キリストからのメッセージ<愛知ソニア>
半分夢の中で、
「わあ、嬉しい!クリスマス前に祝福してくださるのかな」
と喜んだのですが、なんのその……ある意味で厳しい教えでした。
キリスト様が去った後、
ものすごい活力で身も心も満ちあふれていたので、
夫を起こし、キリスト様が伝えてくださった内容を
すべて聞いてもらいました。忘れないうちに書き残します。
語ってくださった内容はひと言でいうと、
「悪魔と対話をするな!
人間は悪魔を説得できるほど強くはない」
でした。
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人間は苦しんでいる人を助けようと心が動き、
どうにかしてあげたいと行動に移すでしょうが、
ほとんどの場合それは「偽善の愛」になってしまいます。
悪魔は愛に飢えている人の心に賢く理論的に忍び寄り、
やがてその人を食い尽くすのです。
自己虐待のパターンを作ってしまいます。
そうなると人は愛を求めて果てしない放浪を続けます。
どうにか愛を得たいと、注目を得るためにと、
できるかぎりのことをするでしょう。
しかし、いくら努力をしても満たされることはなく、
底なしに愛を他人の中に求め続けることになります。
愛を施す側もその人の心に宿った悪魔の雄弁さに
つい騙されてしまう羽目になり、
それにも気づかず、
ミイラ取りがミイラになってしまうのです。
挙げ句の果てには、
振り回されて疲れ果ててしまうことになります。
そのような形で生まれた同情は、
奉仕でもなんでもなく、
偽善の愛にすぎません。
ただ神と共に生きることを伝えるだけでいいのです。
あとは神さまに任せればいいのです。
その人が神の愛を受け取る受信機となるか、
ならないかは本人次第です。
受信機となれば、
周りの人々がその人にやってあげられることは、
神の力に比べれば微々たるものです。
その人が神から愛されることを受け入れないかぎり、
癒しも奇跡も起きえないのです。
ではどの程度、神を愛すれば良いのでしょうか?
それはアブラハムが、
「自分の息子を生け贄にせよ」
という神のお告げを聞き、
ようやく神への愛の証として
生け贄をアブラハムが決心したとき、
神にアブラハムの心が伝わり、
神は生け贄のお試しを辞められたという
聖書の話が答えです。
神を愛することは段階を経て、
神のお試しを受け続けます。
最終的にはアブラハムのように
究極の真剣さを試されることになるのです。
神を深く愛することによって、
神から愛される人間になれるのです。
分け隔てなく平等に。
これは人に教えられることではなく、
各自が自発的にそれを受け入れて、
素直に自らを神の手に委ねないかぎり、
他人にはどうすることもできません。
たとえ『神を愛します』と、
言葉で自分に言い聞かせ信じ込ませたとしても、
神にはバレてしまうのです。
それでは悪魔を追い払うことはできません。
悪魔は賢いです。
悪魔は身近に潜んでいます。
あなた方が理屈を並べ立てるときも、
今か今かとチャンスを狙っています。
静かに忍び寄ってきます。
気がついた頃には、
苦悩をあなたに与えています。
そういった悪魔の誘惑に囚われてしまわないように、
注意深く物事を見極める力を備えてください。
神をあなたがどれほど信頼しているかによって、
惑わされることは減ってきます。
ましてや、
悪魔を相手に口論しようなどと、
大それたことを考えないでください。
あなた方は自分が信じているほど強くはないのです。
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神との関係性を築いていく以外に
どうして生きられるものでしょうか?
このクリスマスで私が洗礼を受けて
キリストと共に歩む人生8年目です。
まだまだ学びは続きますが、
こうして忘れていた記念すべき洗礼の日に
夢の中に現われて教えを受けたことは、
私にとって最高の祝福すべき日となりました。
夢から覚めた今もまだ
震えんばかりの喜びに包まれている状態です。
マグダレーナ・ソフィア