画像/日本から上海の途中で。
■ 2008年から上海生活を始めて5年が経った。
上海外国語大学への半年間の留学。留学はビジネスが絡まないので仲間とも純粋に楽しかった。その後中国企業で1年半の現地採用での就業では3つの会社を渡り歩いた(笑)。マーケットリサーチ会社では中国語は今のあなたのレベルでよいという前提での入社だったが、入社後に「そのレベルではだめだ」となり退職。人材紹介会社では倒産危機で給料が出せなくなるとのことで退職。総合パッケージング会社では合意したはずの給料額を入社後に一方的に変更してきたことでこちらも譲らず退職。
当時の私にとってみると、2度「騙された」ことになる。まあ人材のほうでもなかばそのような感じはあったが今さらどうでもいいことで、思い出すとあまり気分はよくないが苦笑する程度の懐かしい思い出だ。どう約束しても後で覆して物理法則を無視するかの如くのどんでんがえしを得意とする中国人。みんがみんなじゃないけどね。「騙された」のは明らかに私なのだが、彼らは騙したわけではなく、あまり悪気のないご都合主義に基づくわりと一方的な交渉のようなものなのだ。しかし当時は今ほど中国人を知らなかったので完全に騙された気分になる。当然中国人への信用度は下がる一方で嫌いになる。なぜ中国人は嘘ばかりつくのか?なぜ中国人には道理がないのか?なぜ中国人は動物のようで理性が効かないのか?と、そういったマイナス感情に囚われていた時期もあった。
当時の私は疑心暗鬼でほんの一時期だがノイローゼ気味になった。ああ、人ってこうしておかしくなっていくのかなと考えたものだ。空に向かって「中国人のバカヤロー!!!!」と全力で叫んだこともあった。悔しくて理不尽でどうしようもなく涙も出てきた。酒に酔っては帰路で中国人の悪口を大声で叫んでいたことも覚えている。こんなふうになって中国が嫌になり帰った人を私の周りだけでも何人か知っているし、知らない人のなかでもたくさんいると思う。しかしそれでも私は帰国は考えたことはなかった。中国人に負けない、上海でビジネスを軌道に乗せる、それは自分に勝つということだからだ。
そうして色々あり当時の感情はさておき、どんなことでも勉強になった。自分の肥しにした。それに私は中国企業に限定して働いていたので、そのおかげで中国人の考え方もよく勉強できたし中国語のためにもよかった。そのために限定していたわけだが。もちろん駐在員は別だが、中国に来て日系企業で働く場合は、よほど待遇がよい場合か本人に何か目的がある場合でなければ避けたほうがいいと考えている。日系企業に入ると一般的に上司は日本人であり、周囲の中国人は日本語を喋れる傾向が強く、これでは中国語勉強のためによいとは言えない。それにどこかしらで中国人のやり方というものを制限されている場合もあり、本来中国でもっと学べることを逃すことにもなりかねない。
しかし、中国語でもなんでも最終的には本人のやる気次第でどうにでもなるわけだが、やはり環境も大事。もしこれから中国で働こうと思っている人がいたら、自分の目的達成のために役に立つ環境を選ぶことが大事だと言いたい。少しくらい給料がよかったり通勤便利だとか諸々の待遇で決めるとか、そういうつまらないことをしてはならない。ずっと会社勤めで無難にいきたいという場合ならそれでもいいのかもしれないが、自ら外国に働きに行くとなれば何かしらの志があるはずだしあると思いたい。
久しぶりにブログを書いたら感慨深くなり色々と振り返ってみたくなった。
約3年前に今のビジネスを開始してわりとすぐ軌道に乗った。それはもちろん事前のリサーチを入念にしてイケる確信があったからわけだが、売り上げもどんどん上がった。正直な話、大金持ちになろうとか会社を上場させようとかそういうことは考えていないし、そこまでしたいとは思っていない。もう少し売り上げを上げてある程度は拡大してゆく考えはあるが、手の届きそうな範囲でいいと思う。無理はしない。不可能を可能にしようとか思わない。可能なものは最初から可能であり、不可能だと思い込んでいることに不可能の原因があるんじゃないか。その意味で可能なことで近いところからやっていくことが大事だと考えている。
私は自信家だ。相手によっては偉そうだとか生意気だとか捉えられるケースもあるがそれは仕方ない。100%の人と波長が合うわけはないし、後日見方を改めてくれることもある。もちろん謙虚にも振舞えるし謙虚な姿勢は大切なことだと思う。でも、自信家はなぜ自信家なのか。それは、小さな成功体験の積み重ねが自信をつけるのは確かなこと。それとは別に、自信持ってやっていかないとできないこともある。自分が自分の人生を切り開いてゆくわけでしょう。自信を持って進んでいること、自信をもって生きていること。それが自然と表にも出る。偉そうにしたいとかそういうことではなく、他にへつらうことなく自分持って堂々生きること。大事なことだと思う。謙虚な気持ちも忘れずにね。
日本出発から今まで。その小さな成功体験の後押しをしてくれた先輩方、友達、家族。日本で鍛えてくれた鬼軍曹(自衛隊ではないけど)や上司。助け合った同僚。それにこっちでは取引先のみんなにも色んな意味で世話になってる。そして私の人生の師である邱永漢先生。感謝、感謝です。
まだ上海でビジネスは続けるけど、違う動きも加えていく予定です。またブログで報告でも。
■ 2008年から上海生活を始めて5年が経った。
上海外国語大学への半年間の留学。留学はビジネスが絡まないので仲間とも純粋に楽しかった。その後中国企業で1年半の現地採用での就業では3つの会社を渡り歩いた(笑)。マーケットリサーチ会社では中国語は今のあなたのレベルでよいという前提での入社だったが、入社後に「そのレベルではだめだ」となり退職。人材紹介会社では倒産危機で給料が出せなくなるとのことで退職。総合パッケージング会社では合意したはずの給料額を入社後に一方的に変更してきたことでこちらも譲らず退職。
当時の私にとってみると、2度「騙された」ことになる。まあ人材のほうでもなかばそのような感じはあったが今さらどうでもいいことで、思い出すとあまり気分はよくないが苦笑する程度の懐かしい思い出だ。どう約束しても後で覆して物理法則を無視するかの如くのどんでんがえしを得意とする中国人。みんがみんなじゃないけどね。「騙された」のは明らかに私なのだが、彼らは騙したわけではなく、あまり悪気のないご都合主義に基づくわりと一方的な交渉のようなものなのだ。しかし当時は今ほど中国人を知らなかったので完全に騙された気分になる。当然中国人への信用度は下がる一方で嫌いになる。なぜ中国人は嘘ばかりつくのか?なぜ中国人には道理がないのか?なぜ中国人は動物のようで理性が効かないのか?と、そういったマイナス感情に囚われていた時期もあった。
当時の私は疑心暗鬼でほんの一時期だがノイローゼ気味になった。ああ、人ってこうしておかしくなっていくのかなと考えたものだ。空に向かって「中国人のバカヤロー!!!!」と全力で叫んだこともあった。悔しくて理不尽でどうしようもなく涙も出てきた。酒に酔っては帰路で中国人の悪口を大声で叫んでいたことも覚えている。こんなふうになって中国が嫌になり帰った人を私の周りだけでも何人か知っているし、知らない人のなかでもたくさんいると思う。しかしそれでも私は帰国は考えたことはなかった。中国人に負けない、上海でビジネスを軌道に乗せる、それは自分に勝つということだからだ。
そうして色々あり当時の感情はさておき、どんなことでも勉強になった。自分の肥しにした。それに私は中国企業に限定して働いていたので、そのおかげで中国人の考え方もよく勉強できたし中国語のためにもよかった。そのために限定していたわけだが。もちろん駐在員は別だが、中国に来て日系企業で働く場合は、よほど待遇がよい場合か本人に何か目的がある場合でなければ避けたほうがいいと考えている。日系企業に入ると一般的に上司は日本人であり、周囲の中国人は日本語を喋れる傾向が強く、これでは中国語勉強のためによいとは言えない。それにどこかしらで中国人のやり方というものを制限されている場合もあり、本来中国でもっと学べることを逃すことにもなりかねない。
しかし、中国語でもなんでも最終的には本人のやる気次第でどうにでもなるわけだが、やはり環境も大事。もしこれから中国で働こうと思っている人がいたら、自分の目的達成のために役に立つ環境を選ぶことが大事だと言いたい。少しくらい給料がよかったり通勤便利だとか諸々の待遇で決めるとか、そういうつまらないことをしてはならない。ずっと会社勤めで無難にいきたいという場合ならそれでもいいのかもしれないが、自ら外国に働きに行くとなれば何かしらの志があるはずだしあると思いたい。
久しぶりにブログを書いたら感慨深くなり色々と振り返ってみたくなった。
約3年前に今のビジネスを開始してわりとすぐ軌道に乗った。それはもちろん事前のリサーチを入念にしてイケる確信があったからわけだが、売り上げもどんどん上がった。正直な話、大金持ちになろうとか会社を上場させようとかそういうことは考えていないし、そこまでしたいとは思っていない。もう少し売り上げを上げてある程度は拡大してゆく考えはあるが、手の届きそうな範囲でいいと思う。無理はしない。不可能を可能にしようとか思わない。可能なものは最初から可能であり、不可能だと思い込んでいることに不可能の原因があるんじゃないか。その意味で可能なことで近いところからやっていくことが大事だと考えている。
私は自信家だ。相手によっては偉そうだとか生意気だとか捉えられるケースもあるがそれは仕方ない。100%の人と波長が合うわけはないし、後日見方を改めてくれることもある。もちろん謙虚にも振舞えるし謙虚な姿勢は大切なことだと思う。でも、自信家はなぜ自信家なのか。それは、小さな成功体験の積み重ねが自信をつけるのは確かなこと。それとは別に、自信持ってやっていかないとできないこともある。自分が自分の人生を切り開いてゆくわけでしょう。自信を持って進んでいること、自信をもって生きていること。それが自然と表にも出る。偉そうにしたいとかそういうことではなく、他にへつらうことなく自分持って堂々生きること。大事なことだと思う。謙虚な気持ちも忘れずにね。
日本出発から今まで。その小さな成功体験の後押しをしてくれた先輩方、友達、家族。日本で鍛えてくれた鬼軍曹(自衛隊ではないけど)や上司。助け合った同僚。それにこっちでは取引先のみんなにも色んな意味で世話になってる。そして私の人生の師である邱永漢先生。感謝、感謝です。
まだ上海でビジネスは続けるけど、違う動きも加えていく予定です。またブログで報告でも。
ありがとうございます。zuilongさんのアドバイスもあり、より良い道を選択して進むことができましたと思います。zuilongさんが上海にいらしてくださるときを期待しています!
はじめまして。こういうコメントでリンクがないのは珍しいですね。具体的に何かちょっとよくわかりませんけど、ご挨拶コメントなのでしょうね。ありがとうございます。