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インス大妃より 「因果応報」 「朝三暮四」

2016-02-04 | 韓国史劇・ドラマ・映画
長かった「インス大妃」を観終わりました。

文宗 → 端宗 → 世祖 → 睿宗(イェジョン)→ 成宗(ソンジョン)→ 燕山君(ヨンサングン)
→ 中宗(チュンジョン)までの7代に渡る王座争いでした。


その中で、インス大妃は嫁入り前から自分が王妃になれる相手を求めて結婚し、
紆余曲折はあったものの、自分の願いを最後には叶えて大妃になってしまいました。
大妃になってからのインス大妃の勢いはすごい迫力でした。
52話の言い争いは女傑と言われた二人の迫力がすごいです。

そして自分の思い通りにユン氏を賜死させ、最後には燕山君(ヨンサングン)という暴君を育て上げ
スヤン大君同様にまた多くの血を流してしまった結果となりました。


54話で姑の貞熹王后が長い人生を振り返って死の前に言った言葉にジンと来ました。

世祖(スヤン大君)一族は、幼い甥の端宗を濡れ衣をきせて死に追いやり、王座を手にしたことを
とても悔いていました
世租(スヤン大君)は王座を手にしてからは病と悪夢にうなされて、その後の人生は良いものとは
言えません。
謀反を常に恐れ、怯え、信じる者もいなくなり、とても孤独な最後でした。

だから二度と血を流さないようにしてきたのですが、これに対しインス大妃はなんとしても
ユン氏を死に追いやりたかったのです。

そういったドラマの全てが死ぬ前に姑の貞熹王后が語った言葉に表れていると思いました。
ユン氏を廃妃にし、それでも満足いかずに処刑しようとするインス大妃に向かって語る姿は
哀れとしか言えませんでした。


「幼い甥を死なせたのよ。あの世で文宗に合わせる顔が無いわ。
そればかりか、私は二人の息子にも先立たれた。残された母親の悲しみがどれほど深かったか」

「多くの人が死んでいったわ。多くの死をこの目で見てきたの。
そればかりか、今度は孫の嫁まで失うなんて」

「因果応報とよく言うけれど、これで悲劇が終わるとは思えないわ」

この言葉どおり、治世4年後から燕山君の悪行が目立ち始め、燕山君(ヨンサングン)
が母親のユン氏を死に追いやった関係者を3度にわたって粛清事件(士禍)を引き起こしたのです。

それから姑の貞熹王后が人生を振り返って、いろいろな人が政治を行おうとするけれど、
結局はどれも「朝三暮四」だと言いました。

結局はどれをとってみてもそうは変わりはないというのです。
3代王の太祖(イ・バンンウォン)が第一次王子の乱・第二次王子の乱を起こして国王となり
その後も謀反を恐れて兄弟一族を皆殺しにしてしまったこととなんら変わりはないのです。

インス大妃の最後も良いものではありませんでした。
観終わった後は、いろいろ考えさせられるドラマでした。


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