Project Vegaさんより http://www.project-vega.org/2014/03/5_30.html
(1章序文より抜粋) この文章は様々な専門家が、インターネット、テレビ、本などで断片的に論じている出来事を集め、年代別に並べたSFである。可能な限り確実性の高い物的証拠やデータを優先的に集めているが、偽情報やノイズの判断が難しいこともある。特にチャネラーのチャネリングに頼った文章に関しては、本当かどうかは判断が難しい部分なので、この内容を鵜呑みにするのではなく、最終的には自分の頭で考え、確認して、正しいかどうか判断する必要がある。
5章 シュメールとアヌンナキ : 地球人のルーツ
(つづき)
アダムとティ・アマトのアフリカのアブズへの追放---------------------------------------------------
その後再び、アダマとティ・アマトはエディンの展示用ドームに戻されたが、それまで裸で無邪気に遊んでいた二人は羞恥心(しゅうちしん)というものを覚えたのか、大きな葉で陰部を隠す姿がモニターに映った。偶然にもそのときエンリルが生命の家を訪れ、モニターの画面に集中しているニンティとエンキに近づいた。その瞬間、モニターにアダマとティ・アマトに映った。彼らはいかにも見られていることを知っているかのように片手で陰部を隠しながら、もう片方の手をつなぎながら森の中に逃げていった。
「君たちは一体、何をしているんだ!奴隷を創造するという目的を忘れたのかね?次は服を着させて楽しむのかい?我々ニビル星人の大切な生命のエッセンスをどこまで無駄にするつもりだ!
私は最初から反対だった。“創造主”のような振る舞いに、私は反対だった!ニンマーとニンキを危険に曝し、君の作品は失敗したのに関わらず、我々の生命エッセンスの最後の小片を、これら畜生に与えてしまったのだ!ことによると、我々と同じ生命サイクルを授けてしまったのかもしれないぞ!」
エンリルは苛々して大声で怒鳴った。
「エンリル様、私たちの「寿命の枝」までは与えてはおりません。どうかご安心ください!」
ニンギシュジッダはオロオロしながら弁解した。しかし、これがさらにエンリルを怒らせてしまった。
「あの奇妙な獣たちをエディンから追放しろ!エディンの展示ドームはこれで廃止だ。さっさと奴らをアブズの現場に送るんだ!」
地球総司令官エンリルは、厳しい口調でそう命令してから帰っていった。
エンリルが果樹園を散歩していたので、聖書に於けるエデンの園は「知恵の樹」と「生命の樹」にある果実の例えとなっている。知恵の樹に絡まる蛇とは、責任者としてはエンキ、実質の実験者としてはニンギシュジッダ。「我々に似せて人を創ろう」と言った主はエンキだが、エデンの園において、アダムとイブを追放した主はエンリルのことである。決して、唯一絶対神などではない。エンキのシンボルは、魚と水瓶、水鳥、三日月、そして、ここでの蛇である。水は洗礼や「生命の水」に関係する。
神話における神々と人間の交配について---------------------------------------------------------------
ここで、「神々」と人間の交配について、シュメール神話と聖書の「創世記」を比較する。
A:シュメール神話
“10万年前に神々の子らと人間の娘が交配した。”
B:創世記
“当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。”
どちらも、神の子らと人間の娘が交配したことになっている。創世記から、神の子らとハイブリッド人類の女性との間で発生したのがネフィリムである。ヘブライ語のネフィリムはシュメール語ではアヌンナキと同意語であり、意味は“降りた者たち”である。よって、区別するなら「神々」がアヌンナキであり、アヌンナキと人類の女性とのハイブリッドがネフィリムとなる。表現上、ネフィリムは「神の子」の子なので「名高い英雄たち」となる。
また、創世記でイブが蛇に唆(そそのか)され、アダムとイブがエデンから追放される様子は、次のようにある。
“主なる神が創られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」女は蛇に答えた。「私たちは園の木の果実を食べても良いのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神はおっしゃいました」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神はご存じなのだ」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。2人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、2人はイチジクの葉を合わせ、腰を覆うものとした。
(中略)神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」アダムは答えた。「あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました」主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這い回り、塵(ごみ)を食らう。(中略)人は我々の1人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。”
この場合の“主なる神”とはエンリルであり、蛇とは人類に生殖能力=知恵を与えたエンキ(とニンギシュジッダ)である。そして「知恵」とは生殖能力だけではなく、最後の方にあるように、善悪を知り、「生命の樹」の奥義を知ることによって、魂が永遠に生きる=「神々」などの精神支配から開放される者となることでもある。「知恵」を与えた蛇は、そもそも地上を這うものなのに、「お前は、生涯這い回り、塵(ごみ)を食らう」と“主なる神”から言われ、矛盾している。これは、蛇が蛇そのものではなく、エンキだからである。エンキは人類に「知恵」を与えた賢者である。ならば、「知恵の樹」と「生命の樹」は「合わせ鏡」となる。「知恵の樹」と「生命の樹」を「合わせ鏡」とすることにより、秘密(封印)を解く鍵とした。これらはすべて、エンキの「知恵」によるものである。「合わせ鏡」によって、男神イエスが女神アマテラスに変化したように、呪われた蛇は「生命の樹」では呪いが解ける。そして、「合わせ鏡」ではないが「知恵の樹」の蛇は地に落とされて堕天使ルシファー=サタンの象徴とされてしまったが、実はサタンではなく、「生命の樹」を上昇して至高世界に達する蛇神である。
「生命の樹」では、マルクトからケセドまでの7個のセフィロト、6本のパス、合わせて13の段階を経ることにより、「知識の門」の前に達する。これ故、13は神聖数字なのである。そして「知恵」を身に付けることにより、「知識の門」を通過して精神的に神界=至高世界に達する。まさに、「知恵(の樹)」があってこその「生命の樹」と言える。エンキは人類に対する慈悲、エンリルは厳しさ、そしてアヌは天空の大神なので、「生命の樹」の各柱の対応は次のようになる。
「峻厳(しゅんげん)の柱」エンリル
「均衡(きんこう)の柱」アン
「慈悲(じひ)の柱」エンキ
エンリルの目はすべてを見通すことができ、エンキは“ニニギク(目の清い神)”と言われたことから、「生命の樹」の至高世界から覗く目は“すべてを見通す目”とされた。ただし、「生命の樹」においては、後ろ向きのアダム・カドモンの右側(慈悲の柱)が重要であるから、ヤハウェ=イエスに反映される“すべてを見通す目”は後ろ向きの右目=正面向きとした場合の左目の形であり、これが“エンキ=ニニギクの目”である。対して、左目=正面向きとした場合の右目は“エンリルの目”であり、人類に対する厳しさを表す。これが、後に改竄されて“エンリルの目”は“ルシファーの目”となった。生命の樹の上部3つのケテル、コクマー、ビナーからなる三角形は、至高の三角形と呼ばれ、ロゴスの三角形と呼ばれることもある。
また、“主なる神”エンリルは天使ケルビム=アヌンナキの見張りをエデンの園=アヌンナキの居住区に置き、人類が浸入できないように、きらめく剣の炎で守らせた。この剣は、レーザー光線銃あるいは司令塔から照らされるサーチライトの光である。
生命の樹と神道の神棚の関係-----------------------------------------------------------------------------
一般的な神棚の祀り方は、下記の通りまず、神棚自体の方位は、一般的に南向きか東向きに置く。つまり、下記のように神棚の背は、北か西に向けて設置される状態になる。
次にお供え物の配置は、通常、中央に「神鏡(しんきょう)」があり、両脇の左右に「榊(さかき)」と「お神酒(みき)」がある。
さらにそれらに併せて、毎日のお供え物として左から順に「水」「お米」「塩」と並べる。「水、米、塩」のお供え物は、色々な備え方があるが、基本的に『左が水、中央が米、右が塩』の配置は固定されている。これらの並びには重要な意味合いが込められており、この神棚配置は「生命の樹」そのものなのである。
生命の樹は、左から順に、峻厳(しゅんげん)の柱、均衡(きんこう)の柱、慈悲(じひ)の柱となる。神様を数える時に、一柱、二柱、、、と数えるように、それぞれの柱は神様を示している。神道の各柱は次のようになる。
峻厳の柱=神産巣日神(かみむずびのかみ)
均衡の柱=天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
慈悲の柱=高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
そして「塩」「米」「水」のお供えが、それぞれの柱に対応する。まず「水」は癒しの象徴で、したがって【慈悲の柱】=【水】に対応する。「塩」については、聖書においては神の裁きで滅ぼされた、塩の街(ソドムとゴモラ)の話のように、聖霊による裁きを示す。
<創世記19章24~26節>
主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
そういう意味で【峻厳の柱】=【塩】に対応する。漢和辞典で「塩」を調べると、下記のように書いている。
塩・・・篆文(てんぶん)で「歯+監」音符の監は厳に通じ、きびしいの意味。舌にきびしい刺激を与え、農耕にも適さない、しおつちの意味を表す
峻厳の柱は、聖霊による厳しい処罰をも表すので、まさに、峻厳の柱にお供えするのは「塩」が一番適している。
最後に、米については、米の漢字が左右対称になっているように、【均衡の柱】=【米】に対応する訳である。
しかも、この米の漢字を良く見ると、均衡の柱における"人間"、"美"を表す「ティファレト」の小径パスに、米の漢字が、そっくりそのまま対応しているのが分かる。
左:【峻厳の柱】=【水】
中:【均衡の柱】=【米】
右:【慈悲の柱】=【塩】
つまり左右逆になる。ここに神棚の祭具の「榊(さかき)」と「神鏡(しんきょう)」に意味がある。榊(さかき)を添える意味と、ご神体が鏡の意味は、榊(さかき)=逆木であり、「生命の樹を逆にして見よ!」と言う意味であり、鏡も榊(さかき)と同様に、「鏡映し(左右反転)で見よ!」という意味なのである。つまり生命の樹を見る時は、生命の樹自体を左右反転して考えなければならない。このように考えると、下記のようになる。
左:【慈悲の柱】=【水】
中:【均衡の柱】=【米】
右:【峻厳の柱】=【塩】
このように、神棚は生命の樹にそっくりそのまま対応する。左右反転して見ると言う事は、神道の奥義に通じるものである。天の岩戸伝説のクライマックスのシーンでは、そのことが記述されている。
天照大神が外が騒がしいと岩戸の中から覗いて見た時、賢木(さかき)の枝にかけられた八咫鏡に映った自分の姿を見て、神がもう一人いると驚いている所を、外からひっぱりだされて、天照大神が復活する。この時、榊(さかき)にかけられた鏡に映ったのは、左右反転した神の姿。つまり本来の神の姿は、榊に架けられた鏡の像を、左右反転させたものなのである。
オーストラリアのウォルフ・クリーク・クレーター--------------------------------------------------
この時期、オーストラリアの奥地に隕石が衝突し、直径約900m、深さ30mのウォルフ・クリーク・クレーターができる。
その後再び、アダマとティ・アマトはエディンの展示用ドームに戻されたが、それまで裸で無邪気に遊んでいた二人は羞恥心(しゅうちしん)というものを覚えたのか、大きな葉で陰部を隠す姿がモニターに映った。偶然にもそのときエンリルが生命の家を訪れ、モニターの画面に集中しているニンティとエンキに近づいた。その瞬間、モニターにアダマとティ・アマトに映った。彼らはいかにも見られていることを知っているかのように片手で陰部を隠しながら、もう片方の手をつなぎながら森の中に逃げていった。
「君たちは一体、何をしているんだ!奴隷を創造するという目的を忘れたのかね?次は服を着させて楽しむのかい?我々ニビル星人の大切な生命のエッセンスをどこまで無駄にするつもりだ!
私は最初から反対だった。“創造主”のような振る舞いに、私は反対だった!ニンマーとニンキを危険に曝し、君の作品は失敗したのに関わらず、我々の生命エッセンスの最後の小片を、これら畜生に与えてしまったのだ!ことによると、我々と同じ生命サイクルを授けてしまったのかもしれないぞ!」
エンリルは苛々して大声で怒鳴った。
「エンリル様、私たちの「寿命の枝」までは与えてはおりません。どうかご安心ください!」
ニンギシュジッダはオロオロしながら弁解した。しかし、これがさらにエンリルを怒らせてしまった。
「あの奇妙な獣たちをエディンから追放しろ!エディンの展示ドームはこれで廃止だ。さっさと奴らをアブズの現場に送るんだ!」
地球総司令官エンリルは、厳しい口調でそう命令してから帰っていった。
エンリルが果樹園を散歩していたので、聖書に於けるエデンの園は「知恵の樹」と「生命の樹」にある果実の例えとなっている。知恵の樹に絡まる蛇とは、責任者としてはエンキ、実質の実験者としてはニンギシュジッダ。「我々に似せて人を創ろう」と言った主はエンキだが、エデンの園において、アダムとイブを追放した主はエンリルのことである。決して、唯一絶対神などではない。エンキのシンボルは、魚と水瓶、水鳥、三日月、そして、ここでの蛇である。水は洗礼や「生命の水」に関係する。
神話における神々と人間の交配について---------------------------------------------------------------
ここで、「神々」と人間の交配について、シュメール神話と聖書の「創世記」を比較する。
A:シュメール神話
“10万年前に神々の子らと人間の娘が交配した。”
B:創世記
“当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちのところに入って産ませた者であり、大昔の名高い英雄たちであった。”
どちらも、神の子らと人間の娘が交配したことになっている。創世記から、神の子らとハイブリッド人類の女性との間で発生したのがネフィリムである。ヘブライ語のネフィリムはシュメール語ではアヌンナキと同意語であり、意味は“降りた者たち”である。よって、区別するなら「神々」がアヌンナキであり、アヌンナキと人類の女性とのハイブリッドがネフィリムとなる。表現上、ネフィリムは「神の子」の子なので「名高い英雄たち」となる。
また、創世記でイブが蛇に唆(そそのか)され、アダムとイブがエデンから追放される様子は、次のようにある。
“主なる神が創られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」女は蛇に答えた。「私たちは園の木の果実を食べても良いのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神はおっしゃいました」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神はご存じなのだ」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆(そそのか)していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。2人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、2人はイチジクの葉を合わせ、腰を覆うものとした。
(中略)神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」アダムは答えた。「あなたが私と共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました」主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は、あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這い回り、塵(ごみ)を食らう。(中略)人は我々の1人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。”
この場合の“主なる神”とはエンリルであり、蛇とは人類に生殖能力=知恵を与えたエンキ(とニンギシュジッダ)である。そして「知恵」とは生殖能力だけではなく、最後の方にあるように、善悪を知り、「生命の樹」の奥義を知ることによって、魂が永遠に生きる=「神々」などの精神支配から開放される者となることでもある。「知恵」を与えた蛇は、そもそも地上を這うものなのに、「お前は、生涯這い回り、塵(ごみ)を食らう」と“主なる神”から言われ、矛盾している。これは、蛇が蛇そのものではなく、エンキだからである。エンキは人類に「知恵」を与えた賢者である。ならば、「知恵の樹」と「生命の樹」は「合わせ鏡」となる。「知恵の樹」と「生命の樹」を「合わせ鏡」とすることにより、秘密(封印)を解く鍵とした。これらはすべて、エンキの「知恵」によるものである。「合わせ鏡」によって、男神イエスが女神アマテラスに変化したように、呪われた蛇は「生命の樹」では呪いが解ける。そして、「合わせ鏡」ではないが「知恵の樹」の蛇は地に落とされて堕天使ルシファー=サタンの象徴とされてしまったが、実はサタンではなく、「生命の樹」を上昇して至高世界に達する蛇神である。
「生命の樹」では、マルクトからケセドまでの7個のセフィロト、6本のパス、合わせて13の段階を経ることにより、「知識の門」の前に達する。これ故、13は神聖数字なのである。そして「知恵」を身に付けることにより、「知識の門」を通過して精神的に神界=至高世界に達する。まさに、「知恵(の樹)」があってこその「生命の樹」と言える。エンキは人類に対する慈悲、エンリルは厳しさ、そしてアヌは天空の大神なので、「生命の樹」の各柱の対応は次のようになる。
「峻厳(しゅんげん)の柱」エンリル
「均衡(きんこう)の柱」アン
「慈悲(じひ)の柱」エンキ
エンリルの目はすべてを見通すことができ、エンキは“ニニギク(目の清い神)”と言われたことから、「生命の樹」の至高世界から覗く目は“すべてを見通す目”とされた。ただし、「生命の樹」においては、後ろ向きのアダム・カドモンの右側(慈悲の柱)が重要であるから、ヤハウェ=イエスに反映される“すべてを見通す目”は後ろ向きの右目=正面向きとした場合の左目の形であり、これが“エンキ=ニニギクの目”である。対して、左目=正面向きとした場合の右目は“エンリルの目”であり、人類に対する厳しさを表す。これが、後に改竄されて“エンリルの目”は“ルシファーの目”となった。生命の樹の上部3つのケテル、コクマー、ビナーからなる三角形は、至高の三角形と呼ばれ、ロゴスの三角形と呼ばれることもある。
また、“主なる神”エンリルは天使ケルビム=アヌンナキの見張りをエデンの園=アヌンナキの居住区に置き、人類が浸入できないように、きらめく剣の炎で守らせた。この剣は、レーザー光線銃あるいは司令塔から照らされるサーチライトの光である。
生命の樹と神道の神棚の関係-----------------------------------------------------------------------------
一般的な神棚の祀り方は、下記の通りまず、神棚自体の方位は、一般的に南向きか東向きに置く。つまり、下記のように神棚の背は、北か西に向けて設置される状態になる。
次にお供え物の配置は、通常、中央に「神鏡(しんきょう)」があり、両脇の左右に「榊(さかき)」と「お神酒(みき)」がある。
さらにそれらに併せて、毎日のお供え物として左から順に「水」「お米」「塩」と並べる。「水、米、塩」のお供え物は、色々な備え方があるが、基本的に『左が水、中央が米、右が塩』の配置は固定されている。これらの並びには重要な意味合いが込められており、この神棚配置は「生命の樹」そのものなのである。
生命の樹は、左から順に、峻厳(しゅんげん)の柱、均衡(きんこう)の柱、慈悲(じひ)の柱となる。神様を数える時に、一柱、二柱、、、と数えるように、それぞれの柱は神様を示している。神道の各柱は次のようになる。
峻厳の柱=神産巣日神(かみむずびのかみ)
均衡の柱=天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
慈悲の柱=高御産巣日神(たかみむすびのかみ)
そして「塩」「米」「水」のお供えが、それぞれの柱に対応する。まず「水」は癒しの象徴で、したがって【慈悲の柱】=【水】に対応する。「塩」については、聖書においては神の裁きで滅ぼされた、塩の街(ソドムとゴモラ)の話のように、聖霊による裁きを示す。
<創世記19章24~26節>
主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
そういう意味で【峻厳の柱】=【塩】に対応する。漢和辞典で「塩」を調べると、下記のように書いている。
塩・・・篆文(てんぶん)で「歯+監」音符の監は厳に通じ、きびしいの意味。舌にきびしい刺激を与え、農耕にも適さない、しおつちの意味を表す
峻厳の柱は、聖霊による厳しい処罰をも表すので、まさに、峻厳の柱にお供えするのは「塩」が一番適している。
最後に、米については、米の漢字が左右対称になっているように、【均衡の柱】=【米】に対応する訳である。
しかも、この米の漢字を良く見ると、均衡の柱における"人間"、"美"を表す「ティファレト」の小径パスに、米の漢字が、そっくりそのまま対応しているのが分かる。
- 【慈悲の柱】=【水】
- 【均衡の柱】=【米】
- 【峻厳の柱】=【塩】
左:【峻厳の柱】=【水】
中:【均衡の柱】=【米】
右:【慈悲の柱】=【塩】
つまり左右逆になる。ここに神棚の祭具の「榊(さかき)」と「神鏡(しんきょう)」に意味がある。榊(さかき)を添える意味と、ご神体が鏡の意味は、榊(さかき)=逆木であり、「生命の樹を逆にして見よ!」と言う意味であり、鏡も榊(さかき)と同様に、「鏡映し(左右反転)で見よ!」という意味なのである。つまり生命の樹を見る時は、生命の樹自体を左右反転して考えなければならない。このように考えると、下記のようになる。
左:【慈悲の柱】=【水】
中:【均衡の柱】=【米】
右:【峻厳の柱】=【塩】
このように、神棚は生命の樹にそっくりそのまま対応する。左右反転して見ると言う事は、神道の奥義に通じるものである。天の岩戸伝説のクライマックスのシーンでは、そのことが記述されている。
天照大神が外が騒がしいと岩戸の中から覗いて見た時、賢木(さかき)の枝にかけられた八咫鏡に映った自分の姿を見て、神がもう一人いると驚いている所を、外からひっぱりだされて、天照大神が復活する。この時、榊(さかき)にかけられた鏡に映ったのは、左右反転した神の姿。つまり本来の神の姿は、榊に架けられた鏡の像を、左右反転させたものなのである。
オーストラリアのウォルフ・クリーク・クレーター--------------------------------------------------
この時期、オーストラリアの奥地に隕石が衝突し、直径約900m、深さ30mのウォルフ・クリーク・クレーターができる。
■紀元前30万6000年頃
増えてきたアダムとティ・アマトの子孫-----------------------------------------------------------------
エンリルの命令でエディンからアブズへ、アダムとティ・アマトは追放された後、木々の間の囲いの中にエンキは彼らを置き、互いに知り合うように彼は彼らをそこに残した。ニンギシュジッダの行為の実現を、喜びを持ってエンキは見た。ティ・アマトの妊娠をとても喜んでいた。ニンマは出産を見にやって来た。息子と娘の双子が、地球人に産まれた。驚嘆の目でニンマとエンキは新生児たちを見つめた、彼らの成長・発達は驚きだった。何日かは何ヵ月かのようで、地球の何ヵ月かでニビルの何年分もが経過した。アダムとティ・アマトが他の息子や娘たちを産むころまでには、最初の子供たちは自分の子供たちを産んでいた!ニビルの1シャル(3600年)が過ぎる前に、地球人たちは急速に数が増えていた。
原始労働者たちは理解力を与えられ、命令を彼らは理解した。彼らはアヌンナキと一緒にいたいと願っていた。食料配給を得るため彼らは苛酷な仕事も良く行った。熱も塵も彼らは不平を言わなかった。骨の折れる仕事にも彼らは文句を言わなかった。アブズのアヌンナキは困難な仕事から解放された。大切な金がニビルへ送られて来て、ニビルの大気は徐々に癒されていたので、地球の仕事(ミッション)は誰もが満足する方向に進んでいた。
天から地球へやって来たアヌンナキの間でも、結婚や出産があった。エンリルとエンキの息子たちは、妹や異母姉妹から、癒しの英雄たちから、配偶者を得た。地上で彼らに息子や娘たちが産まれ、彼らはニビルのライフサイクルを与えられていたが、地球の周期によりそれが速められていた。ニビルではまだおしめをしている赤子が、地球では子供になっていた。ニビルでは這(は)い始めたばかりの幼児が、地球で産まれると走り回っていた。ナンナルとニンガルに双子が産まれたとき特別の喜びがあった。娘と息子だった。彼らはニンガルによりイナンナとウツと名付けられた。彼らにより、第3世代のアヌンナキが地球に存在するようになった。
この三世代揃うことの喜びは、神宮式年遷宮の最初の大きな行事である“宇治橋渡り初め”が三世代揃った夫婦によって始められることの原型となる。
渡り初めの先頭は、渡女(わたりめ)という老女。渡女は旧神領民の内から選ばれるが、3世代の夫婦が揃って元気であることが条件である。白衣を被った渡女は、夫、子供夫婦、孫夫婦を従えて、新しい橋を東から西へと渡る。
増えてきたアダムとティ・アマトの子孫-----------------------------------------------------------------
エンリルの命令でエディンからアブズへ、アダムとティ・アマトは追放された後、木々の間の囲いの中にエンキは彼らを置き、互いに知り合うように彼は彼らをそこに残した。ニンギシュジッダの行為の実現を、喜びを持ってエンキは見た。ティ・アマトの妊娠をとても喜んでいた。ニンマは出産を見にやって来た。息子と娘の双子が、地球人に産まれた。驚嘆の目でニンマとエンキは新生児たちを見つめた、彼らの成長・発達は驚きだった。何日かは何ヵ月かのようで、地球の何ヵ月かでニビルの何年分もが経過した。アダムとティ・アマトが他の息子や娘たちを産むころまでには、最初の子供たちは自分の子供たちを産んでいた!ニビルの1シャル(3600年)が過ぎる前に、地球人たちは急速に数が増えていた。
原始労働者たちは理解力を与えられ、命令を彼らは理解した。彼らはアヌンナキと一緒にいたいと願っていた。食料配給を得るため彼らは苛酷な仕事も良く行った。熱も塵も彼らは不平を言わなかった。骨の折れる仕事にも彼らは文句を言わなかった。アブズのアヌンナキは困難な仕事から解放された。大切な金がニビルへ送られて来て、ニビルの大気は徐々に癒されていたので、地球の仕事(ミッション)は誰もが満足する方向に進んでいた。
天から地球へやって来たアヌンナキの間でも、結婚や出産があった。エンリルとエンキの息子たちは、妹や異母姉妹から、癒しの英雄たちから、配偶者を得た。地上で彼らに息子や娘たちが産まれ、彼らはニビルのライフサイクルを与えられていたが、地球の周期によりそれが速められていた。ニビルではまだおしめをしている赤子が、地球では子供になっていた。ニビルでは這(は)い始めたばかりの幼児が、地球で産まれると走り回っていた。ナンナルとニンガルに双子が産まれたとき特別の喜びがあった。娘と息子だった。彼らはニンガルによりイナンナとウツと名付けられた。彼らにより、第3世代のアヌンナキが地球に存在するようになった。
この三世代揃うことの喜びは、神宮式年遷宮の最初の大きな行事である“宇治橋渡り初め”が三世代揃った夫婦によって始められることの原型となる。
渡り初めの先頭は、渡女(わたりめ)という老女。渡女は旧神領民の内から選ばれるが、3世代の夫婦が揃って元気であることが条件である。白衣を被った渡女は、夫、子供夫婦、孫夫婦を従えて、新しい橋を東から西へと渡る。
■紀元前25万3700年頃
初期王朝時代I(大洪水以前)--------------------------------------------------------------------------------
アヌンナキよって作り出され、その中から選ばれた子孫達であるアルリム王が、メソポタミアにあったシュメールのエリドゥを支配し始める。それによってシュメール王朝の最初の王となったアルリムは、王権を手にした。
ここより大洪水までの24万1200年は、下記の王達が都市を変えながらシュメールを支配していく。
エリドゥ王アルリム(在位28800年間)
エリドゥ王アラルガル(在位36000年間)
バド・ティビラ王エンメンルアンナ(在位43200年間)
バド・ティビラ王エンメンガルアンナ(在位28800年間)
バド・ティビラ王ドゥムジ(牧神)(在位36000年間)
ララク王エンシブジアンナ(在位28800年間)
シッパル王エンメンドゥルアンナ(在位21000年間)
シュルッパク王ウバル・トゥトゥ(在位18600年間)
紀元前12500年頃、大洪水
■紀元前25万年頃
シリウスと地球の関係-------------------------------------------------------------------------------------
リラ星の大爆発後、その一部はシリウスという星になったが、そこにはベガ、オリオン、リラ、水の惑星の水星から来たものなど、たくさんの種族で成り立っていた。こういった経緯もあり、シリウス人はそもそもその星の先住民ではない。
彼らシリウス人の多くは、ネガティブ系爬虫類人が行っていた外部へ出て侵略する行為に飽きていて、領土争いはもう充分だった。彼らは平和になり、統合もしたかった。よってたくさんの種族と共に平和に暮らしたかった。これが初期のシリウス人であった。そして彼らは太陽系の近隣の星系に植民していった。他にもケンタウルスやアルタイルや火星などにも行った。当時彼らは地球を植民地化することはできなかった。なぜなら地球を所有していたのはニビルのアヌンナキだったからである。
しばらくの間、シリウスは平和に暮らしていた。ベガ星の遺伝子が強かったせいもあり、霊的進化にとても興味をもっていた。しかし彼らには情熱的な側面もあり、他人に奉仕をしたいという側面もあった。そして彼らは火星を植民地化しているときに、地球で起きている事を見た。それは、アヌンナキが初期の地球に対して行っている事で、それを良いものだとは感じていなかった。なぜならアヌンナキは地球人を、これから意識を持つ存在として扱わず、自分の所有物として扱っていたからである。それはシリウス人にとって、モラルに反する行為であった。しかし一方で彼らは、銀河の政治には干渉しないという考え方も持っていた。
その後、彼らがとった行動によって、シリウス人は地球と永遠に関係を持つ事となった。シリウス人は遺伝子工学のマスターだった。彼らはシリウスなどに集まってくる多種多様な種族を統合させる必要があったため、遺伝子工学の達人となった。やがて彼らはアヌンナキに、今地球で行われている遺伝子実験に協力しようと近寄った。そのかわり、シリウス人も地球で基地などを作りたいと交渉した。ベガ人も遺伝子工学を行っていたが、シリウス人ほどではなかった。この時シリウス人は、別の目的を持っていた。彼らは地球に降りて、人類を見守りたいと考えていたのである。アヌンナキの銀河の法則を破った行動をなんとかするべく、何らかの形でシリウス人は人類に関係したいと考えていた。
また一方で、シリウス人が地球人に関係を持とうとしたとき、彼らのシリウス星での統合の目的をあきらめなければいけないということでもあった。
ある文明が別の文明と一つになって助けようとすると、その時はカルマも一つになる時がある。そして彼らがある惑星でとる行動というのは、自分自身のカルマを増幅させてしまう可能性もある。シリウス人にとって、その時はとても苦しいときだった。彼らはシリウスでの自分達の統合という目的を捨てて、無力な存在を助けようとした。カルマ的にいうと、シリウスは支援と介入の違いを学ばなければならなかった。心からの優しい支援を行えば、そこにはどんなカルマも発生しない。シリウス人はそれを知っていたが、それでもその時の地球の状況に介入する必要があり、それによってシリウス人はどうしても抜け出せないような状態に陥ってしまった。どんな種族でも他の種族を助けようとしたとき、このような学びが発生する。そういう意味でシリウス人にとって最高の学びの出来事ではあったが、当時のシリウス人にとっては、他の文明の問題に巻き込まれてしまったとも感じていた。
自分のすべてを与えて自己犠牲を払い、それになんの執着もなければ、成長は加速する。しかしシリウス人はそれを知らなかった。よって彼らは地球の出来事に巻き込まれた。しかし結果的にそれが彼らのアセンションのスピードを加速させていた。これがシリウス人が銀河の時間で、とても早くアセンションした理由である。多くの文明は彼らよりも長くアセンションに時間がかかる。シリウス人は他のどの文明よりも、心が純粋であったのである。
やがて宇宙連合(アンドロメダ評議会、銀河連邦)に属していたシリウス人とプレアデス人は、同盟を結ぶこととなった。プレアデス人はシリウス人よりも、霊的に少し若い種族である。シリウス人は地球の遺伝子プロジェクトに係わり、そのあとにプレアデス人が係わり始め、今もそれは続いている。
シリウス人は地球の遺伝子プロジェクトに関係し始めた時、アヌンナキの間違った行いに対して真っ向から干渉することはなかった。シリウスのトップにいる存在は、プレアデス人と会議をした。シリウス人はすべての種族は、主権を持っていると信じていた。つまりすべての物事を自分で決める権利を持っていると考えていたのである。彼らは秘密裏にあることを行った。それは人間の遺伝子にあることを行い、最終的に人類は自ら自由になるように仕向けたのである。そしてこの覚醒は、人間の意識がある周波数になったときに始まることになっていた。つまり意識の本来の姿はワンネスの意識で、それに本当に気づいた時に周波数は変わるようになっていた。そうなったときにシリウス人が、地球人のDNAに入れていた様々な能力が開花し始める。これがシリウス人が行ったことである。それは戦う事なく行われるのである。シリウス人はこれを介入とは思わなかった。なぜならこれには長い時間がかかるが、介入しなくてもその種族は主権を持った種族へと自然に進化するからである。これによって現在、彼らは支援と介入の違いを学ぶ事となった。シリウス人やプレアデス人は、地球人を自立させようとしていたのである。
反対にアヌンナキは、地球人を自分達に依存した状態にしたかった。こういった流れがあり、シリウス人が地球の主となる守護者となっていったのである。そして古代からシリウス人が、地球人を守る役割を果たしてきている。
■紀元前20万1600年頃
地球の氷河期と人口減少-----------------------------------------------------------------------------------
そして地球は氷河期(ヴェルム氷河期)に入る。気候の厳しさにより、地球上の生物は総じて退化した。気候の寒冷化によって飢饉が発生した。飢餓にあえいだ人類は、創造主であるエンキに救いを求めた。エンキはさまざまな人類救済策を提案したが、すべてエンリルによって棄却された。気候の厳しさにより、人類も退化を余儀なくされた。そしてこの時期に人口が激減した。
地球の氷河期と人口減少-----------------------------------------------------------------------------------
そして地球は氷河期(ヴェルム氷河期)に入る。気候の厳しさにより、地球上の生物は総じて退化した。気候の寒冷化によって飢饉が発生した。飢餓にあえいだ人類は、創造主であるエンキに救いを求めた。エンキはさまざまな人類救済策を提案したが、すべてエンリルによって棄却された。気候の厳しさにより、人類も退化を余儀なくされた。そしてこの時期に人口が激減した。
■紀元前18万8900年頃
この頃、メソポタミアのシュメール王朝がエリドゥからバド・ティビラへ、そしてアラルガル王からエンメンルアンナ(在位4万3200年間)に変わる。
■紀元前16万9200年頃
太陽系へのニビルの接近-----------------------------------------------------------------------------------
この頃、3600年周期でニビル星が太陽系に接近していた。指導者たちの子孫に、任務が割り当てられるようになった。昔の雑用がいくつか分担され、子孫たちにとっては仕事が楽になった。昔の雑用には、新しい任務が付加された。
地球では気温が上昇し、植物が繁茂し、野生動物が土地を蹂躙(じゅうりん)した。雨は多くなり、川は勢いよく流れ、暑さが増していった。そして、南極では氷が解け始め、ゴロゴロと地球が鳴っていた。海では砂洲(さす)が無くなった。陸地では火山が噴火し、地面が震えた。アブズの先端“下の方の世界”に、エンキは観測所を設置し、息子のネルガルとその配偶者エレシュキガル(イナンナの姉)にそこの指揮を委ねた。未知のことが起ころうとしていることを、ネルガルはエンキに告げた。
“下の方の世界”とは、アフリカ南端である。それは、エリドゥなどから見て下の方、ということである。そして、“天界”のニビルに対して、“冥界”の原型となった。 つまり本来は冥界とは地獄界のことではなかった。
ニブル・キでは、エンリルが天の周回路を観察しており、天空に混乱が起きていることに気付いた。ラーム(火星)からは、マルドゥクがエンキに不平をもらした。「強い風がかき乱しています。厄介な砂嵐です。“打ち出し細工のブレスレット”で混乱が生じています」その後、地球では空から硫黄が降ってきた。それらは空で爆発し、燃え盛る炎となった。
晴れた日に、それらは暗闇を引き起こし、嵐と共に邪悪な風が暴れまわった。石のミサイルのように、それらは地球を攻撃した。月とラーム(火星)も大破壊を被り、3つの星は顔が数え切れない傷で覆われた。エンキとエンリルは、アヌに緊急のメッセージを発信した。
ニビルから返答があった。「天空で、地球を含めた7つの星が一直線に並んでいる。ニビルが太陽に接近したことにより、“打ち出し細工のブレスレット”から細々したものをずらしてしまった!」天の棒を無くし、ラハム(金星)はムンム(水星)と太陽の側にうずくまり、彼女の壮麗な住まいを捨て、天空のニビルに引きつけられ、天の女王になろうとしていた。彼女を鎮めるため、ニビルは天の深遠から、かつてのティアマトの衛星を出現させた。空の地平線から中心に掛けて、火を吹くドラゴンのように、その尾は伸びていた。日中、それは地球の空を暗くし、夜には月の表面に呪いを掛けた。ラハム(金星)は天体の兄たちに助けを求めた。すると、キングゥ(月)、かつてのティアマトの保護者が応じた。ドラゴンを捕まえるため、キングゥは急いだ。衝突は凄まじく、大嵐が巻き起こり、衝撃で慄(おののき)き震えた。その後、ニビルは遠く離れた住まいに戻り、天空は落ち着きを取り戻した。
ニビルの接近が原因で、軌道をずれた小惑星が地球、月、火星に降り注いだわけだが、それによって金星はニビルの重力に捉えられ、自転方向が逆転した。そして、かつてのティアマトの衛星が月に激しく衝突し、月の表面はクレーターだらけとなった。月の中は空洞であり、大気も無いため、震動がなかなか減衰しない。
エンキ、エンリル、マルドゥク、ニヌルタが大惨事の調査に取り掛かった。エンキは地球の土台を調べ、ニヌルタは渓谷が揺れた場所を調べた。ニヌルタは、硫黄ミストと瀝青(れきせい:アスファルト)を発見した。マルドゥクはラーム(火星)を調べ、大気がダメージを負っていた。彼は地球に帰りたがった。エンリルはラーム(火星)の中間ステーションを捨て、エディンに“二輪戦車の場所”を設置するよう主張した。それは、最初の着水から数えて、80シャル過ぎた時のことだった。
(つづく)