Fアニキに勧められた桶狭間の古戦場跡に行って来ました。
自宅から近いのでお昼過ぎに出発して57号線で南下。
1号線で名古屋方向へ走って中京競馬場を過ぎてこの辺りのはず。
案内板を見つけて左折したら「桶狭間古戦場伝説地」だった。
史跡は整備されてるけど駐車場は無かった。
邪魔にならない路肩に車を停めました。
こちらは今川義元さんを祀ったお墓です。
亡骸は無くても地元の人が御霊を慰めてお参りして来た場所。
長い間「想い」が注がれて神秘的な雰囲気を感じた。
墓の近くには義元さんの戦死した場所を示す石碑(一号碑)が。
北面には「今川上総介義元戦死所」と刻まれている。
約10倍の戦力で臨みながら敗れ、この地で散った義元さん。
時代のターニングポイントになった場所ですね。
道路を挟んだ石段の上には「今川義元仏式」の墓碑。
ここって高徳院の敷地?(;'∀')
1860年の建立なのでさっきのお墓(1876年建立)より古い。
他にも戦死した武将を祀った石碑が点在していた。
一気に攻められて次々と討ち取られていった武将たち。
激しい戦いだったことが窺える。
隣接した高徳院の境内には義元さんの本陣跡があった。
コンパクトにまとまっているけど見応えがあった。
碑を守り、伝承し続けて来た地元の方々の「想い」を感じた。
実際の合戦の展開は諸説あり、謎が多い桶狭間の戦い。
それぞれの説を検討して心馳せてみるのも面白いな。
この一戦で家康さんは今川家から独立するチャンスを掴んだ。
以後は東からの侵攻に対して信長さんの防波堤となった。
そんな歴史の後述を思い浮かべると実に興味深い史跡です。
豊明市のご当地マンホールには合戦の模様が刻まれていた。
イオン有松に移動して車を停めました。
ここは2時間まで駐車料金無料なので助かります。
イオン前の公衆トイレのプレートには特産の絞り模様。
有松絞りで有名な町並みを歩いて回りました。
一方通行の道路一帯には古い町並みが残っていた。
こちらの暖簾は絞りで「ありまつ」と染め上げられていた。
店内を覗くと有松絞りのTシャツ・手ぬぐい・財布などが。
色んな種類の雑貨に絞りを応用していて見るだけで楽しい。
イオンに戻ってお店を見て回って色々と買い物をした。
車を出庫してもう一つの古戦場へ向かいます。
名古屋市の緑区に整備された「桶狭間古戦場公園」です。
こちらはまだ新しい?ナビに出て来ない。
1号線の桶狭間交差点を南下したら案内板がありました。
ピアゴがあったので駐車場に車を停めた。
駐車場のフェンスに取り付けられた幟は有松絞りだった!
鮮やかに「桶狭間古戦場」と染められていた。
見るからに真新しくてとても綺麗な公園です。
パッと見ただけでお金掛かっていることが分かります。
真っ先に見えたのが織田信長さんと今川義元さんの銅像です!
とてもリアルな造形で、それぞれの特徴が込められていた。
義元さんを祀った墓碑がありました。
「駿公墓碣」と言うらしい。
傍らには「今川義元戦死之地」と刻まれた石碑が建っていた。
義元さんが討ち取られた場所って豊明?緑区?(;'∀')
こちらは「義元公首洗いの泉」
義元さんの首は鳴海城と引き換えに後日今川方に還された。
その後は駿河に戻ったそうです。
髑髏でワイン飲まれなくて良かったですね。
モニュメントを配して桶狭間の戦いをジオラマにしていた。
合戦の距離感を理解し易いよう工夫されてて興味深い。
織田軍や今川軍になりきって走り回るのも面白そう。
中々のアイデアだけど真新しい施設はありがたみに欠ける。
豊明市の古戦場伝説地も緑区の古戦場公園もどっちも良かった。
こと「史跡」としては豊明の方が雰囲気は良かった。
古戦場公園の方は遺物と新しい施設の融合が課題かな。
全体的に明るくて子供向けだけど史跡らしくない印象。
園内の木々が大きく育って施設が古くなればそれも解消する?
ただ名古屋市の意気込みは強く感じた。
豊明とも仲良く協力して両方盛り上がるといいなぁ。
ここの場所柄、よい資金源もあるみたいだし(;'∀')