セリカ魂

「初代セリカに乗りたい!」
ゆっくり旧車ライフの備忘録

大給城址/松平城址

2019年03月09日 23時52分00秒 | 歴史

3月9日(土)
「続・ふるさと城めぐり」を参考に山城巡り。
まずは大給城(おぎゅうじょう)から。
豊田市からR301を走って巴川を過ぎた辺り、「松平郷」の看板を右折して細い道を上がって行くと「大給城址」の石碑があった。

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数台分の駐車場はあるが、既に満車で路肩に停めている車も居て意外と人気スポットだった。
マットを持った人がぞろぞろ歩いていたが、巨岩目当てのボルダリング愛好家らしい。
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案内板がしっかり整備されていた。
山道は歩きやすいけれど、落ち葉が多くてそれが滑るので要注意。


すぐ右手にお墓があった。
正面に三葉葵の石扉があって周りを玉垣が囲んでいる。


銘は何?「大給城主源乗元之墓」と読める。
家康は源氏の血筋を自称していたから?こちらは「大給松平家」なので家康に仕える家柄のはず。


虎口や櫓台や堀切など主だった遺構には案内板が設置され、分かりやすく整備されていた。

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主郭に到着。
巨岩の上に「大給城址」の石碑が建っていた。
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おっ、これが「物見岩」か。


見晴らしが素晴らしく良い。


豊田市は勿論、鈴鹿山脈まで望めた。
名古屋駅の高層ビル群も見えた。

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足元を見ると人の手で加工されたと思しき穴がポツポツと開いているが当時物?旗指物とかを立てていたのだろうか?
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ガイドが引率したツアー客の一団もやって来た。
それなりに観光スポットになっているらしい。


さて、お楽しみの「水の手曲輪」に注目。
まずは上の石塁だが、中央部がえぐれていてダムの堤の様な役割だったのかな。

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下から見ると、その特異な形状が良く分かる。
中央の凹み部分、ちゃんと石積みで築かれていた。
一箇所だけ低くして水流をコントロールしていたのか。
メンテナンスもそこ中心で済むし。


その下にはもう一段、堤状の石塁が横たわる。
その石塁にも上段と同様の凹みが中央部に。
二段になった石塁は治水施設か砂防の役割だろうか。

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石で築かれた井戸?があった。
やはり水場として使われていたのだろう。
こういう「水の手曲輪」は珍しいそうだ。

 

帰りに南側のルートを歩いていると、下にマットを敷いてボルダリングしている人が居た。格好の練習場所だな。

ハーケンを使うロッククライミングはモチ論外だが、彼らの様な素手で登る分には全然いいと思う。何もかも全て規制するのは間違いだ。

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さて、大給城を後にして次は松平城。
R301を新城方面に約5km。まずは松平東照宮を訪れることにして桜馬場駐車場に停めた。
周りは見事な石垣で水濠には錦鯉が泳いでいた。


家康の産湯の井戸。
幾つか井戸があり、上に祠が建てられていた。
この石造りの祠が載った井戸がそれね。


さて、松平城を目指すぞ。
ん?何か石像があるぞ。


「それな」
松平太郎左衛門親氏の像だった。
家康のご先祖で松平家の始祖らしい。

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案内板に沿って松平城址を目指す。
770mね、頑張る。
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松平太郎左衛門家の墓所に到着。
こちらは三代目で将軍家と分かれた血筋らしい。
家康にとっては本家にあたる家柄。
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しばらく登った所の案内板。
えっ?松平東照宮から400m登って来たけれど?
途中で分かれ道を曲がらないといけなかった?
松平城址←560mってどういうことよ?


モヤっとしながら登っていると石ゴロゴロな道。
案内板が間違っていた?


アスファルトの道に出た。
案内板でも松平城址は下の方とあるし・・

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展望テラスで休憩。
しっかり整備された展望台だった。20190309_27.JPG
 
ここからの眺めも素晴らしかった。
昔の目のいい人ならどこまで見渡せたんだろう。
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名古屋駅の高層ビル群。
濃尾平野までも望める。
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諦めて、来た道を下ることにした。
巨石がゴロゴロしていて幾つかには矢穴が残っていた。
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しばらく下ると分かれ道。
左手前にも道があり、Kの字の四叉路だった。
スマホナビだと「左手前に下る道を行け」なのだが・・


ここを下ってもすぐ先にフェンスがあった。
その先には行けない感じ・・

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かと言って、もう一方の道もこれ。
椎茸の原木が並び、通っていい雰囲気ではない。
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徒歩での山越えは諦めて車でR301近くの駐車場に戻り、そこから徒歩で上がって行った。
するとすぐに松平城址へと続く道になった。
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やっと松平城址の入口に到着。
でも、すぐ近くに民家があって「山城」って感じではない。
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登っていくと、「曲輪2」の案内板があった。こちらの史跡もしっかり整備されているみたい。立ち木が伐採された跡も見える。
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主郭に到着。
立ち木を伐採していて当時を再現。


こちらも巨岩の上に「松平城址」の石碑。
敢えて石の上に建てるのって流行り?


他の遺構も見てみよう。
少し戻ると分かれ道、まずは井戸から。


井戸への道は竹林の中。
倒れた竹が道を塞いでいた。

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松平城井戸跡。
上から見えた石碑はこれだったのね。
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井戸は素掘り。
さっきの大給城の様な石造りではない。
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ネットのレビューでもここは余り評価が高くない。
それなりに空堀や竪掘りの遺構が残っているが、城址から近くの民家が見えるなど一般的な山城のイメージとは乖離しているから?
違う見方をすれば、ここで先祖代々の土地を守って住み続けていることこそ、素晴らしいと思うのだが。

帰りに立ち寄った松平まんじゅう。
近くのスーパーで出張販売しているが、ここで買うことに意味があるのだ。

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おっ、よもぎ。当然、どちらもお土産に買った。
ふぅ、ちょっと足がパンパンだ・・
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