても国家パビリオンのスタッフくらいで、客として入っていた外国人を見かけたのは14時間いた中で15人ほどだった。



上海万博へ行ってみたブログは次回へ続く。

「ONE PIECE」を観よう!!

2010-08-24 | 生活・色々


画像/アニメ「ONE PIECE」のオープニング部分。



■子供から大人まで大人気のアニメ「ONE PIECE」
私は最近これにハマっている。ハマっているといっても、グッズ類を集めたりマンガ本を全部持っているというほどではないが、アニメは中国の超有名動画サイト土豆网で全部観ている。

現在の「ONE PIECE」オープニングテーマ曲である「One Day」という曲。これは、全員が「ONE PIECE」のファンであるというThe ROOTLESSの曲だ。彼らは今までの内容を全部読んできているから、「ONE PIECE」にどんな気持ちが込められているのかを知ってる。その彼らが作った「One Day」は素晴らしい出来だ。抜群に歌が上手いというわけではないが、「ONE PIECE」を観てきた人にはわかる詩で、普段に聴いても元気がでる全体的によくできた曲だと思う。10月にシングルCDが出るので買おうと思っている。

「ONE PIECE」のテーマは大航海であり海賊なのだろうが、やはりその中枢を担うのは共に歩む主人公ルフィーとその仲間たちの前向きさだ。正確に言えば仲間たちは必ずしも前向きではなく、むしろそれぞれに暗い過去を引きずっていたりするが、ルフィーの前向きさに仲間たちが感化されていく格好だ。

そして、ルフィーが障壁を突破する上での一番の要素である“諦めない”という気持ち。これがストーリーが作られていく上で一貫して守られていて、ルフィーがルフィーである所以になっていると言っても過言ではないんじゃないかと思う。ちなみに中国語の「所以(suoyi)」は日本語の「したがって」や「だから」という意味であり、これはおそらく日本語の「所以」の語源なのだろうと考え至ると、日中の言葉の因果関係が、なるほど60%以上もあるわけだということにつながり、語源と派生の面白さを感じさせてくれる。

現時点での「ONE PIECE」アニメ版は第463話で、これだけでわかると思うけど相当長く放送されているアニメだ。初回放送は1999年の10月なので、すでに10年が経過していることになり、このアニメがいかに人気があるかということが伺える。いまさらどうでもいいことだが、当初、私は「ONE PIECE」を観る気がまったくなかった。興味もほとんど無かったし、観るまでは先入観に囚われ、あんな子供じみた画風だしむしろ好きではない部類だなと感じていたくらいなのだ。しかし、観た。最高に面白かった…。

それまで、そんなに「ONE PIECE」に対して観る気もなかったクセに、なぜ観る気になったかといえば、それなりの経緯があった。以前、同じく大人気アニメである「BLEACH」をオススメしてくれた人がいて、まぁ観てみるかと何気なく観たところこれがかなり面白かった。その影響で、これならもっと人気がある「ONE PIECE」は本当に面白いんじゃないかと思い観てみた。

私の感想としては、「BLEACH」は初回の展開が衝撃的に面白かったが、「ONE PIECE」は予想通り幼稚な画だったので、いきなりはハマらず、第1話はそこまで面白いとは感じなかった。しかし、そこで諦めず、我慢して第2話、第3話を観てみたら大いに引き込まれた。これから壮大なストーリーが始まる予感を十分に感じさせてくれる展開だった。だから、まだ観たことが無い人は、少し時間を割いて第3話までは観たほうがいいと思う。きっと面白いと感じることだろう。

私はアニメも好きだが、別にアニメオタク的な人間でもない。そのかわり、よい映画なら国籍を問わず観るようにしてるし、映画監督のロベルト・ロッセリーニや、ジム・ジャームッシュ、またコーエン兄弟の作品が気に入っているなど、表面的には「ONE PIECE」に結びつくとは思えない方向のものも好きだ。アニメとしては、川尻喜昭の「獣兵衛忍風帖」や一連のディズニー映画が好きで、最近ではCG作品の「WALL・E」がかなりよい作品だと思った。

マンガに至っては守備範囲の多彩さがさらに増す。藤子・F・不二雄のマンガはSF短編集を始めとしてほぼ全て好きだし、伝説のマンガである白土三平の「カムイ伝」はマンガに止まらない面白さを持ってる。伊藤潤二はホラーなマンガばかりだが、恐怖の心理に迫るストーリーがとても上手だし、ホラーなのに画が美しいところがいい。また、世界にジャパニメーションの衝撃を与えた大友克洋の「AKIRA」は映画版も最高だ。映画ついでに言えば、2007年の「ベクシル 2077日本鎖国」の戦闘シーンは本当にcoolだ。観ていないとわからないが、冒頭の窓からの突入後の戦闘シーンは特にしびれる。

と、話がそれてしまったが、「ONE PIECE」はどんどん面白くなってきていて、今が最高潮なのではないかと思うほどの盛り上がりをみせている。「NARUTAO -ナルト-」も「ONE PIECE」の次に好きで、こちらもどんどん面白くなってきている。やはりテーマには“仲間”と“諦めない”が揺らぎ無いものとしてある。このようなテーマはドラゴンボールなどの頃から確立されたように思えるが、今のこのような冒険物の少年マンガの要素には必須とも言える要素だろう。ま、諦めたら終わっちゃうわけで、時にはそんなふざけた冒険マンガがあっても面白いと思うが…。

「ONE PIECE」はとっても気分が晴れるアニメだ。何か落ち込んでいるとき、前に進めないとき。そんなときがあっても「ONE PIECE」が元気にしてくれる。数ある主人公が前向きなアニメの中でも「ONE PIECE」は抜群に前向きで明るいアニメなのだ。もし私に子供が生まれたら、ディズニーアニメと共に子供に観せたいアニメはこの「ONE PIECE」なのだ。きっと前向きで自分らしく生きる人間に育つんじゃないかと思う。

名刺からも始まるツナガリ

2010-07-20 | 生活・色々
古北にある日本料理屋「葵」で、20人ほどの飲み会があった。
9割くらいは初対面の方で、全員とは話せなかったけど旨い酒と楽しい会話ができた。その中の一人と名刺を交換したら、あらこの会社は…。私が半年の留学後、とりあえずお世話になろうと思って就職活動をしていたときに話を聞きにいった会社だった。

当時、給料が少しくらい安くてもいいから、小さな会社で色々勉強できそうな仕事ができる職を探していた。そうしたら、その会社が見つかったので、面接ではないけれど、とりあえず話しを聞こうと思ってお伺いした。ま、私のために時間をとってくれて話をしてくれるだけでもありがたいわけなんだけども、結果としては給料があまりにも安く、仕事自体には興味があるものの、当時いくら中国語がまともにできないとはいえ、少しの貯金すらできないような待遇では困るなぁと思い、正式面接というか入社したいという意向はお伝えしなかった。

と、それから2年経ち、飲み会でその会社の社員の方とお会いするとは、やっぱり狭い日本人社会だ。彼らは当時はまだ入社していなかったらしいが、どうやら内部的に色々と変わったそう。もし私もそこに入社していたら、今頃は彼らと仕事に精を出していたのかなぁなんて考えると面白いもんだ。パラレルワールドではそういう状況もできているのかもしれない。

今は知らないが、その会社の当時の給与体系は日本人と中国人は平等という考え方で、ということはスタート給与が3,000元くらい。私の場合は4,000元とか5,000元くらいでと言われた記憶があるが、それでは家賃と最低限の交遊費だけでオーバーしてしまう可能性もあるし、オーバーしなくてもロクに貯金なんかできないだろう。それに加え、残業も多いし帰宅後も毎日こういう本を読まなければいけないなどと、帰宅後の勉強を強制する気風が見えた。

それはそれで確かにとても勉強させてもらえるというか、勉強になる仕事かもしれないのだが、自主的な方向という表面的な言葉は使いつつも、そこまで求めるのなら、そんな給与体系はおかしいなぁと、私はその経営者の言葉には納得できなかった。つまりバランスがとれていなく、給料は安いけど共にがんばろう!という気概ではなく、どうもこれは単に人件費を抑えたいという方面が強いんじゃないかなと感じた。

日本人と中国人が平等という考えは、公平のようにも見えなくも無いわけだが、もともと環境や考え方が違うのに、そこは平等にする必要があるのかと疑問がある。それが嫌ならそういうところで働かなければいいわけで、だから私も当然そこを選択しなかったのだが、私の知り合いでも3,000元とか5,000元ほどで働いている日本人が存在する。外地でなく上海でだ。

もし私が日本人を雇う場合でも、そこまで安い給料では雇うつもりはない。事実、若い人でそんな給料ではまず長続きしないだろうし、続いたとしても、次へのステップの手段となるお金を貯めることができない。これは痛いところじゃないだろうか。仕事をして得るものはお金だけじゃないけれども、人は何のために働くかといえば、第一目的はお金であることに異論はないところだと思う。お金を稼いで、それをもとにして何かを生み出す手段に使ったりするわけだから、その手段を作ることができない状態でずっと働いていても、いまいち生産性に乏しい。

いくら仕事でスキルを上げることができても、家のPCが壊れて新しいPCを買う金とか、日本への一時帰国費の捻出にも困るようでは目が当てられない。この前会った友達が言っていたのは、PCを買いたいが買う金がないので、家にはPCがないというものだった。別に家にPCが無くても死ぬわけじゃないから本人が欲しいわけではないなら問題ないだろうが、彼女の場合は欲しいのに買えないとのこと。

上海でも安いノートPCなら2,000元くらいで買えるが、それが買えないということは、他のあらゆる場面でも金に困っていることが容易に想像できるが、ただ単に日々を生活するだけでも不満を抱かない人間であれば、この上海は快適かもしれない。そんな人もあまりいないとは思うが。

そんな懐かしい思い出話を書いてみたが、結局私は起業するつもりだったから、どう転んでも今頃は起業していたことには変わりないんじゃないかと思う。

ブログノススメ

2010-07-17 | 生活・色々
time is moneyとはよく言ったもんだ。
子供のころからその言葉は聞いていたけど、やっぱり大人になって仕事をするようになると意識が強くなってくる。でも、時間を意識せずに近くの公園で野球やサッカーを日が暮れるまでやっていたあの頃の時間感覚はどこへ行ってしまったのだろうか。

時代も変わるし人も変わる。まあ変わらない人もいるけど、それでも学んだことや時代の流れで変わっていくもんだろう。あのときこんなことを言っていた自分がいたけど、今思えば恥ずかしいことだなぁとかいう経験は誰にでもあるだろうし、私もそんなのたくさんある。自分はあまりにも幼かったと思えることで成長したと言えるのだろうか。

それは今現在にも言えることでもあるだろう。今、ブログに雑多なことを書いている私だが、数年後に自分で読み返したりしたときに、やはりあのときは小僧だったなぁと思うに違いない。私より色々な経験を積んでいる人から見れば、これもやっぱり「なんだこいつは、考えが足りんやつだなぁ」と思われることは避けられないんじゃないだろうか。

だからと言って書くことを止めることもないし、別に誰かに褒めてもらいたいだとか他人から見てどうのこうのを意識して書いているわけではないので問題はない。私にとってこのブログはただの記録であり、書くという作業でアウトプットして自分の行動や考えの輪郭をはっきりさせるための作業なのだろうと思っている。これは誰のためでもなく、自分のために書いていると言える。そう、こんな稚拙な文章でも少しは考えて書いているのだ。

紙に書く日記もいいだろうけど、ブログに書くことで不特定多数の人に読まれるという前提があるので、やはりそれも多少意識して書くことになる。だからある程度は人が読んでどう考えるかとか、読みやすい文章とはどんなものだろうかだとか、そんなことも考えることになるから自然と勉強になる。ブログはある程度定期的に更新しないと新鮮感がないし、更新されていないブログは、他人から見たら書くこと止めたのかと判断されかねないから、週1回とか少なくても月に1~2回とかは更新しなければ、著者は一体どうしたんだということになるだろう。

そういうこともあるので、やはり継続させるのがブログのひとつの特徴であり、これにより物事を続けるという継続力もつくようになる。終了や休止宣言などをするなら別として、そもそも、ブログのような簡単なものすら継続できないで一体何を継続できると言えるのだろうか。と、一応ブログを継続できているから少しは説得力があるはずの私が言ってみた。

私なんかは学が無いほうだから、自然と勉強をしたくなるのかもしれない。人は自分に無いものを欲するから、見方によっては、おそらくそういうことなんじゃないかとも考えられる。勉強と言っても、数学なんかを参考書片手にやるのは苦手だが、世の中にある多くのものに好奇心を持ち、少しでも疑問に感じたことは解決するようにしているし、それには勉強が必要だ。それには当然仕事に関係することもあるし、これが自分の役に立つのかと言われれば、すぐには役に立たないだろうといったこともある。

ブログを書くこと自体に疑問を投げかける人もいる。うん、書くも書かないもまったく自由であり、書きたければ書くわけだし、書く意義がないと思えば書かなければよく、何もブログを書く必要もないわけだ。しかし、ブログのような不特定多数に読まれるという前提のある場所に定期的に文章を書くという行為は、なるほど勉強になるなぁとたまに思う。time is money、つまり時は金なりと言うと、何か時間を無駄にしないために効率的に物事を運んだり時間の節約に努める姿を想像しがちだ。しかし、時間もかかり地道で面倒だと思われがちなブログを書くという行為は、自分へのフィードバックに大いに貢献する有意義な時間の使い方であり、結果としてtime is moneyに十分に合致しているものだと思うわけだ。

杭州へ小旅行

2010-07-07 | 生活・色々


画像/西湖のほとりにあるベンチで1時間ほどくつろいで、存分にまったりを満喫した。


■杭州で結婚式をやるというので行ってきた。なんと木曜日にやるというからこれは大変。どうにかスケジュールを前倒しして、当日は朝の1時間だけ仕事をしてから上海南駅へ。そこから新幹線に乗り、杭州駅まで約1時間半。友人から、具体的な開催場所の連絡が2日前だったので、前売り券も買えなかったから当日券を買おうとすると30分も並ぶことに・・。ようやく買えたが1時からの出発で、杭州の西湖近くのホテルに着いたのが4時近く。着替えてすぐに出かけたがなぜかタクシーが捕まらず、会場入りしたのは5時半頃。

さっそく紅包(ホンバオ)というお祝い金を受付に渡す。紅包の裏に「100万元入り」と余計なことを書いておいた。受付の人にもこのくだらないジョークを見せようと軽くアピールしたが、よく理解できない様子だった。ジョークが通じないときに感じる妙な気まずさをサラッと味わったが、めげずに新郎に挨拶。久しぶりだったのだが、あんまり嬉しさを表現してくれなかったので、きっと人生初の大イベントで緊張しているのだろうと思った。

と、思いながら新郎新婦と写真撮影をしてもらおうと、他の人たちと新郎の交流を見ていると、なんだか私とはずいぶん違う対応をしているじゃないか。せっかく君のために上海から来たのに、一体どうしたんだろうと軽い疑問を抱く私。サシでも飲んだりしてまあまあよく付き合った方だとは思っていたけど、相手はそうまで思っていなかったのかなぁと考えていたら、私の席は、新郎新婦と一緒の一番メインの席だった。う~ん、よくわからないが、思い過ごしのようだったということだろう。私のことも考えてくれていたようでよかったよかった。

それで、式はわりと日本式に近い感じで、照明や音楽を考えて演出されていた。さすがに、ご両親へのお涙頂戴お手紙などはなかったが、全体的によい結婚式だったのではないだろうか。後半、わりと宴会モードになってきたときには、子供が舞台に上がったりなど、自由な式が中国らしいと改めて感じた。

しかし、何が一番驚いたというと、知っている人が3人も参加していたことだ。元某日本語雑誌営業マンと貿易会社マネージャーに、コンビニの組織経営会社社長。3人とも酒を交わした仲だったが、まさか杭州で知人3人にも会うとは、いやはややっぱり日本人ネットワークは狭い。

式が終わった後、その社長と近くに座っていたノルウェー人、それに日本人2人でバーに繰り出した。そのノルウェー人は、上海の五角場でレストランを経営している人なのだけど、中国語がけっこう話せる。バーにいる間、1時間くらいは彼と話したと思うが、彼の中国語と私の中国語レベルはほぼ均衡していて、外国人同士で妙にスムースに会話が成り立っていた。途中、彼が目ぼしい女性を見つけ、ナンパしようとしていたのだけど、チャンスを掴み損ねて悔しそうにしていたのが笑えた。

翌日は夕方までのフリータイム。まずは昼食のために美味そうな店を探し、人が多く入っているお店に。カエル料理とよくわからない1品を注文したが、肉厚でなく、あまり美味しくなかった。有名な西湖を見に行こうとタクシーを探す。1分に5台くらいは目の前を通るが、やはり満車ばかり。このあたりはタクシーが捕まりにくい場所なのか?



タクシーを捜して早10分が経過したとき、目に飛び込んできたのは、ぴっちり短パンと素肌にノースリーブ革ジャケットにポリス帽子をかぶったおじさん。この綺麗な杭州の町並みに不釣合いなこのおっさんはなぜこんなファッションなのか。ゴミをあさっていたので、ホームレスか乞食なのだろうが、奇抜というか、エキセントリックなファッションだった。

杭州駅はお世辞にも綺麗とは言えなく、地下構内などは薄暗かったりやってるのかやってないのかわからないような売店が目立ったりと、私の中の杭州のイメージとは違ったが、少し駅から離れると街並みが綺麗なことがわかる。道路も比較的清潔で、ここのところは上海とは違うなと感じた。上海にはいたるところにあるピンサロのような店も皆無に等しい、というか1軒も見なかった。これは風俗の規制が厳しい証拠だろう。

「唾を吐かないで」というメッセージの看板や、夜になると飲酒運転撲滅のための電光掲示板を何箇所でも見た。こういう要素からすると、杭州市政府の政策というのは、少なくとも景観や社会秩序に関しては、クリーンな杭州を目指しているようだということがわかってくる。また、車や人が多いのは上海と同じだが、上海と同じかそれ以上に高級車が多いと感じた。杭州にも金持ちが多いとは聞いていたが、車もそれを反映してのことなのだろうか。やはり、上海以外の場所も色々と見てみると勉強になる。

画像/右上に見える中国語が「唾を吐かないで」(意訳)


それで、ようやくタクシーをゲットして西湖へ。軽く散歩したあと、1時間ほどの西湖のほとりのベンチでまったり。1メートル先に、雄大な西湖が180度の光景が広がる。水の音が心地よい。i podで音楽を聴きながら目の前の大自然を見ていると、過去のことやこれからのことを色々と考える。これから、たまにはこういう時間も取ったほうがいいのかもしれない。それに、山々の景色と風情ある小船の取り合わせは、そのまま絵画にしてもいいくらいだろう。久しぶりに自然を感じながら満喫した休日だった。

車好きなひととき

2010-06-15 | 生活・色々
画像/SKODA superb マツダのユーノス500とジャガーの雰囲気を取り合わせたようなデザインが美しい。



■実は私は車がけっこう好きだ。20歳くらいの頃は、親のブルーバードを乗り回し、オートマなのに山道をガンガン走っているうちにガタが来てお陀仏となった。これは別に私が壊したというわけではないだろうが、わりとご老体にムチ打っての走行だったので、寿命を縮めてしまったのは確かだろう。しかも、最期は家の駐車場に安置し、葬儀屋よろしくレッカーのお迎えを待つ間も、私はヘッドライトやフォグライトの電球を抜き取った挙句、レンズを戻さず放置していたので、まるで路上に捨てられた廃車が赤の他人に部品を次々と取られてしまったような姿になり、自分でやっておきながら可哀想なことをしたなぁと思ったものだった。

何年か後、そのブルーバードに感謝の別れを告げ、自分で買ったのはマツダのセンティアのエクスクルーシブだった。顔面は少々ブタのような感じもしなくもないが、全体的に流麗なボディがなんともいえない質感を醸し出している車だ。当時、センティアはマツダのフラッグシップカーで、私が買ったのは初代のセンティアだった。

2代目センティアはデザインがてんで美しくなく、これならクラウンのほうがまだいいだろうと思えるシロモノだった。しかも、2代目センティアはバブルの頃の初代センティアのように金がかかっていないので、インテリアもだいぶ簡素化され、エクステリアもかなりオリジナリティを失っていたので、まったく魅力を感じなかった。下手にトヨタのような受けいれられやすい押し出し感のあるデザインに方向転換したようだが、なんのアイデンティティも感じられないつまらない車に成り下がっていた。初代センティアはある程度の人気を得たようだが、それでも一般的なカーユーザーから特段の支持を得られるような車でなかったのではないだろうか。

それは、まずデザインの特徴が大きく影響していて、やはり独特なノーズと低めのルーフ、そして何より日本人に受け入れられにくい少し尻下がりボディがユーザーを選んだのだろう。尻下がりについて言えば日産のレパードJフェリーは海外からの評価が高かったものの、日本人にとってのわかりやすい高級車の基準に合致していなかったために売れなかった。実際はそれほど小さいわけでもなく、相当よく作られた高級車なのだが、尻下がりでなおかつ丸みを帯びたデザインは全体が小さく見えやすく、ブタ顔も影響したのだろうが日本では理解されない結果に終わった。

内装のセンスのよさに加え、私はあのボディデザインは日産の中でもベスト5くらいには入る傑作だと思っている。しかし当時の日本では、「いつかはクラウン」が「いつかはセルシオ」に交代しているくらいで、やっぱり高級車は大きくがっしりと高級車然としてなければ一般的カーユーザーからは認めてもらえず、日本ではなかなか理解されない。

センティアもしかりなのだが、横幅1.8メートルで長さが4.9メートル以上もある車というのは、日産プレジデントやインフィニティQ45、トヨタのセンチュリーなどの一部車種に限られ、そうそうない大きさの車にも関わらず、あえて流麗なボディにしていることで、クラウンのようなわりとカクカクしている車より大きく見えない。しかし当時のマツダのラインアップを見ればわかるが、ユーノス500などに代表されるマツダのデザインは美しくもかなり独特なもので、他メーカーのものと一線を画すものだった。

私はもともとユーノス500やセンティアのデザインに心惹かれていたが、後になって、自動車デザイン界最大の巨匠であるジウジアーロがユーノス500を見て「小型クラスでは世界で最も美しいサルーン」と評したり、センティアは海外の評論家から特に評価が高かったということを知り、私の目もそれほど悪いものではないなと一人で納得していた。この2つの車は、今でも乗りたいと思える本当によいデザインだ。

それで、今は何がいいかというと、上海で最近目にするフォルクスワーゲン子会社になったチェコのSKODAのsuperbがいいと思っている。この車のデザインはジャガーの持つ静かな威厳と優雅さを併せ持っている。やはり日本人には(私も日本人だが)好き嫌いがかなりわかれるであろう車だと思う。ノーズはあまり高くないし、後方も少し尻下がりになっているので、それほど大きくは見えない。実際に見ればわかるかもしれないが、この車の持つ雰囲気がたまらない。

ということで、もし私が上海で車を買うとしたら、他の高級車を差し置いてこのsuperbにしようと思っている。車両本体価格は20万元くらい(約300万円)なので、それほど高くは無いから買えるが、上海はナンバープレートの取得に40万円とか50万円もかかるのでそれが嫌だ。でも、上海でも走行できる他省のナンバーも取得でき、これだと数万円なので問題はないが、高速などがラッシュ時には通行できないというネックがある。

どちらにせよ、上海は地下鉄が便利だし、夕方なんかの時間に無闇に運転しているとすぐに渋滞に巻き込まれるので公共機関のほうが速い場合も多い。だから、車を買っても平日を休みにしてどこかへ出かけるとか、混雑しない時間にどこかへ運転していくということならいいが、ただでさえどこから人やバイクが出てくるかわからない、変なドライブゲームをしているような上海交通事情の中では気持ちよく運転できそうにないが、それでも買うとすればsuperbになりそうだ。

上海での楽しい出会い

2010-06-09 | 生活・色々
画像/上海の五角場にある中国検索大手の百度オフィスへ見学に行ってきた。日本でも検索サービスを開始したが、日本人はあまり使わないのではないだろうか。



■先日、KTVに行ってきた。
・・・・。KTVとは、日本でいう女性が隣に座るクラブのちょっとお下品バージョンのようなところで、店によって多種多様なムフフなサービスがあるところ、だと私は解釈している。店によっては、というか多くの店がお持ち帰りをサービスのひとつとしてやっているようで、もちろんそれにも値段がついている。

私がお持ち帰りをするのは、ほっかほっか弁当くらいで、普段はそういうお店には足が向かない。行ったら行ったで楽しいわけだけど、基本的にそういうところに行くくらいなら、普通の飲み屋で会話を楽しんだほうがいいと思っている。そのほうが安いし会話もたくさんできるし楽しい。しかし、KTVはKTVで場合によりそれなりによい交流の場になるのかもしれない。

今回、なぜKTVに行ったかというと、日本で知り合ったSさんが2ヶ月ほど前に中国に移住されて、最近になって上海を訪れた。以前に飲んだときは、下北沢の居酒屋だったが、所変わり上海の居酒屋。下北沢から上海とは、いやはやなんともおもしろい。しばらくぶりなので、合計4人で飲みましょうということになった。

彼と私以外のメンツはというと、大阪の貿易会社の課長と中国現地法人の大手日系企業の総経理。上海の古北にある「葵」という飲み屋で楽しんだのでだけど、刺身がかなり旨く、しめサバなどは久しぶりに旨いと感じた。遅れていったので、あまり多くの料理を食べることはできなかったが、新鮮な美味しい刺身を食べたかったらオススメの一軒だろう。

今回、上海に来たSさんは、中国で就職したはいいが、ついこの前に仕事を辞められたようで、さらに前に進むべく次の仕事を探しているとのことだった。私は求人に関するビジネスもしているので、そっち関係の仲間に当たってみて、できるだけSさんのお役に立てればと思ったのも束の間、それ関係の仲間が集まる飲み会で聞こうと思ったのにすっかり忘れて聞き損ねた。

Sさんは、とてもパワーのある人なので、いざ自分の目標に近づける仕事が見つかったら、きっと邁進してガンガンやっていくのだろうと思う。あまり細かいことは聞いていないが、次回に飲みに行くときにでももっと詳しく聞いてみたい。

大阪の貿易会社の課長とは2回目で、相も変わらず元気でやってらっしゃるようだった。大阪人パワーのようなものを感じ、旺盛なビジネス精神で溢れているようだった。2軒目がKTVということもあり、あまりたくさんの話はできなかったが、また次回にお話させていただきたい方だ。

現地法人の日系企業の総経理も、その道1本でずっとやってらっしゃるようで、表も裏もすべて知っているのだろう、その企業の柱というのは何かということを少しだけ聞かせていただいた。これまた少ない時間だったが、企業の中だけに終わらないその方の熱い魂を感じた。

その総経理の会社は、世界トップクラスの、日本人なら老若男女問わず誰でも知っているであろう企業だ。おおげさに言えば、というか現実的に考えても彼が誘拐されて会社に身代金を要求されてもいいくらいの立場なわけで、そうなったら確実に新聞の一面にデビューしてしまうことは容易に想像できる。私が誘拐されても、せいぜい新聞の中面で短い文だけだろう。「中国 毛深い邦人が誘拐される」。こんな感じかも。

私のような社会的に何の地位もない人間が、そういう方と会話できるというのはとても光栄なことだとは思うが、大切なのはそこではない。どんな企業の人であれ、そういう方が、今までどうやって難局を乗り越えてきたか、その決断の時にどう舵をとったのか、そういう生の教科書とも言えるようなことを聞けたりすることが楽しい。そういうことを経験してきた人が、一体今何を考えこれから何をしたいのか。そういう話というのは、お金には代えられない価値があるはずだ。だいたいの場合、彼のような経験を経て来た人の思考というのは、余計なことはそぎ落とされ、本質を見る眼差しと回路が自家生成されているのだろうと思う。

また次回、4人でポジティブかつ楽しい話をしながら酒が飲めたら最高だ。こんなよい出会いをくれた上海に改めて感謝しなければならないなぁ。

伊勢丹のアニキの送別会

2010-05-27 | 生活・色々
画像/先日、友達のお店のパーティに招待され、いまや新天地よりも人気観光スポットの田子坊に行ってきた。1、2階を貸しきっての楽しい一夜だった。上海に行くときに、お勧めの場所。



■上海に来て1年目くらいのときにお会いした人。昨日の夜は、日本人の間でもけっこう有名なBar「shangty」で、彼の送別会があった。この店の存在は知っていたが、初めて行ったら扉に1文字の漢字が書いてあるだけだったので、一瞬わからなかったが、Barらしき店はそこだけだったのでとにかく入ってみた。

送別会の主役であるアニキは、伊勢丹上海の取締役社長で、上海にはもう6年半もいるとのことだったが、どうやら上海でのお勤め任期は終了のようで、日本での仕事が再び始まるらしい。こうして仲間が帰ってしまうことになると、やっぱりなんだか寂しい気分は拭えない。

伊勢丹さんらしく、会にはアパレル関係の方が多く来ていた。といっても15人くらいだったが、最近、上海に店を出したFrancfrancのマネージャーも来ていたので、色々と興味深い話ができた。Francfrancを運営する会社はBALSさんというのだけれど、バルスと聞くと、どう「天空の城ラピュタ」を思い出してしまい、そんな小ネタも交えながら楽しく酒を飲めた。

他には、23区ブランドで有名なオンワード樫山の方が3人来ていた。オンワード上海には友達がいるので、友達の名を挙げてみたら知っているとのこと。当たり前か。友達のほうは、オンワードで設計をやっているらしいが、詳細はあまり聞いたことがない。今度この話を交えて聞いてみたいと思う。

それで、今回行ったshangtyだけど、2階建てのとってもオシャレなBar。カウンターには美人のロシア人が接客をし、フロアにはこれまた可愛い日本人女性が。ってそんなことはどうでもいいが、美味しいお酒と新しい多くの出会いでとても楽しい夜だった。

伊勢丹の人で、以前スペインとドイツに駐在していた方と話した。彼が言うには、ドイツは何もかもがきっちりしていて、スペインはいい加減だと。これは私も知っていたが、スペイン人のいい加減さというのは、どうやら中国とかなり似ているらしい。なんとなく知ってはいたがちょっと驚いた。ロシア人がいい加減だというのはよく聞くが、スペイン人もそこまでとは。

取引先の工場の従業員が妊娠したということで、納期が大幅に遅れるということを言われたらしく、それではお宅の工場では妊娠者が出るたびに納期が遅れるのか?という話になったようだ、というか当然そういう話になるだろう。私の取引先については、妊娠者が出たから納期が遅れるということはまだ言われていないが、今までの状況からしてこのようなことは十分起こり得ると思っている。

お世話になったアニキは帰国だけど、これでまた色々な人と出会えた。アニキも遺言(自分で言ってた)を残したし、日本へ行ってからも精力的に活動されることだろうと思う。

ひろゆきさんと勝間和代さんとの対談

2010-05-23 | 生活・色々
画像/地下鉄徐家汇駅の9号線乗り換え通路。とても広くて気持ちがいい。上海はどんどん新しいものを取り入れ、日本よりも発展している部分もある。



■巨大掲示板群の2ちゃんねる創始者でニワンゴ取締役の西村博之さん(ひろゆき)と経済評論家の勝間和代さんが、少し前にBSジャパンの「デキビジ」とういう番組で対談したのを観た。私は普段あまりTVを観ないが、勝間さんがどういうことを喋る人なのか、以前から少し興味があったので今回は観てみた。

対談の模様はこちら ニコニコ動画より
動画をアップすると、削除要請が出るので静止画と音声にしているのだ思う。この静止画もいつ削除されるかわかないので、アクセスできなくなっていたら、削除されたと思ってください。


たまに日本へ帰る時、電車の中の広告や本屋で、何回も勝間さんの顔を見たことがある。ああこの人は最近売れてる人なんだぁという印象。本の内容を見てみると、なにやら勝ち負けなんたらと書いてある。そしてビジネス、起業がわりとテーマになっているらしい。どうにもこうにも勝ちに行きたい、勝つべきだ、とういうようなことを言いたいのが伝わってきた。

時代に合っているのだろう。しかし、私は賛成できないなと感じた。起業、ビジネスがテーマなのは別にどうでもいいが、私が思うに、このような人はわりと刺激的なメッセージを送ったり、能動的な方向で本を書いていたりするが、リアルな行動の結果が見えない。つまり、脳みそに勉強してきたことがたくさん詰まっているのかもしれないが、色々なことを言いすぎている上に、一体何がしたいのかがよくわからない。

起業を強く勧めていることはわかるし、起業して、もしうまくいったら普通にサラリーマンをやっているよりは収入が多くなることもわかる。若者は起業するべき、とはいかにもポジティブで進取の精神を感じさせる言葉だ。いくら働いても給料の上がらない今の日本で、特に女性である勝間さんのようなメッセージはキラキラして見えるかもしれない。

勝間さんが代表取締役を務める「株式会社監査と分析」という会社のウェブサイトを見てみた。何を監査と分析をするのかよくわからないし、なにやら自分をアピールするためのウェブサイトのようだ。だからと言って、その会社がうまくいっていないだろうとは思わないが、素直に感じたのは、企業のためのウェブサイトではないなということ。

それで、勝間さんとひろゆきさんとの対談だけど、どうやらバトルになっていた。ひろゆきさんは、けっこう冷静でいつもの感じで話してるように見えたが、勝間さんはどうしてもひろゆきさんの考え方を一旦受け止めることもしたいないらしく、一つひとつの会話で勝ちたい、論破したいというのが画面を通して十分伝わってきた。対談というのは、勝ち負けではないと思うが、勝ち負けを言うなら、最初から最後まで勝間さんが負けていたのは明白だ。

私は勝間さんのことを深くは知らない。人の性格というのはそうそう変えられるものじゃない。今までああやって、どうがんばっても持論に沿わない相手には「だめだこれ」と言い放ち、相手の意見を尊重しないような話し方をしていたのだろうか。確かに著作などを見てみても、強いメッセージが多く、独立願望のある人を魅了させるだろうし、具体的統計などの数字を挙げることも多い。でも、どうも実際に行動に移す人が見て、なるほどと思えるような内容とは少しずれているんじゃないかなと思う。

私が思うに、勝間さんの著書というのは、起業をしてみたいし色々なビジネス本などを買っみたりはするが、実際には行動するまでいかないという層からの人気が高いのではないかなと思っている。日本でも昔に比べ、起業する人がだんだん多くなって来ているようだが、願望はあっても行動が伴わない人が圧倒的だろう。むしろ、それが一般的なケースだと言える。

だから、こういう願望を長年持ちつつも丁寧に墓場まで持っていく人たちに多く読まれるのは当然のことで、逆に起業をして四苦八苦しながら進んでいる人たちには、あまり意味のないカテゴリーに入るのだろう。

私も、10年も前だったら勝間さんの本に魅力を感じていたかもしれない。しかし私は、故・松下幸之助氏や船井幸雄先生、邱永漢先生を筆頭に、彼らの言う何事も実践しながら学び進んでゆくという考えに賛成し魅力を感じる。勝間さんも色々と社会的に素晴らしい人とされているようだが、少なくともあの番組を見る限りでは、支離滅裂なことばかり言う女性だなぁというのが素直な感想だった。おそらく、ひろゆきさんのような人たち、つまり確固たる自分があり、明瞭でストレートな考え方の人たちに対しての免疫というか、それに対応できる余裕を持ち合わせていなかっただけのことだろうと思う。

勝間さんの言う起業、成功とは何なのだろう。ひろゆきさんもそこを聞いていた。「お金持ちにならないと不幸になるんですか?」と。勝間さん曰く、そういうわけではないらしいが、起業をすれば会社をリストラされるなどの危険も回避できるナンタラと。それはそうかもしれないが、基本的に起業のほうがよほどリスクが高いという前提は彼女の思考にはないのだろうか。その心を説くことなしに、時代が時代だからと言って起業ばかりを強引にすすめるということは、人々の幸せには様々な形があるということをスッ飛ばしているように見える。

彼女のプライベートは、ずいぶん前よりうまくいっていないらしい。そのことが彼女に思考に色濃く出ているのではないかということが推察できるが、詳しくは触れない。



人は何のために起業するのだろうか。それはもちろん成功したいからだろう。ひとつ、私も賛同するわかりやすい成功の定義がある。


「成功とは、他人の権利を尊重し、社会正義に反することなく、自ら価値ありと認めた目標(願望)を、一つひとつ実現していく過程である。」一部略   Napoleon Hill



成功というのは、事業で成功するだけのことじゃない。起業なんかしなくても、自分が考えるいい人生を送ることができれば、それでいいじゃないか。