3月9日(土)
「続・ふるさと城めぐり」を参考に山城巡り。
まずは大給城(おぎゅうじょう)から。
豊田市からR301を走って巴川を過ぎた辺り、「松平郷」の看板を右折して細い道を上がって行くと「大給城址」の石碑があった。

マットを持った人がぞろぞろ歩いていたが、巨岩目当てのボルダリング愛好家らしい。


案内板がしっかり整備されていた。
山道は歩きやすいけれど、落ち葉が多くてそれが滑るので要注意。
すぐ右手にお墓があった。
正面に三葉葵の石扉があって周りを玉垣が囲んでいる。
銘は何?「大給城主源乗元之墓」と読める。
家康は源氏の血筋を自称していたから?こちらは「大給松平家」なので家康に仕える家柄のはず。
虎口や櫓台や堀切など主だった遺構には案内板が設置され、分かりやすく整備されていた。

巨岩の上に「大給城址」の石碑が建っていた。

おっ、これが「物見岩」か。
見晴らしが素晴らしく良い。
豊田市は勿論、鈴鹿山脈まで望めた。
名古屋駅の高層ビル群も見えた。


ガイドが引率したツアー客の一団もやって来た。
それなりに観光スポットになっているらしい。
さて、お楽しみの「水の手曲輪」に注目。
まずは上の石塁だが、中央部がえぐれていてダムの堤の様な役割だったのかな。

下から見ると、その特異な形状が良く分かる。
中央の凹み部分、ちゃんと石積みで築かれていた。
一箇所だけ低くして水流をコントロールしていたのか。
メンテナンスもそこ中心で済むし。
その下にはもう一段、堤状の石塁が横たわる。
その石塁にも上段と同様の凹みが中央部に。
二段になった石塁は治水施設か砂防の役割だろうか。

石で築かれた井戸?があった。
やはり水場として使われていたのだろう。
こういう「水の手曲輪」は珍しいそうだ。
帰りに南側のルートを歩いていると、下にマットを敷いてボルダリングしている人が居た。格好の練習場所だな。
ハーケンを使うロッククライミングはモチ論外だが、彼らの様な素手で登る分には全然いいと思う。何もかも全て規制するのは間違いだ。

さて、大給城を後にして次は松平城。
R301を新城方面に約5km。まずは松平東照宮を訪れることにして桜馬場駐車場に停めた。
周りは見事な石垣で水濠には錦鯉が泳いでいた。
家康の産湯の井戸。
幾つか井戸があり、上に祠が建てられていた。
この石造りの祠が載った井戸がそれね。
さて、松平城を目指すぞ。
ん?何か石像があるぞ。
「それな」
松平太郎左衛門親氏の像だった。
家康のご先祖で松平家の始祖らしい。

770mね、頑張る。

こちらは三代目で将軍家と分かれた血筋らしい。
家康にとっては本家にあたる家柄。

しばらく登った所の案内板。
えっ?松平東照宮から400m登って来たけれど?
途中で分かれ道を曲がらないといけなかった?
松平城址←560mってどういうことよ?
モヤっとしながら登っていると石ゴロゴロな道。
案内板が間違っていた?
アスファルトの道に出た。
案内板でも松平城址は下の方とあるし・・

しっかり整備された展望台だった。

昔の目のいい人ならどこまで見渡せたんだろう。

濃尾平野までも望める。

巨石がゴロゴロしていて幾つかには矢穴が残っていた。

しばらく下ると分かれ道。
左手前にも道があり、Kの字の四叉路だった。
スマホナビだと「左手前に下る道を行け」なのだが・・
ここを下ってもすぐ先にフェンスがあった。
その先には行けない感じ・・

椎茸の原木が並び、通っていい雰囲気ではない。

するとすぐに松平城址へと続く道になった。

でも、すぐ近くに民家があって「山城」って感じではない。



主郭に到着。
立ち木を伐採していて当時を再現。
こちらも巨岩の上に「松平城址」の石碑。
敢えて石の上に建てるのって流行り?
他の遺構も見てみよう。
少し戻ると分かれ道、まずは井戸から。
井戸への道は竹林の中。
倒れた竹が道を塞いでいた。

上から見えた石碑はこれだったのね。

さっきの大給城の様な石造りではない。

ネットのレビューでもここは余り評価が高くない。
それなりに空堀や竪掘りの遺構が残っているが、城址から近くの民家が見えるなど一般的な山城のイメージとは乖離しているから?
違う見方をすれば、ここで先祖代々の土地を守って住み続けていることこそ、素晴らしいと思うのだが。
帰りに立ち寄った松平まんじゅう。
近くのスーパーで出張販売しているが、ここで買うことに意味があるのだ。

ふぅ、ちょっと足がパンパンだ・・
