前々回、そろそろ潮時だと20数年前にバックパッカーをやめた話を書いたが、最後から3番目くらいのバックパッカー旅はアンコールワットに行ったなぁと、今日は飛行機に乗りながら考えていた。
アンコールワットには、内戦時にカンボジア難民キャンプがあったタイのアランヤプラテートと言う町から陸路でカンボジア側のポイペトという町に入って、そこの広場で値段交渉してトラックの荷台に乗って行く・・・はずだったが、荷台に乗っていたら近くの川で取ってきた小さい淡水魚がびっしり入ったビニール袋が荷台に投げ入れられ、生臭くて我慢できず急遽前の座席に乗せてもらって向かったのだ。あれは今考えても非常にきつかった。
ま、その話はまた機会があれば。
一部では有名な話だけど、カンボジアやベトナムはフランスパンがやたらと美味しい国で(理由は言わなくてもいいと思う)、アンコールワットのある町「シエムリアプ」で泊っていた宿は、朝食付きで毎朝炭火で焼いた焼き立てのバゲットと卵料理の朝食がふるまわれた。インドシナ各国でバゲットが炭火焼きかガスオーブン焼きかを見分けるには、焼きあがったバゲットの表面に炭の黒い粒がついているかどうかを見ればいい。炭火焼きだと少しだけついている。
しかし、最大の弱点が。コーヒーがまずいのだ(笑)。レギュラーコーヒーなのに。あれならインスタントのネスカフェのほうがまだましなくらいのコーヒーだった。
言い値がそれほど高くなかったので、宿の主人の息子にお金を払ってバイクで3日間アンコールワットとその周辺の遺跡を案内してもらったのだが、その時に「うちのホテルにもっと客が来てほしいんだけど、どうしたらいいかなぁ」と言うので「まずコーヒーをなんとかした方がいい。欧米人は特に美味しいコーヒーがないと不機嫌になるから。」と言っておいた。その少し前に行ったタイはスコータイという町の安宿は、美味しいコーヒーがフロント前でいつも飲めて欧米人であふれていたのだ。彼にその話をした。
その宿にずっと滞在していた。
もうそのころはバックパッカーから足を洗おうと思っていたくらいで(笑)、少しは旅慣れた感じが出ていたようで、2週間ほどの滞在期間中、アンコールワットの真ん前で初日に知り合った偶然同じ大学だった女の子とよくお茶をしたりしていたのだが、ある夜彼女が僕を呼ぶので行ってみると初々しい大学生の少年が。彼女曰く「彼、シエムリアプの飲み屋街に飲みに連れて行ってほしいって言うんだけど、QOOTESくん連れて行ってあげてよ。毎晩ひとりで飲みに行ってるじゃん。」というので、ちょっと先輩風を吹かせて飲みに連れて行ってあげたこともあった。
町の中心部には欧米人向けのバーやクラブが立ち並ぶエリアがあり、僕は大体毎日そのエリアに飲みに行っていたのだ。そのなかでも一番店の造りがかっこいいクラブのテラス席にその彼を連れて行って飲んでいたら、「すっげぇ!すっげぇ!映画の中にいるみたいです!」と非常に楽しんでいて、連れて行ってあげてよかったなと思ったのだった。性別問わず若い子には興味がないので住所やメアドの交換はしなかったが、ああいう素直な子はきっと上司に優しくされて、いい人生を送っていると思う。
前述のとおりシエムリアプには2週間ほどいたので、遺跡を一通り回ると特にすることもなかったが、ある日バイクタクシーで走っていると「カンタボパ子供病院、今夜テラスコンサート開催」という看板を見たので行ってみた。
行ってみるとその病院を統括するフランス人医師がチェロを弾くというコンサートだったが、その医師がなかなかシニカルな人物で(笑)、コンサートとは名ばかりでチェロを弾きながらカンボジアの子供たちの窮状をなかば脅迫のように訴える「コンサート」だった。その子供病院では主にデング熱の治療をしていて、それには医療器具と輸血が必要で足りていないと言う話だった。
そのフランス人医師は「我々が『援助を』と言うと、何かできることはありませんかと君らは暇つぶしにやってくる。でも僕らが必要としているのは君らの時間じゃない、そんなものは足りている。金だ、金をくれ。金がなければ献血してシエムリアプから帰ってくれ。以上だ。」と言って、最後の曲を演奏して帰って行った。
その飾らない率直さがなぜか心に刺さり、その翌々日献血に行った。感染症がこわいので看護師さんに「ちゃんとディスポーザル(使い捨て)の針と機器を使っているか確認させてほしい」と言うと、使用する使い捨ての針と滅菌パックに入った献血キットを見せてくれたので、安心して献血を済ませて帰ってきた。
待遇は日本の献血ルームと同じ(かそれ以上)で、献血をした「ステキな人」にはその病院のTシャツとステッカーとチョコレートなどのお菓子が入ったバッグをくれた。
ステキな思い出なので、Tシャツはまだ箪笥の奥に入っている。
あの病院は今も子供たちを救っているのだと思う。
追記
ちょっと検索してみたら、その子供病院はいまもなお子供たちを助ける活動をしているが、ブログ中のフランス人医師だと思っていた方はスイス人医師で、2018年に71歳で亡くなっていた。僕が知らなかっただけで、国際社会でもかなり有名な方だった。あのとき、あのコンサートに気まぐれで行ってみてほんとうによかった。
アンコールワットには、内戦時にカンボジア難民キャンプがあったタイのアランヤプラテートと言う町から陸路でカンボジア側のポイペトという町に入って、そこの広場で値段交渉してトラックの荷台に乗って行く・・・はずだったが、荷台に乗っていたら近くの川で取ってきた小さい淡水魚がびっしり入ったビニール袋が荷台に投げ入れられ、生臭くて我慢できず急遽前の座席に乗せてもらって向かったのだ。あれは今考えても非常にきつかった。
ま、その話はまた機会があれば。
一部では有名な話だけど、カンボジアやベトナムはフランスパンがやたらと美味しい国で(理由は言わなくてもいいと思う)、アンコールワットのある町「シエムリアプ」で泊っていた宿は、朝食付きで毎朝炭火で焼いた焼き立てのバゲットと卵料理の朝食がふるまわれた。インドシナ各国でバゲットが炭火焼きかガスオーブン焼きかを見分けるには、焼きあがったバゲットの表面に炭の黒い粒がついているかどうかを見ればいい。炭火焼きだと少しだけついている。
しかし、最大の弱点が。コーヒーがまずいのだ(笑)。レギュラーコーヒーなのに。あれならインスタントのネスカフェのほうがまだましなくらいのコーヒーだった。
言い値がそれほど高くなかったので、宿の主人の息子にお金を払ってバイクで3日間アンコールワットとその周辺の遺跡を案内してもらったのだが、その時に「うちのホテルにもっと客が来てほしいんだけど、どうしたらいいかなぁ」と言うので「まずコーヒーをなんとかした方がいい。欧米人は特に美味しいコーヒーがないと不機嫌になるから。」と言っておいた。その少し前に行ったタイはスコータイという町の安宿は、美味しいコーヒーがフロント前でいつも飲めて欧米人であふれていたのだ。彼にその話をした。
その宿にずっと滞在していた。
もうそのころはバックパッカーから足を洗おうと思っていたくらいで(笑)、少しは旅慣れた感じが出ていたようで、2週間ほどの滞在期間中、アンコールワットの真ん前で初日に知り合った偶然同じ大学だった女の子とよくお茶をしたりしていたのだが、ある夜彼女が僕を呼ぶので行ってみると初々しい大学生の少年が。彼女曰く「彼、シエムリアプの飲み屋街に飲みに連れて行ってほしいって言うんだけど、QOOTESくん連れて行ってあげてよ。毎晩ひとりで飲みに行ってるじゃん。」というので、ちょっと先輩風を吹かせて飲みに連れて行ってあげたこともあった。
町の中心部には欧米人向けのバーやクラブが立ち並ぶエリアがあり、僕は大体毎日そのエリアに飲みに行っていたのだ。そのなかでも一番店の造りがかっこいいクラブのテラス席にその彼を連れて行って飲んでいたら、「すっげぇ!すっげぇ!映画の中にいるみたいです!」と非常に楽しんでいて、連れて行ってあげてよかったなと思ったのだった。性別問わず若い子には興味がないので住所やメアドの交換はしなかったが、ああいう素直な子はきっと上司に優しくされて、いい人生を送っていると思う。
前述のとおりシエムリアプには2週間ほどいたので、遺跡を一通り回ると特にすることもなかったが、ある日バイクタクシーで走っていると「カンタボパ子供病院、今夜テラスコンサート開催」という看板を見たので行ってみた。
行ってみるとその病院を統括するフランス人医師がチェロを弾くというコンサートだったが、その医師がなかなかシニカルな人物で(笑)、コンサートとは名ばかりでチェロを弾きながらカンボジアの子供たちの窮状をなかば脅迫のように訴える「コンサート」だった。その子供病院では主にデング熱の治療をしていて、それには医療器具と輸血が必要で足りていないと言う話だった。
そのフランス人医師は「我々が『援助を』と言うと、何かできることはありませんかと君らは暇つぶしにやってくる。でも僕らが必要としているのは君らの時間じゃない、そんなものは足りている。金だ、金をくれ。金がなければ献血してシエムリアプから帰ってくれ。以上だ。」と言って、最後の曲を演奏して帰って行った。
その飾らない率直さがなぜか心に刺さり、その翌々日献血に行った。感染症がこわいので看護師さんに「ちゃんとディスポーザル(使い捨て)の針と機器を使っているか確認させてほしい」と言うと、使用する使い捨ての針と滅菌パックに入った献血キットを見せてくれたので、安心して献血を済ませて帰ってきた。
待遇は日本の献血ルームと同じ(かそれ以上)で、献血をした「ステキな人」にはその病院のTシャツとステッカーとチョコレートなどのお菓子が入ったバッグをくれた。
ステキな思い出なので、Tシャツはまだ箪笥の奥に入っている。
あの病院は今も子供たちを救っているのだと思う。
追記
ちょっと検索してみたら、その子供病院はいまもなお子供たちを助ける活動をしているが、ブログ中のフランス人医師だと思っていた方はスイス人医師で、2018年に71歳で亡くなっていた。僕が知らなかっただけで、国際社会でもかなり有名な方だった。あのとき、あのコンサートに気まぐれで行ってみてほんとうによかった。
ちょっとしたきっかけで訪れたコンサートが、後々良き思い出となっているんですね。
自分も、たまたま訪れたコンケーンのライブハウスでのビートルズの曲が今でも忘れられずにいます。30年以上前の話です^^
旅先で行くコンサート、読む本、観る映画、心に残りやすいですよね。