QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

千代の介書店。

2025-01-30 17:08:57 | 日記
本のことを考えると必ず思い浮かぶお店の一つ。古書店の千代之介書店。

一時期実家が名古屋郊外の地下鉄藤が丘駅から徒歩30分くらいの住宅地にあったことがあり、90年代半ばにアメリカから戻ってからしばらくそこで生活していた。当時はフリーターだったり大学院生だった期間だったので、昼間はほぼ自宅にいて駅までちょくちょく散歩に行くという、のんびり生きていた20代後半だった。

今とそうたいして変わらないな(笑)。

その道すがら、ある日突然ぽこっとお店が出現。店名は「千代の介書店」と書いてあった。

なにしろ、学校かバイト先以外は暇な人間だったので、「千代の介書店」ができてからは2~3日に一回足を運んでいた。本の購入はしたりしなかったり。

お店には、脱サラか定年でリタイアされた感じの初老のオジサンが一人。(この人が千代の介さんなのかな)と思っていました。実は違ったんですが。

何がいいって、お店の隅々から本への愛を感じるんです。これは行ってみないとわからないと思います(というか、僕の筆力では伝えられません(笑))。

本への愛ということは、きっと知識や知性への愛なんでしょうね。「知識欲」って言うと似て非なるもののような気がする。

それがおそらく90年代後半ごろ。
実家がまた違うところに行ってしまったので、それ以来足を運ぶことはありませんでした。が、頭の中にいつもその存在はありました。また行きたいな、と。

で、仕事で東京に住むようになったのが2000年代初めごろ。ある日、気になってGoogleで「千代の介書店」を検索してみたんです。そうしたら、たった一つ、お店のお客さんのブログ記事が見つかって、「千代の介書店」が元気に営業されていることを知りました。

それで帰省した折に行ってみました。いつも行っていた1990年代後半からはすでに20年ほど経っていたので、ご主人は少しお年を召されたようでしたが、店の隅々から感じられる本への愛情は変わらず。

1時間弱ほどかけてすべての棚を回って、北大路魯山人の著書(文庫本)を二冊購入しました。陶芸と料理それぞれに対する彼の一家言が書かれた書籍、計2冊。これは、『SHOGUN』の後に控えています(笑)。

以前どの雑誌だったか(機内誌かカード会員誌だったかな)のエッセイで檀ふみさんが紹介していた「魯山人すき焼き」のレシピも載っているのだろうか(笑)。作ってみたいんですよね、身体に悪くなさそうな料理だったんで。

文庫本の古書でも、ご主人がきれいに整えてビニールのブックカバーが一冊一冊にぴったり被せてありました。非常に丁寧なお仕事です。愛です。

帰省の折に足を運んだその時がもう10年ちょっと前のこと。(たぶん家計簿を見ればいつ行ったかは一目瞭然でしょう。)

今日ふと、どうされているのかなと思い、同時に(もう閉められたんだろうな)と思いつつ検索してみたら、まだ営業されていました(驚)。ブラボー!

しかも、以前は検索してもブログ記事が一つ出てくるだけだったのに、今日は結構なヒット数。びっくりしました。どうやら、そんなに遠くない昔にどこかで紹介されたらしいです。

そりゃそうです。あんなにステキな古書店はなかなかないと思います。ご主人の物腰が柔らかく、それゆえ敷居も高くないので玄人はもとより初心者にもやさしい、書籍や知識への愛が感じられて、凛とした空気がある。オシャレというよりは機能美に近い感じ。そんな古書店。

ミュンヘン空港で受けた感じに似ているな(笑)。

ヒットしたブログのいくつかを読んでみたら(2023年当時の日記)、ご主人は今88歳、あと2年は営業して閉めるとおっしゃっていると書いてありました。2023年から2年と言えば、今年2025年のこと。

2023年に88歳、開店してから25年と考えれば、ちょうど定年を迎えられたころに千代の介書店を始められて、偶然その日に僕が店の前を通りかかって、入り口をくぐったということになりましょうか。

これは今夏の帰省の折に最後にもう一回行っておきたいですね。今のうちにホテル予約しておこう。

それまで営業されているといいけど。でもそういうのって巡りあわせですからね。行ったところもうお店を閉められていても、それはそれで、思い出の濃度がそのぶん濃くなります。

開店されたころ(20年とか25年前ですねたぶん)、2~3日に一度、普通の人が仕事をしているような時間にやってきて、1時間ほどいろんな本をつまみ読みしていた何をしているかわからない変な若者のことは特に覚えていらっしゃらないでしょうね(笑)。それもそれでいいんです。

見返りを求めて生きていないので(笑)。

自分の心地よいもの・場所を探すだけの人生。

因みに、検索していくつか出てきたブログの一つによると、ご主人が千代の介さんなのではなく、愛犬の名前が千代の介くんなんだそう(笑)。



『オキナワ マヨナカ』カベルナリア吉田

2025-01-30 11:25:09 | Books, Movies & Music
『SHOGUN』と、その前にまだ少しだけ残っている本。今回の旅に持って行くのはこの2冊でいいかなと思い、『SHOGUN』のあとか、英文に疲れたときに自宅で読もうと思っていた本がこれ。

つまみ食いのようにところどころ読んでいて僕の好きなオキナワが描かれていて面白いなと思ったのだが、先ほど購入して初めて最初の2ページを読んでみたら。

ちょっとな(笑)と、それで、これも持って行って旅先で読んで帰ってきたらBookoff行きボックスに入れようと思った。

その「ちょっとな」ポイントは、昔のバックパッカー的な書き出し。バブル明けの頃の若いバックパッカーの書くものは大体こんな空気だった。

[アジアの旅から深夜便で早朝の成田に着き、疲れた頭のまま、でも躍動するアジアのパワーに十分に満たされた気持ちで電車で都内に向かう。ほどなくすると、通勤のサラリーマンが続々と乗り込んできて、車内はたちまち一杯になった。

ふと、彼らの顔を見ると、みんな同じ顔。ひとりひとり違う人たちなのに全員が同じ暗い顔をしている。僕がアジアで出会った子供たち、たくましく生きる人々のらんらんとした瞳とは全く違っていた。この旅から帰って、東京というコンクリートジャングルの生活の中で、僕もこんな風に表情を無くしてしまうんだろうか。

いやだ、それは絶対嫌だ、と僕は声なく叫んでいた。]

・・・みたいな文章の本ばかりだったじゃないですか、あの頃(笑)。今の旅好きな若い物書きもこんな安い論調で書いているんでしょうか。

20歳の頃に初めてタイとインドに行って帰ってきた頃は、そういう描写を読んで(そうだ、そうだ。みんな死んだような顔をしている。僕はあんな風になりたくない!)と思っていたが、そのあと安っぽいなと思うようになっちゃって。

僕がまともに働き始めたのは33歳くらいの頃だったので、別に自分がサラリーマンになったからそう思ったわけではなくて、そのずっと前、まだ「なんちゃってバックパッカー」でバイト代がたまったら飛行機に乗ってどこかに行く生活をしていた頃にそう思っていた。

ま、この本自体も古い本なので、カベルナリアさんの「若気の至り」だろうからやり過ごせばいいんですが(笑)。ああいう論調は好きになれないので、断捨離の一環として手元に置く書籍を厳選している段階の今、一度読んで楽しんだらバーの情報など必要なものだけ記録しておいて、次に誰か読みたい人の元に届けるのがいいかなという結論に至りました。

冒頭のありがちな記述以外の内容は好きなので、この数日で楽しみたいと思う。

若い頃の話ではないのだが、40歳手前くらいの頃でしたか。よく行っていたほぼ日本人しかいないバーになぜか一人のウェールズ人が良く来ていたんです。

まあ、すごい酔っぱらい方する奴で、やはり彼のことを快く思わない人も少なくなく。僕は楽しかったからいつも一緒に飲んでお喋りを楽しんでいた。話の途中で、彼の勤め先が僕の勤め先の通りを挟んだビルだということがわかって、一度昼飯でも食おうということになった。

で、ある日約束をして昼飯を食ったのだが、夜の顔とは全く違って彼は静かで、夜に会う時のようには会話が続かない(笑)。(仕事で何かあって不機嫌なのかな)とこちらがいぶかしく思うほど。

あまりに居心地悪かったので、昼飯が終わる頃に彼に言ってみた。

「昼間は静かなんだねぇ」

そうしたら、彼は僕の目をまっすぐに見て、

「昼間まで夜みたいにハッピーPeopleでニコニコ騒いで喋りまくってたらただのバカでしょ。真剣に仕事してるんだから。」

と言われて(確かに。その通りだな。)と思った。

その時に、若いときに読んだ何冊ものバックパッカー本の、冒頭のようなステレオタイプな記述のことを思い出した(笑)。

因みにカベルナリア吉田さんは、5~6年前に稚内駅の前で見かけたことがある(笑)。