街の風景

散歩の時に出会った何気ない風景、手押しポンプ、使われなくなったコンクリート製のゴミ箱、懐かしい洋館付き住宅などなど。

2010年初街ウォーキング…広島市東区二葉の里七福神~南区~中区

2010-01-04 23:42:37 | ウォーキング
今年初めての街ウォーキングに出ました。

いつもは目的地は歩きだしてから考えますが、

今日は広島ウオーキングクラブの明日の初歩きの下見を兼ねて、

二葉の里七福神めぐりのコースから歩く事にしていました。

まずは、饒津神社です。4日だからか、意外と参拝者が少ない。

七福神はどこに祭られているのかと探すとすぐに見つかる。

目につきやすい様に祭られている。

饒津神社のお札を売っている社務所に行くと、七福神宝舟肌守と七福神ストラップ守が売っていた。

ストラップ守が面白そうなので、ミニ福神を取り付ける根付を購入。根付300円。ミニお守1体100円。

饒津神社。                               恵比須天。


次の明星院までは、案内板によると「80m徒歩1分」となっているが、道路から本堂までのアプローチが有るので

400mは歩く。しかし、直ぐ傍だ。

ここで、肌守も作る事にして、御朱印代100円。ストラップ用のミニ福神1体100円。

1社で200円。

四国八十八か所の御朱印代を考えるとゴム印だからこんなものかもしれない。

明星院。                                毘沙門天。


鶴羽根神社。                              弁財天。


広島東照宮。                              福禄寿。


尾長天満宮。                              寿老人。


國前寺。                                大黒天。


聖光寺。                                布袋尊。



左が七福神ストラップ守(完成すると1000円)。

右が七福神宝舟肌守りの御朱印を押した用紙で、

これをお守り袋(500円)が売っているのでそれに入れる(完成すると1200円)。

お守の下の神社やお寺の名前が印刷されている用紙は無料で、各神社やお寺のゴム印を押して集める(0円)。


今日は、各寺院やお寺も参詣の人は少なかったので、独りで廻ると1時間半もかからなかった。

しかし、団体で行くと歩く距離は2.7km位だがハンコを貰うなどの時間がどれ位かかるか予想が付かないが、

皆が希望するようにするしかないだろう。

とりあえず、下見は終了。


これからは、街ウォーキングだ。

東区役所の方から繁華街の方に行こうかなと決める。



荒神陸橋を渡り、的場町の交差点に来ると、お年寄りがゾロゾロ歩いているのに出会う。

清水劇場の方から出てきているので、そちらに向かうとお芝居の公演が終わった所らしい。

見終わったお客さんを化粧をした出演者の人が一人一人挨拶をして送り出しておられた。

最後の一人が帰られるまで、手を握ったり、一緒に記念写真を撮ったり丁寧に見送られていた。

伍代孝雄の芝居・演歌・舞踊ショーだった。


比治山通りを南下し、比治山橋を渡り、いつもの休憩場所の寺西珈琲店で一休み。


寺西珈琲で珈琲とシナモントーストで休憩して、

はっちゃんさんから、ベロタクシーが地蔵通りに止まっていたとの情報で地蔵通りを歩く。

地蔵通りの南はずれのビルの前に止まっている。

ベロタクシーと書かれたプレートが屋根に撮りつけて有るのでここが駐車場なのかな?

ベロタクシーは広島に8台と宮島に2台有るらしいのでその1台か。


急に薄暗くなったので、平和公園経由で帰る事にする。

平和記念資料館から慰霊碑の方には、まだ人が歩いていた。


その後は、ドームの横から河川敷に下り、相生橋の下をくぐり本川沿いの川岸の道を牛田まで歩いて帰る。

吊橋の工兵橋から雨が降り出し濡れてしまいました。

明日の、例会は大丈夫かな。




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続・六甲全山縦走大会2009…菊水山~宝塚湯本台広場

2009-11-12 13:22:35 | ウォーキング
第1チェックポイントの菊水山には、予定より1時間以上の遅れだ。

10分の休憩でおむすび、お餅を飲みこむように食べて少し元気を取り戻したが、

ここから第2チェックポイントまでは、去年私が歩いた行程の中で一番苦戦した所なので

制限時間までに到着出来るか心配だ。


菊水山からしばらくは下りで、天王の吊橋を渡る。下に有馬街道が走っている。
                                    渡るとすぐ鍋蓋山の登り。残り35kmもある。


鍋蓋山を下ると、今度は登りが3.5km続くのだ。
                                   掬星台への最後の登り。なんで、また登り~。


摩耶山頂のパラボラだ。登りはここまで。あとチェックポイントの掬星台までは5分。しかし、ゴールまでまだ26kmある。



第2チェックポイントでは、ホットレモンを飲んで一息ついて、ついでに空のペットボトルにホットレモンを注いでもらい、

すぐに出発。

制限時間が残り10分だ。

ここからは、登りはあるが車道も歩くので少しスピードアップする。


眼下に神戸の街が見えるがもうそんな余裕はない。
                                 記念碑台までの登りで汗をかき、もう午後5時に近づいて気温も
                                下がり寒くなったのでここで休憩。ライトの用意。下着の取り換え。
                                靴下の履き替え。腹ごしらえ。
                                そうしていたら「赤鬼」が来る。木の横の看板の向こうにいる。



記念碑台からひたすら、モクモクと第3チェックポイントの分岐点まで歩く。

ここが棄権する最後のポイントだが、仲間の3人とも足は大丈夫で、残り13.5kmの下りを歩けるという事で、

ゴールを目指すことにする。

しかし、皆は足は大丈夫だと言っているが去年の経験者の私でもそんなに余裕がある状態では無いので、

2年前にリタイアした人の足は限界に近いのではないかと思われます。

しかし、ここでリタイアすれば、またここまでの辛い道のりを再度挑戦しなければなりません。

この葛藤の中、自分の限界に挑戦することを決めるのです。

第3チェックポイントからの13.5kmの下りは、自分のライトで足元を照らしながら、

こんな過酷な大会に挑戦した自分を罵り、ゴールが近いことを望み、もう2度と六甲全山縦走はやらないと誓ったり、

足の豆がつぶれてしまったことを呪い、膝の痛みに耐え、声を出して気を紛らわしたりしながら歩きます。



この階段を登るとゴールです。笑顔です。さっきまではどうだったの?
                                    ゴールの広場では、もう動けない人、仲間と喜び合う人、
                                    帰る人でごった返しています。

「赤鬼」には負けなかった。ゴールは22時30分。


ホッとな宝塚市民の会の歓迎横断幕の前で記念撮影。


4人と一緒にゴールが出来てよかったのひと言です。


去年にも書いた最後のひと言。

来年もやろうかな~~~。いや、もういいや~~~???
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六甲全山縦走大会2009…神戸市須磨浦公園~菊水山

2009-11-11 01:45:15 | ウォーキング
平成21年11月8日(日曜)の「2009 KOBE 六甲全山縦走大会」に参加して来ました。

どんな大会かと言うと、大会名の通り神戸市の六甲連山を須磨浦公園から菊水山~

掬星台(きくせいだい)~931.3mの六甲山の横を通り、宝塚市の湯本台広場まで自分の足で、

自分の責任で、楽しく厳しく歩くスポーツの祭典です。

ルールは8日の朝5時より順番にスタートし、3つのチェックポイントを制限時間内に通過し、

22時40分までにゴールしなければなりませんが、速さを競う大会では無く、

縦走だからと言っても走ってはいけません。

私は去年広島の友人と二人で完走しましたが、今回は3年前に富士山に登った時に友達になった人たちと

4名で挑戦することになりました。

その大阪の友人たちは2年前に途中でリタイアした経験があり今回はリベンジです。

朝5時スタートですから、仲間の人の会社の六甲山保養所に前泊をしました。

管理人さんに、午前3時半にスタート地点の須磨浦公園まで、車で送ってもらえるからです。

私は広島から、ほかの3人は大阪から六甲ケーブル前に集合し、久しぶりの再会を喜ぶ。

その後、ケーブルで山上駅まで乗り、今度は六甲山縦貫バスに乗り換え山荘の近くで下車し、

30分ぐらい歩いて山荘に到着。

山を歩きに行ったのにケーブルやバスに乗ったのは、明日の為に体力を温存するためです。

去年に同じメンバーで新神戸駅から歩いて登り、

マッタケ入りうどん鍋」を食べた記事を書いていますので、下から登る力はあるのですよ。



山荘から見る夕日。明日は晴れだ。
                                   山荘の夕食はキノコ鍋。去年と同じ様に「マッタケ」もある。


キノコ鍋。
                                   肉は黒毛豚のしゃぶしゃぶ肉だ。明日の為に軽く乾杯。

マッタケは海外物だが匂いは本物。鍋の美味しさに軽く乾杯も忘れ、飲み過ぎる。




お蔭で、須磨浦公園到着が4時28分。もう、国道まで並んでいる。
                                    5時33分スタート。



スタートして3kmぐらい。快調。
                                    高倉台団地の陸橋を渡る。もう、空は明るくなる。

スタートが5時半過ぎで遅かったので、予定より遅れている。


栂尾山の登りの長い階段が渋滞している様だ。
                                    次の横尾山からの下りは、須磨アルプスの馬の背。



馬の背を通り、後ろを振り返るとほんとに馬の背骨。
                                    また団地の中を通り抜ける。神戸の団地は急坂だ。



鵯越に向かって歩く。まだ快調。
                            第1チェックポイントの菊水山を通っている有馬に行く電車道の下を通る。


菊水山への急登でさっき横を通ったゴルフ場が小さく見える。
                         菊水山でチェック印を11時40分に貰うが、制限時間は12時20分までなので、
                            余裕は40分しかない。


菊水山の急登で皆バテるが、

「赤鬼」と呼ばれる赤いゼッケンをつけた「最後尾」の係員が歩いていて、

「赤鬼」より遅れてチェックポイントに着いたら失格となるので、休憩を10分としておむすびや、

途中で買った草もちを急いで食べる。

食べると少し元気になった。

次のチェックポイントの麻耶山上の掬星台には、15時50分まで行かなければならない。

急げ! 
 
続く。                          


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続・100キロウォークに参加して来ました…福岡県行橋~大分県別府市

2009-10-16 00:39:39 | ウォーキング
中津駅から第2チェックポイントまでは、25km有るし、真夜中の時間で普段はぐっすり寝ている時間だし、

独りで歩くより誰かに付いて行くことにした。

この大会に5回以上の参加した人は指導員の腕章を付けておられるので、

同じようなペースで歩かれる人を探して歩くことにした。

中津を出てしばらくして、北九州の方で7回目の指導員の腕章を付けた人が、

1回目の方と歩かれている二人組の後ろにつかさせてもらいました。



宇佐まで12km。他のグループはどんどん追い抜いていきます。

しかし、ペースは変わりません。



気温も13℃になっているが寒さは感じない。



宇佐神宮参道入り口の交差点。56km地点。



国道10号線から国東半島に行く分岐点まで来た。

前を歩く人は、柵につかまってストレッチ。

第2チェックポイントまで、1.7km。あと20分ぐらいか。



第2チェックポイントでは、うどんが売っていたので食べる。

熱くて、うまかった。

ここでも、足を冷やし痛みを少しでも和らげ完歩できる様に時間を取る。

これから3つの峠を越えなければならないので靴下も取り換える。

こんな事をしていたら、ペースメーカーをして頂いた人達がわからなくなった。

第2チェックポイントでは、リタイアする人や仮眠?をしている人、うどんを食べる人でごったがえしていた。

私も、眠いし、足の手当、うどんで写真を撮るのを忘れた。

とにかく、あまり休んではいけないので30分ぐらいで出発。

風が冷たいので薄いジャンバーを着て歩きだしたが、立石峠に向かって緩やかな上りで汗をかく。

峠を下り、前後の人が少なくなり、一人で下を見ながら歩いていると絵柄のマンホール発見。

2kmぐらい歩くと又発見。

「やまが」は旧山香町のマンホールらしい。オランダの風車、
町の木のヤマモモ、町の花のサツキツツジが描かれている。
風車はどこかにあるのかな。
                                    こちらのマンホールは「山香牛」有名らしい。



山香町は丁度国東半島の付け根あたりの山の中なので、8℃だ。



夜が明けてきた。72kmぐらい。


2番目の峠は、七曲りの迂回道路。

杖を貸してくれるので、杖を精一杯使って登る。

少なくなっているエネルギーを使い果たしそうになりながら歩く。

このコースを考えた責任者出て来い!!!

などと喚きたくなる。


3番目の峠は赤松峠。

ここは国道10号線の側道。登坂車線をトラックが轟音を上げながら登って行く。

私も、これが最後の登りだと気力で上る。


赤松峠も超えて、別府湾が見えてきた。

どこがゴール地点か分からないが足が少し速くなる。

第3チェックポイントはもうすぐだ。

そこから、ゴールまでは14kmしかない。



第3チェックポイントからが大変だった。

あと、14kmが大変でした。

14kmがあんなに遠いとは思いませんでした。

あと6kmのところで、大音量のがんばれの応援を貰ったがそこからも遠かった。

ゴールまでの途中に、別府の色つきのマンホール発見。
ツツジ柄。
                                    ホテルの前に丸ポスト発見。

疲れていても見つけるのです。嬉しい。しかし、足取りはよたよたのまま。



足を前に出しているとゴールはできます。


ゴールして、温泉に入り、ちゃんぽんを食べ、「特急ソニックの指定席」に乗り、小倉で「のぞみの指定席」で広島に帰りました。

指定席にしたのは、良く頑張った自分にご褒美なのです。

100キロウォークを歩いたものにしか分からない嬉しさがこみあげてきます。

やったな自分と褒めたくなります。


完歩証。

下半分の小さな字の部分。

 2009年10月10日午後2時、行橋正八幡宮を出発したあなたは、両親に授かったそ
の体で、今川、長井浜、稲童漁港を抜け、国道10号線を築城から椎田、豊前、中津、宇
佐と進み、立石峠、七曲り、赤松峠野坂を越え、日出、亀川と別府湾岸道路を歩き続け、
ついにゴールである的ヶ浜公園に到着されました。

 100キロウォーク。決して楽ではなかったはずです。中津駅では「まだ3分の1なのに…」
宇佐では「歩きたくない、歩けない…」リタイアという言葉が頭をよぎったかもしれません。

 しかし、あなたは今、ここゴールに立ち、想像もできないことに果敢にチャレンジし、自分
で決めた目標をとうとうやり遂げたのです。挑戦をした人でないとわからない幾つもの極度の
苦しみ、それらを乗り越えた人だけが味わえる真の喜び。この勝利者体験はあなたの宝物
の一つになるでしょう。本当によくがんばりました。
 これから先、何度も何度もやって来るであろう雨の日、嵐の夜に、100kmもの距離を苦
しみながらも諦めずに最後まで歩き徹した、この「すばらしい体験」を思い出してください。
  またお会いしましょう。 “GooD luck"

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100キロウォークに参加して来ました…福岡県行橋~大分県別府市

2009-10-14 23:52:58 | ウォーキング
10月10・11日に、0泊2日で100キロウォークに行って来ました。

福岡県の行橋市から大分県の別府市まで歩く大会です。

広島を9時過ぎに出発して、翌日の夕方に帰って来ました。

0泊は、宿泊しないで夜中にも歩いていたので0泊なのです。


12時少し前に行橋駅に着きました。

小倉からの電車も歩く姿の人で満席でしたが、駅前もうろうろしています。


スタート地点の行橋正八幡宮は、受付を待つ人、ゼッケンをつけたり、テーピングする人、荷物を預ける人、

仲間を探す人・・・で大混雑です。

なんせ、参加者が3,400人もいるらしいのですから。


ウェーブスタートと云う事で、自分が100キロを何時間で歩けるかを申告して、最初に16時間以内、

次は18時間、20時間・・・とグループ分けをしてスタートする方式でした。

12時半ぐらいから八幡宮の境内に順番に並んで待ちました。

やっと開会式が始まりましたが立ったままなので、疲れてしまいこれから100キロ歩けるか心配になりました。

14時に第一陣の16時間組がスタートです。

私の組は22時間~24時間組なのでまだまだ待たされ14時24分でした。

開会式で覚えているのは、あのTVで有名な丸山弁護士が100キロウォークを一緒に歩くようです。


やっとスタートして、すぐに今川の河川敷を歩きます。

対岸に渡っていますが水の中を腰までつかって歩いているように見えます。


こんな風に、沈下橋を歩いていたのです。


海岸線に出て、周防灘の海岸の砂浜も歩きます。


15kmぐらいの、自衛隊築城基地横。もう太陽は低くなってきた。



お昼に食べようと思って広島の「むさし」のおむすびを買っていたが、スタート前に食べることができなかったので、

日が暮れる前にコンビニの前で食べる。18kmぐらい歩いたので腹ぺこだった。


ヘッドライトをつけて歩きだす。

国道10号線沿いに南下。26.2km地点の中津バイパス別れまで来た。

5時間ぐらい歩いてきたが、まだ前後に大勢の人がいるので寂しくない。

佐世保~島原の105の時は、参加者が900人ぐらいだったので、列も続いていなくて独りで歩くことが多かったが、

参加者が多いだけ安心して歩ける。

真っ暗な道を独りで歩くのは不安で寂しいですよ。


やっと、第1チェックポイントの中津駅に到着。

36.2km。

バナナ一切れと梅干し2ヶと水を補給、それとボランティアの人の励ましが嬉しい。

足が少し痛いがまだ歩ける。

テーピングを遣りかえ、足を冷やして元気になりスタート。

これからが大変だった・・・。           
                                                               続く
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続・しまなみ海道スリーデーマーチに参加…広島県尾道市~愛媛県今治市

2009-10-12 23:52:21 | ウォーキング
10月3・4日に瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチに参加して、40km・2日間縦断コースを歩いて来ました。

の続き。


ウォーキングの大会に参加する時の宿泊は、たいてい安いビジネスホテルをネットで探し、

一番安い所に泊まりますが、このしまなみ海道の大会の時は宿泊するとろが少なくて自分では探せないので、

大会がお世話してくれる食事つきの旅館に泊まります。

ですから、2日目の朝食も豪華です。

ですから、ご飯は山盛り3杯は食べます。

ご飯は、昼からのエネルギーとなって40kmを歩かせてくれるからです。

(科学的にはどうかわかりませんが、私の少ない経験からです。元を取ろうと思っている訳ではありませんので・・・

だから、家では夕食にご飯は1杯しか食べないのに、3杯も頑張るのです。

安いビジネスホテルに泊まった時は、何時もコンビニのおむすび3個とペットボトルのお茶です。

卵が生卵だったら、ご飯をもう1杯食べれたかも!!



旅館「さわき」でご飯を腹いっぱい食べて、ご機嫌で旅館を出ると、絵柄のマンホールを見つけました。

昨日はそばを歩いて来たのに目に入らなかったのか!旅館での生ビールに目がくらんでいたようだ。

旧大三島町の町の花はミカンの花だったので、周りはミカンの花で真ん中はミカンの絵柄。

旧大三島は、平成の市町村大合併で今治市となったがマンホールは残されている。

良いことだ。


きのうゴールした多々羅しまなみ公園にバスで戻り、そこから2日目の40kmはスタート。

多々羅大橋はしまなみの海道一の美しさを誇る斜張橋です。

スタートセレモニーが始まったので皆そちらに行って誰も居なくなったので、美しい多々羅大橋を独りで眺める。


スタートしてすぐに吊り橋の絵柄のマンホール発見。

斜張橋の多々羅大橋だ。町章の様なマークがあるが大三島町の町章かどうかわからないが、

橋が開通したのが10年まえだから旧大三島町が設置したのだろう。


尾道から5番目の大三島橋。しまなみ海道で最初に出来たアーチ橋。



6番目と7番目の橋の伯方・大島大橋。繋がっている。

6番目が大島大橋は鋼箱桁橋で、手前の人が歩いている所。

7番目が伯方橋で吊橋。


大島大橋を渡って村上水軍の幟旗を持った武者の絵柄のマンホール発見。

宮窪は村上水軍の本拠地が有った所だが、ちょっと迫力不足の水軍武者(海賊)だ。

大島は、以前は東側が宮窪町だったので、「みやくぼ」の字入り。


大島の西側に入って歩いているとYOSHIUMI-TOWN(吉海町)の字入りのマンホール発見。

やはり、来島海峡大橋の絵柄だ。旧吉海町の町の花のつつじも書かれている。


よしうみいきいき館で昼食をして、来島海峡大橋に向かって歩きだす。

ちょうど、ここらあたりで3年前に私たちが写真を撮られ、その写真が第7回大会の大会誌の表紙になった所です。


その表紙です。右が私。左が今度も一緒に歩いているKさん、真ん中はIさん。

第7回には、私とKさんは参加していなかったがIさんが気付いて知らせてくれたのだ。

顔が写っていないのが残念だ。


来島海峡大橋は、3つの吊り橋が繋がった大橋です。

3つの繋がった橋の長さは4,105mも有ります。急いで歩いても橋の部分だけで40分もかかります。

こんな美しい風景が40分も続くのです。

君と行く、海の碧、空の青 です。


橋を渡り切ると今治市内です。

今治市のマンホールは3つの帆が有る和船です。水軍と関係があるのかな?

2日目のマンホールは橋か水軍関係の絵柄が多かったので地方性がよく出ていて見つけるのが楽しかった。

ただ、夏に歩いた「角島大橋」の橋の上でマンホールを見つけたので、

しまなみ海道の橋の上にも有るかなと探しながら歩いたが、見つけることができなかったのが残念だ。

もしかしたら、橋の上にはマンホールはなかったのかも・・・。


しまなみ海道の橋と海と楽しんで、新装の今治城にゴールしようとすると、ミスしまなみ大使が笑顔で出迎えてくれた。

ゴールしたおじさん。 デレ~。





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しまなみ海道スリーデーマーチに参加…広島県尾道市~愛媛県今治市

2009-10-09 17:04:52 | ウォーキング
10月3・4日に瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチに参加して、40km・2日間縦断コースを歩いて来ました。

しまなみ海道は、1999年開通した時に最初に歩いてから8回歩いている大好きな道です。

大会テーマが「君とゆく、海の碧、空の青」でまさにピッタリな大会です。

海と島と橋そして感動を味わえます。


今回も、友人達と4人で歩きました。

まずは、尾道駅まで広島発の一番電車で向かいました。

尾道駅前の広場が、40km・2日間縦断コースの出発地点です。



スタートして最初の尾道水道は尾道大橋を渡らず、フェリーに乗って向島に渡ります。



フェリーが着いた向島も尾道市と合併されている。

消火栓の蓋も尾道と書かれ、火消しの纏柄で目立っている。



これが、尾道市の標準のマンホール。中央に尾道市の市章。柄はJIS規格型で広島市などと同じ。

地味。



2番目の島は「因島」。向島からそこに行くには「因島大橋」を渡ります。

写真のように、橋の下に歩道とバイク道がぶら下がっている。



因島もこの平成の市町村の大合併で尾道市に合併している。

しかし、マンホールは因島市の字が入っているが残されている。周りも因島市の花「除虫菊」。

このマンホールは、瀬戸内海の水軍の船だろうがいい絵柄なので、

尾道市の、あの地味なマンホールと取り換えて欲しくない。

頼むよ、尾道市の水道局さん。



次の生口島に渡るには、生口橋を渡ります。

カンカン照りの橋の上を歩くので汗だく、のどカラカラ。



もう少し歩くと「瀬戸田市民会館」の給水ポイントだが、我慢ができずジェラート。

ドルチェに転がり込み「伯方の塩と瀬戸内のレモン」

生きかえる



今日、最後の橋は広島県と愛媛県の県境の多々羅大橋。

橋を渡り切ると、今日のゴールなので足取りも軽い。



今日の40km歩いた御褒美。

冷たいビールと瀬戸内のうまい魚。

これが有るから、しまなみ海道を歩くんです。

大三島町宮浦の旅館「さわき」
                                                                    続く



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角島大橋ウォーキング…山口県下関市豊北町

2009-08-02 11:36:57 | ウォーキング
角島大橋を歩いて渡ってきました。

7月29日の早朝、宿泊している西長門リゾートから、雨の中スタートしました。



6時半ぐらいに角島への渡り口に着くと、ちょうど角島から車が出てきました。


向こうに角島が見えます。

交通標識には「県道276号の標識・下関市豊北町附野の表示板・(強風のときこの橋は通行止めになります)の表示板・

制限時速40kmの標識・駐停車禁止の標識と角島2kmの案内板」です。

人は歩いても良いようです。

実は、前の日に橋のたもとのお土産屋さんで、「この橋を歩いて渡ってもいいのですか?」と尋ねたら、

「橋が狭いのでお勧めはしてませんが、向こうまでは遠いですよ」と云われていたので、歩けることは確認していました。

たった2kmですから、車が少ない早朝に歩こうと決めました。
                           
                                   橋の幅は確かに狭い、車がすれ違う時は、
                                   歩行者は欄干にへばり付くようになる。


橋の中間地点に駐車帯(駐停車はできないが)
                                   その横の鳩島。雨も強くなり、風も強くなる。


海女ヶ瀬戸の橋の一番高い所。
                               定期バスが追い抜いていった。角島大橋をもう少しで渡り切る。


瀬崎陽(せざきあかり)の公園から角島大橋の全景。
                                   橋をバックに記念写真。


記念写真のシャッターを押して貰ったのは、この公園の東屋で野宿をしていたオートバイの旅をしている、

親子連れで小学生ぐらいの子に押して貰いました。

夜中に、雨が降り出したのでここに避難してきたそうです。

私が向こう岸から歩いてきて、帰るのだと言ったらびっくりしていましたが、

私の方は雨の中野宿をしながらオートバイの旅を親子でしている方にびっくりもしたが羨ましかった。


橋の一番高い所から、鳩島と本土を見る。
                                橋の反対側も見てみる。ここに来る途中にマンホールも見つけた。


また、雨が強くなり風も吹きつける。本土側がかすんでいる。
                                    7時過ぎて車の往来も少し増えて、
                                    車がすれ違うと危ないので止まってやり過ごす。


ゴールの豊北町附野


振り返って角島大橋を見ると、雨は小雨になり島もはっきりとしてきた。

雨の中の角島大橋ウォーキングも良かったが、今度は晴れた朝焼けの中を歩きたい。


歩いてみて、橋が狭く大勢で歩くのは無理だと感じました。

もし歩きたい方は、車の少ない早朝に個人で歩いて楽しんで下さい。

写真がピンボケなのは、「角島大橋でマンホール発見」を見てください。

グスン!



コメント (2)
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関ヶ原の決戦地を見る…岐阜県不破郡関ケ原町

2009-07-16 10:48:26 | ウォーキング
天下分け目の大合戦の関ヶ原に行って来ました。

高速道路1,000円と云う事で、友人と3人で交代しながら、関ヶ原まで走りました。

実際の高速道路料金は9,350円の所が、2,100円でした。

まず、関ヶ原歴史民俗資料館で関ヶ原合戦の模様のドキュメンタリー風ビデオを見てから、

合戦の行われた戦場に行きました。


石田三成の西軍84,000人、徳川家康の東軍74,000人の軍勢が激しく戦った場所は2~3km四方?の狭い場所でした。


笹尾山の石田三成の陣の幟(丸の中)が、この決戦地からは1kmも離れていません。

目の前です。

歩いて10分もかからないと思います。しかし、車で来ていますので歩きませんでした。



ここが、石田三成の陣です。遠くからも見えた幟旗が立っています。



陣櫓から、さっきの決戦地を見下ろしますが、木が大きくなっていて決戦地の石碑が見えません。



陣櫓には、陣形図があり、当時の戦況が手に取るようにわかります。

石田三成になりきり、戦場を見渡し、下知したくなります。



石田三成になりきった「私」はあたりを見回します。

右手を見れば、幟旗の向こうの山(色が濃い)が、奮戦する宇喜多秀家が陣を構えている天満山、

その向こうの山(少し色がうすい)が、味方と思っている「小早川秀秋」が陣する松尾山。



陣形図の前で「私」は、いそいで小早川秀秋に出陣の“のろし”を送ったが、誰かが陣形図の小早川秀秋の名前を削っていた。

「無念」西軍の敗北に終わった。


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105ウォークラリーに参加…長崎県佐世保市~島原市

2009-05-07 08:15:39 | ウォーキング
105ウォークラリー2009を歩いて来ました。

感想は、105kmという距離はとんでもない遠さでした。

私でも105kmは歩けるだろうと思い参加したのですが、

途中でそんな甘い考えは吹き飛びました。

とにかくゴールが遠かった。



スタート前。


スタートは5月3日の12時。

参加者が917名なのでアルカスSASEBOの前の道路の向かい側からのスタート。


島原城のゴールに向かう最後の上り。


一晩中歩き続けて5月4日にゴール。完歩しました。時間はナイショ。


眠かった、

とにかく眠たかった、

それでも歩いた、

足が痛かった、

それでも歩いた、

電池が切れたおもちゃのように急に足が前に出なくなった、

少し休んでまた歩いた、

ゼッケンに書く一言はいつも「今日も楽しく!」だが、

後半はそんな余裕はなかった、

105完歩の喜びより、

途中の苦しさだけが残っている、

しかし、来年も参加する。


コメント (6)
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