8月26日(金)
国際芸術祭あいち2022、残すは芸文センター。
東新町のパチンコ屋に11時少し前に入庫。ここは芸文まで1ブロックと近く、且つ¥800の上限もあるので気分が楽。
道を挟んですぐ近く、あんかけスパ発祥のお店「そ~れ」で昼食。
伝説のミラカン(¥900)、あんかけ串カツ(¥500)
ミックスフライ(¥950)
お腹いっぱいで死にそう(;´Д`)
芸文センターに向かっていると、やたらと警官が多い。
表現の不自由展が市民ギャラリー栄で開催中で、それに抗議して拡声器で騒ぎ立てる人たちも来ていた。なるほど、そういう訳か。
あの展示は実物を見て、制作意図を知れば理解出来るはずなのに。
→ あいちトリエンナーレ2019(2019.10.10)
芸文センターB2Fに到着。
AC01 小野澤 峻《演ずる造形》は調整中。27日に運転再開の予定らしい。
アートスペースXへ。
愛知県立芸術大学のOB・奈良美智が愛知=三英傑でイメージする創作を提案。歴史上の武将を今の若者がどう捉えるか、愛知県芸の学生やOBなどによるコレクティブ。
奈良さんは一宮会場では今一番発信したい「WORLD PEACE」な作品を展示。片やここでは愛知の母校に縁の若手の為に作品発表の場を提供してくれていた。
AC49 縄(愛知県芸チーム initiated by 奈良美智)
会場外で出迎えるのは何?大樹が描かれている?
書籍からゲームまで、三英傑に関するアイテム名が書かれていた。
《三英傑コンテンツ年表》三英傑
木枠梱包ケースが積み上げられていた。
ルールを決めて、木枠でゲームした?
握った何か、拳を舐める映像作品。
《薪に座り肝を舐める》家康
家康さんの代名詞・臥薪嘗胆を実演したのか!w
木枠にびっしりと書き込まれた作品。
《グレートに詩を書く》家康
岡崎城のグレート家康公「葵」武将隊をオマージュ?今や三英傑も武将隊の時代だからなぁ。着眼点が面白い。
いや、よく見たらグレートじゃなくてクレートだ。クレート(木枠)に厭離穢土欣求浄土と書き込んだ作品だったか。
愛知県芸と言えば星野之宣もお忘れなく。中退だけど・・
さて、一気に10Fへ。
AC20 横野 明日香《採土場》
AC20 横野 明日香《瀬戸の風景》
AC21 大泉 和文《可動橋/BH 5.0》
10分おきに跳ね上がる。
待っていたら折れ曲がって下がり始めた。
架かった橋の上を渡れる作品。ギシギシ言ってた・・
AC02a マルセル・ブロータース
《政治的ユートピアの地図と小さな絵画1または0》
AC03 河原 温
I AM STILL ALIVE
芸術祭のテーマ「STILL ALIVE」の元ネタ的な作品。
ぶっちゃけ、どこがいいのか分からない。
AC05 ローマン・オンダック《イベント・ホライズン》
壁面の金具に掛けられた各ピースは特定の年輪がマーキングされ、その年の歴史的な出来事が刻印されていた。
一本のオークの木を100枚にスライス。それで1917年から2016年までを表現。
毎日一枚ずつ壁に掛けられて今、こんな状態。
アイデアと見せ方が面白い!こういう直球な作品は好きだ。
AC04b 奥村 雄樹《7,502,733》
題名は6月1日現在の愛知県人口動向調査結果月報から。
AC07 ロバート・ブリア《スポンジ》
AC07 ロバート・ブリア《フロート》
AC09 塩見 允枝子
《スペイシャル・ポエム:移動のイヴェント(2022年版)》
河原 温同様に他者を巻き込んだ作品。
一歩間違うと単なる内輪ネタ。既に一歩間違っていて、どこがいいのか分からない。
AC08 ミシェック・マサンヴ
AC11a リタ・ポンセ・デ・レオン《人生よ、ここに来たれ》
AC11a リタ・ポンセ・デ・レオン《雨の声》
AC11b リタ・ポンセ・デ・レオン《魂は夢を見ている》
マリンバに似た楽器の音板には言葉が刻まれている。
音板は観客が自由に入れ替えられる。
AC12 パブロ・ダヴィラ《転移の調和》
AC13 ファニー・サニン
AC14 アンドレ・コマツ《失語症》
AC15 カズ・オオシロ
AC17 ジミー・ロベール
AC19 足立 智美《立体印刷された詩》
触れる。
8Fの会場へ行く途中でラーニングルームを見学。
AC47 AHA!
[Archive for HumanActivities/人類の営みのためのアーカイブ]
《ドライブ・レコーダー》
膨大で綿密な「走行記録」を展示。
起承転結がしっかりしていて実に良かった。
実は全て架空の創作物だったなんてオチとか・・ない?
8Fの会場へ。
AC25a 笹本 晃《リスの手法:境界線の幅》
疑似餌。
AC27 百瀬 文《Jokanaan》
オペラ「サロメ」をモチーフに、音源に合わせて演じる男性。その動きをモーション・キャプチャで取得したデータから横の女性のCGが作られた。
二つの映像を並べて見ると、まるでサロメとヨカナーン。どちらも「同じ」なのに違う性別にメタモルフォーゼしたかの様だ。
突き詰めればLGBTの捉え方にも通じると思う。見た目の不確かさ・見えている姿を信頼する根拠の浅はかさを思い知る映像作品だった。中身は見えないという前提を人は忘れがち。
AC28 リリアナ・アングロ・コルテス
AC29 モハンマド・サーミ
人物が描かれていない。
でも、そこに誰かが居た気配は伝わって来る。
観る者に想像の余地が与えられている作品。
AC29 モハンマド・サーミ《難民キャンプ》
AC32a クラウディア・デル・リオ《生きる工夫》
AC35 荒川 修作+マドリン・ギンズ
《問われているプロセス/天命反転の橋》
AC36 メアリー・ダパラニー
AC37 バイロン・キム《サンデー・ペインティング》
AC32b クラウディア・デル・リオ《率直さ、不安、そして内緒話》
AC38 アブドゥライ・コナテ
AC39 岸本 靖子《I am 空飛ぶ赤猫だあ!》
AC39 岸本 靖子《空飛ぶ猫1~6》
AC39 岸本 靖子
《ホワイトマウンテンゴリラ》《ホワイトマウンテンゴリラの唄》
AC42 渡辺 篤(アイムヒア プロジェクト)《Your Moon》
膨大な作品量に、感受性が次第に麻痺してしまった。
現代美術の作家は作品の制作意図を明かさない傾向が強い。
「観れば分かるだろ」って姿勢もあるし、
「違った受け止め方されるのも嬉しい」って気持ちから。
でもそれは鑑賞する側が「知りたい」と自発的に思わないと成立しない関係性でもある。
一目見て「くだらん」と素通りされたら何も伝わらない。
各作品の入口にある最小限の作品紹介が唯一の手掛かり。
芸文センターは会場スタッフから作品のテーマ、見どころ、背景を説明してくることはない。
対して地域会場では頼んでもいないのに「ここ見て」「これはね」と作品を語り始める会場ボランティアが結構居た。
ダイレクトに謎解き的な説明はしない様に指導されているはずなのに、抑えきれずについ喋ってしまうのだろうがこれが実に有難い。
熱心に教えてもらうと作品の理解度も好感度も上がり、結果として「よい作品だった」という印象を持つ。
芸文センターはその点で残念な会場だと思う。
さて、マツザカヤ本館B1「赤福茶屋」へ。
赤福氷(¥600)でクールダウン。
あんこが絶品で白玉もいい感じで実に旨し!
白餅黒餅もお土産に買えたし大満足。