QOOTESの脳ミソ

日記や旅の記録(現在進行中および過去の旅)がほとんどですが、たまに「腹黒日記風」になっているのでお気を付けください。

事故に注意。

2024-12-18 14:10:41 | 日記
本日は外出する用事を全部済ませてしまおうと思い、浅草の町をあっちに行ったりこっちに行ったり。最後に研いでもらった包丁を受け取りに合羽橋の刃物屋さんに行ったら、定休日だった(汗)。

詰めが甘いなぁ。

そして来週の出発までの食事の計画を立てていたら、今日浅草の西友で買っておこうと思っていた棒天を買うのを失念。

詰めが甘いなぁ。

とりあえず、大体の用事を済ませて帰る途中、歩いていたら洋食屋ヨシカミの裏あたりにお正月らしい風景が。


いい風景です。最近の人はそう思わないのでしょうかね。

今日買ってきたひき肉の食品トレーもリサイクルに持って行かなきゃいけないし、明日こそ外出する用事を一度に全部(once and for all)片づけます。

「発つ鳥跡を濁さず」

母には子供の頃から、旅に出るときは旅先で死んだら誰かが入るから自分の部屋はきれいにして、死体も死因を調べるためなどで調べられるからうんこのついていないきれいなパンツを履いていくようにしなさいと言われて育ちました。

今年自宅を出るのは明日の一回のみ。さっさと済ますために自転車でさっと行ってこようかなと思ったのですが、毎年12月も中旬を過ぎると歩行者も自転車も車もみんなが荒くなるのでヒヤッとする場面が多くなるんだよなと思い出し、明日も歩いていくことに。

今年話題になった、東京都大田区の「チャリカスママ」のクローンもおびただしいほどいるのですが、意外と歩行者にもダメダメが多い。自分が弱者だと思いこんでるからやりたい放題なんでしょうね。チャリカスママもそういう人でしたね。Youtubeにたくさん上がってるから改めて見てみるといいですよ。醜悪さが改めて面白い。

とにかく、自分がヒヤッとさせる方の人も、させられる方の人も、十分お気を付けくださいね。

今ネットニュースの見出しで見て思い出しましたが、通り魔みたいな気色悪い事件も年末には起こりやすいですしね。



豚肉が食べられないのに沖縄に行く。

2024-12-17 15:19:19 | 日記
那覇からバスに乗って数年前にできた海辺のショッピングセンターに行ってみる。

車窓から58号線沿線の街並みを眺めつつ、自分はどこからきて、これからどこに行くのだろうかと考えたり。

バス停に着いてからも建物には入らず海を眺める。


生まれて消える白い波頭を眺めつつ、自分の人生のようだと思う。

いつかあの波頭のように、僕もそもそもこの世にいなかったかのように去っていくのだろう。

なんて、思うわけもなく(笑)。

ずっと前から一度足を運ぼうと思っていた浦添のサンエーパルコショッピングセンターに行ってみた。一度行ってみたので、もう満足した(笑)。主だった店がそろっているので、買いたいものある時にはちょうどいいと思う。便利。

前の晩は夕飯にイオンのフードコートに入っているピザハウスJr.で、ラザニアを。


このお店、好きなんだよね。浦添にあるピザハウスというステーキハウスというかピザハウスの簡易版として沖縄本島各地のフードコートに入っているお店。ここのラザニアが美味い。熱々で出てくるし。

本店には何年も前に一度行ったことがあった。元々は米軍の将校クラブの建物で営業されていて、内装は「ザ・アメリカ」。僕が大好きなやつだ。

入り口を入ったところにあるウェイティングバーは「ザ・アメリカ」または「ザ・欧米」のレストランの象徴。レストランに行って満席だと店のスタッフに「ウェイティングバーでお待ちになりますか?」と聞かれるあのウェイティングバーだ。

利用するかしないかに関わらずこれがあるとないとでは店の格が変わってくる(と僕は思っている)。

本州の店でもOutbackとかTony Roma'sはウェイティングバーを備えている店が多々ありますね。

が、そのピザハウスの本店は何年も前におそらく建物の老朽化に伴って閉めてしまわれて、近所に新しい「本店」ができたが、小ぎれいになってしまったので興味がわかず行っていない。

で、翌日の朝。ちょっと買い物をしようと思っていたので、その前に軽くご飯を食べようと、那覇ハイアットのちょうど向かいにある蕎麦屋に。沖縄そばではなく日本蕎麦。タイミングがいいと沖縄本島北部の大宜味村の蕎麦がいただける。

そこで、十割のせいろを注文して待っている間に「なみなみスパークリング(ワイン)」をいただいた。


例によって蕎麦が来たら食べたい思いが前面に出てしまい、写真を撮るのを忘れた。でも美味しい蕎麦です。

僕は豚肉が食べられないので(単に嫌い)沖縄に行っても沖縄料理は一切食べない。子供の頃から牛豚鳥、肉類は全部食べられなかった。大学生になって牛肉と鶏肉はなぜか食べられるようにはなったが豚は今でも無理。ソーキも三枚肉も無理なので沖縄そばも食べない。同じ豚でもミンチとハム・ソーセージは可。しかし、SPAMは食べられないのでポーたまおむすびも食べない。豚のいやな臭いがすごい。

ミンチも機械で挽いたミンチのみ。特にタイ人に多いが、包丁で豚肉を細かくたたけば=ミンチという「自称・合理的」な考え方は受け入れられない。

ということで沖縄に行くと日本蕎麦のお店とかスペインバルとかで飯を食うことが多いところ、最近は沖縄でも日本蕎麦のお店が多くなってきて嬉しいところだ。以前はのうれん市場のビルに松尾庵という日本蕎麦のお店が入っていてそこがチョー美味かったのだが、数年営業しただけで閉めてしまわれた。本州の蕎麦屋を含めても、上位に入るくらい美味かった。

蕎麦を食った後の買い物と言うのはこれだ。


数日前、那覇の免税店DFSで見ていいなと一目ぼれ。最近はモノを増やしたくなくてコト消費や食い物にしかお金を使っていなかったのでたまにはいいかな、ダメかなと数日逡巡。結果的に、

クリスマスなんで、惨めな30~40代の行き遅れ女orサレ妻のように「自分へのご褒美☆」にって自分を鼓舞しながら買ってみました(笑)。



みんな幸せになれたらよかったのにね。

ボクハ、トテモシアワセ♪

着けて歩くので持って歩きはしないのですが、頑丈なキャリングケースも付属していました。



こういう腕時計って数年ごとの「オーバーホール」が必要で、購入よりもメンテナンスの方が大変だろうなと思っていたのですが、免税店の方に聞いてみたらこのモデルは「機械式」ではなくクオーツなので電池交換の際についでに軽く掃除してもらえるのでオーバーホールは必要ないということで安心。知っているつもりで知らないことっていくつになってもたくさんありますね。

ところで、僕は機械式腕時計のことを「自動巻き」って呼ぶんですが、今はもう使わない単語なんでしょうかね(笑)。

冬になると思い出す「長距離走者の孤独」な話。

2024-12-17 11:26:44 | 日記
小学生の頃はそれほどなかったけれども、中学生になると持久走なるものを定期的にやらされる機会が多くなりました。

僕、極度の運動音痴なんで、あの頃は持久走も非常に苦手に思っていて嫌だったなと寒くなると毎年少し思い出します。

大人になって見ると、実は持久走が嫌いなわけだったではなく、集団でそれをやることが嫌いだったんだなと気づきましたが(笑)。独りでウォーキングをするのは好きですし、歩いていて調子がいいと、自然と(走ってみようか)という気になりジョギングにかわっていくこともあります。

高校生になると年に数回、校庭の400mトラックを7~8周走らされることがありました。2年生になる頃には、運動音痴ながら、どのくらいのペースで走ったら何週目にどんなコンディションになるかというのは大体想定できるようになりました。というか当然なりますよね。それで、最初から無理に集団について走るのをやめたんです。

走り始めから集団とは一人だけ離れて走って、一週目の半分(200m)に到達する頃には、すでに先頭ランナーに追いつかれるくらいのペース。

そうすると何が起こるかと言いますと、2~3週目に差し掛かると、自分と同じくらいの体力なのに初めから無理に先頭集団について走っていた生徒がばてて後退してきて、彼らを抜かすことになるんです。

ただ、人と競うことに全く興味がないので、彼らを抜いていくときに特に高揚感はありません。おそらく彼らのことは視界には入っていてもほとんど見てもいませんでした。「持久走嫌だな、さっさと走って終わらせたいな」と思っているだけです。

さてゴール。運動音痴なんでそこそこ苦しいですが、最初からペースを考えて走ったので、まあまあ苦しいくらい。立っていられる程度。

そして、ほどなくして「僕と同じ運動能力レベルの彼ら」が息も絶え絶えにゴール。全部使い切ってゴール付近で倒れてなかなか起き上がれないくらい。

そうすると、複数いる先生たち、同級生たちが駆け寄って「よくやった」「よくやった」の大合唱。

それに引き換え、同じくらいのタイミングでゴールした僕の扱いは(最初から手を抜いて楽々ゴールしやがって。そんなんで最下位にならなくたって価値はねえからな。)みたいな対応だったことを覚えています(笑)。

世の中って言うのは、自分のレベルも考えずに無駄に汗水たらして頑張るだけの人間の方がかわいいって思うもんなのだろうなと、その時思いました。結果より気持ちなんでしょうね。最近のニュースに関して当初の反応から一転、判官贔屓で有権者の意見が変わってきているのも似た文脈で起こっている現象でしょうね。

全部引き受けて誠実にこなせる人は全く問題ないのですが、僕はそこまでできる男ではないので、そのレベル同士の対比で言うと、自分にできないことを「できます」「できます」って言い張って、結局「できませんでした」って言ってくる人間よりは、できることできないことを見極めて計画的に成し遂げる自分の方が正しいとあの頃も今も思っています。それでも世の中は同じダメ人間だと、結果を問わず汗水垂らす人の方に優しいよな(笑)、と思っていますね。

ということを思い出した、毎年冬に一度は来る朝。

別にトラウマみたいな大層なものではないですね(笑)。

那覇、ホテルのベッドにだるだる寝転んで昨今の情報収集。

2024-12-15 10:27:16 | 日記
日曜日の朝は政治討論的な番組が多いのはなぜなのだろうと思いつつ、ベッドの中からテレビとネット鑑賞。

大詰めになってきているらしい103万円の壁問題。そもそもなんで103万円、120万円、178万円なんだろう、その数字ってどこからでてきたの?と思ったことないですか?

それについて、あれは生存権保障の最低ラインだと説明している人がいて、なるほどなと合点がいきました。

いつもの昔話をすると、僕は仕事に対しては本当に志が低くて、大学を卒業してから32歳ごろまではずっとフリーターをしながらたまに東南アジアに旅行に行ったり、たまに実家から自転車で行ける大学院に通ったりしてのんびり暮らしていたんです。修論締め切り前の3か月くらいですね、忙しくて死にそうになったのは(笑)。

ですから、今のようにまともに働いて、ごく普通の年収をいただくようになったのは30代半ばくらいからなんです。

フリーター時代の収入は月に18万円、バイトだからボーナスは無し。大学院は国立大学だったので授業料も安かったので18万円のうち4万円ほど(だったかな)を毎月積み立てして学費も全部自分で賄って。そのほか1~2万円ほどを積み立ててたまったらタイで2週間ほどのんびりしたり。食事はほどんど全部自分で作って、バイト先にも毎日お弁当を持って行って。でも全然不満はなく。ズバリ自分で食べたい味のものが食べられますからね。

だから、肌感覚で、授業料ない状態なら死ぬまで毎月15万円あれば十分だと思っていました。

ただバイトはバイトなのでいきなり仕事が無くなる事態も考えられることから、もう少し安定的に同じ収入が得られたらいいなと思っていたので、20代の終わりごろには、毎月15万円だけくれて責任が重くない会社員の仕事がないかなといつも思っていました。

それで求人情報を見ていたら、会社の受付で電話受けたり来客の取次するだけの仕事って毎月15万円くらいくれて、楽そうだな、いいな、応募したいなと思ってよく見ると、応募資格が女性だけなんですよ。

逆差別だといつも思っていましたね。男性差別。なんで最低賃金だけくれて、基本的に椅子に座っていればよくて、責任がそれほどない楽な仕事を男性にやらせてくれないんだと。

これは皮肉とかじゃなくて、ほんとにそう思っていたんです。「志が低い」から。今もその考えは変わりません。

そこまでが昔話で、その時に自分の肌感覚で最低限必要だと思っていた毎月15万円。年に換算すると15万円×12か月=180万円なので、まさにいま攻防が繰り広げられている178万円、生存権保障の「新」最低ラインと合致するなと。

自分の肌感覚は合ってたなと思った日曜日の朝でした。

追加の話をすると、会社の受付嬢、もとい「受付野郎」のほか、楽に最低必要ラインだけ稼げそうな仕事として興味があったのは、リゾートマンションの住み込み管理人さん。

昔鹿児島の小さい離島に向かう船の中で知り合った千葉のオジサンに誘われて苗場の山に登りに行ったことがあるんですよ。その時に山を降りたあとオジサンが持っていた苗場のリゾートマンションを利用させてもらいました。

(今考えれば、あのオジサン、鹿児島の島で一度会っただけのほぼ見ず知らずの当時20代後半の男に、よく自分のリゾートマンションの鍵を渡して自由に使わせてくれたなと思いますね。心の広い人だったんだろうな。)

彼は仕事があるからと東京に帰ったんですが、その時に「好きなだけいていいからね、カギは帰るときにポストに入れて行ってくれればいいから。安い日本酒でいいならそこに入ってるから自由に飲んで。八海山とか久保田ならマンションの前の酒屋に行けば安く買えるよ。」と言われて3~4日滞在しました。最上階には大浴場があって毎日快適で、蛇口からは谷川山系のびっくりするくらい美味しい水が出てくるし。その時に一階にいる住み込み管理人さんのおじいちゃんを見ていて(こういう生活もアリだよな)と思っていました(笑)。

毎日適宜館内を見回って施錠とか確認して、ゴミ置き場を清潔に保ったり、住人が遊びに来た時のために季節の観光情報をPCでまとめて掲示板に張り出したり、実際に来た人に口頭で説明したり、住人の荷物を受け取ったり、マンションの各種定期検査に立ち会ったり、暇な時間はこたつでミカン食ったり、お金をほぼ使わないそんな人生。田舎だから野菜も安く手に入るし。

憧れましたね。

で最初に戻ると、いまでもその感覚は変わらず、持ち家だったら毎月15万円あれば僕は生きていけるなぁと思うし、基礎控除が178万円になったら所得税がかからなくなるので、さらに楽々だろうな、と。

今でもできれば責任のない仕事をしたいし、自分の生きてきた痕跡が全く残らないように生きていきたいですね。僕が死んだら誰も僕のことを覚えていないように生きていきたいなと。志が低いからね(笑)。

仕事に関しては今のところ何の因果かそうはならなかったけれども(笑)。

ネットで英文で検索すると僕の名前が出てくるんです。あれ、僕が死ぬまでに完全に消えてほしいと思います。

さて、本日の那覇では何をしましょうか(笑)。

那覇で特に何をするでもなく一日を過ごす。

2024-12-14 20:42:47 | 日記
涼しい那覇は快適ですね。

昼飯に何を食おうか考えて、今日は山頭火のラーメンを食べることに。札幌ではほかに行くラーメン屋が多すぎて山頭火まで手が回らないのに加えて、いつも行っていたすすきのの南三条あたりの店が数年前に閉店になってしまったので、行くとしたら札幌駅近くの店になるのだが、そこまで行くうちに美味しい店があるためなかなかたどり着けないのである。

そこで山頭火のラーメンは那覇国際通りのれん街に入っているお店で食べることにしている。昔々、那覇三越だった建物です。

那覇に来るたびに一回食べに行くので、今回でスタンプが8個たまりました。あと一個で1050円分(ラーメン一杯分)無料になります~☆


そのあとはおもろまちまで歩いていたら、牧志のハズレの方にオリオンビールのお店がありました。


おもろまちのユニクロで買い物をしたりして時間つぶし。ゆいレールの2日券を購入しようと思ったのですが、二日券と言いつつ実は48時間券なので、終了時間から逆算するともう少し遅い時間に使い始めた方がいろいろ考えると都合がよく。DFSものぞいたのですが、物欲が刺激されて困りました(笑)。

嫌いだ、頭痛がするという人の方が多いとは思うのですが、僕は人工的な香りが好きなので、免税店や百貨店一階の化粧品売り場をそぞろ歩くのが非常に好きです。

Dior、CHANELの男性用オードトワレをつけてみたり、ここ数年お気に入りなJo Maloneでスタッフのおねーさんと好きな香りについておしゃべりしたりして時間をつぶした後(全部海外で買ってきたのを自宅に持ってるけど)、

叔父に送るコーヒーを買いに首里に移動。

やはり僕はブログだのYoutubeだの発信するのは苦手なんだと思いました。

コーヒー豆屋さんの画像を撮るのを一切忘れていました。お店は普通の民家のようなたたずまい。名前は珈琲館生豆屋と言います。初老のご夫婦お二人の落ち着いたお店でした。好きなタイプのお店です。

中に入るとコーヒーの生豆が入った袋が種類別にたくさん置いてありました。焙煎したのはないのかな?と思い聞いてみたら、注文を受けてから焙煎します。20分くらいでできますよ、とのことで、焙煎深めが好きな叔父用に(僕も深いのが好きです)イタリアンブレンドとマンデリンを各300gずつ、焙煎してもらいました。

焙煎中は特にいい香りでしたねぇ。

マンデリンやトラジャなど酸味抑えめコク深めなインドネシア系のコーヒー豆の種類が好きなんで、自分用にも焙煎してもらえばよかったと後で思いましたが、また来ればいいですね。一年で多いときだと羽田ー那覇6往復くらいはしているので。

ホテルの方に戻るゆいレールに乗っていて、クリスマスの飾りつけがされているのに気づきました。雰囲気があります。


今、ゆいレールの駅事務所に言うと、2025年のカレンダーをいただけるそうですよ。大人はもちろん、一緒に行かれたお子さんが自分で駅員さんにお願いしてもらってくれば、旅のいい記念になるのではないでしょうか。

そして早めの夕飯に。この数週間居酒屋にはたくさん行ったし、来週帰って数日したら年末年始の旅に出るので控えて軽いものにしようかと思ったのですが、土曜日はダメだろうとダメもとでちょっと覗いてみたら席が何と空いていたので(笑)、美味しい焼き鳥屋で少しだけ。あしどりと言うお店です。まずはエビスビールとお通し。とやみつきセロリ。



ここで食べたいのは網レバー。レバーを豚の網脂で巻いて焼いてあるので、普通の肝焼きよりは味にコクがあります。



一年の終わりにこれが食べられて満足です。今年初めてだったんじゃないかな。

だんだんと2024年が終わりますね。