全てを忘れるその日まで

~明日への遺書~

reborn

2018年07月02日 | 日記
平成三十年五月十六日 

私は対馬病院精神科に入院した



三度に及ぶ自殺未遂と


激しい希死念慮状態による医療保護入院




離婚後


かつて尊敬していた前妻の人としてあるまじき行為に辛うじて耐えていた私の心だったけど…


次々と明るみになる前妻の裏切り行為を聞くに及び


引き波で洗われる砂上の楼閣が如く私の心はあっさりと崩壊



有明山から上見坂、鶏知ダム、そして自宅までの

26キロメートルのロングディスタンスを走破した翌日


16日午前10時


庁舎の窓から身を躍らせ、三度目の自殺を企図した



確実に死ねる様に受け身が取れない方法を講じ


そして


飛び降りようとした刹那


追ってきた同僚に羽交い絞めにされ、室内に引きずり込まれた


あと10秒…いや、5秒か


51年生きていて死が一番近づいた瞬間だった



5人の先輩、同僚に両腕両足腰を押さえられ


それでも「死なせてください」「死なせろ!」と狂った様に叫び、押さえる10本の腕を振りほどこうと身を捩る私がいた




屈強な同僚に両腕を持たれたまま病院へ


ベルト、ネックレス、腕時計…もちろんスマートフォンも


身に着けていたものは全てはぎとられ


(ただ、ラムの遺骨の入ったカプセルだけは特別に認めて貰った)


間口2メートル、奥行き4.5メートルの保護室と言う名の独房に収容された




入口ドアは外から鍵がかけられ、自傷防止の措置が講じられた室内にベッドはなく薄いマットレスがポツンと置いてあり


つるんとした室内に辛うじて調度品と呼べるのは、ステンレス製の洋式便器と目隠し代わりに床から50センチ程度立ち上がった衝立のみ


もちろんテレビなんてあるはずはなく


ステンレスの立て格子の奥の廊下に窓があり


まるで壁に掛けられた絵画の様に嘘っぽい真っ蒼な五月の空が覗いていた



  




…地獄の始まりだった



その日から1週間


24時間モニタリングされたこの独房から外に出れるのは10メートル離れたシャワー室に行くときだけ


もちろん自由に歩き回れるはずもなく、常に看護師が監視について回る


その時間も10~15分程度


昼となく夜となく、目が覚めたら、或いは気が向いたらドアを叩き、叫び、喚き散らすイカれた両隣の隣人の声に睡眠を阻害されながら


自由の奪われた、寝るか考えるかしかない部屋で過ごした


朝に渡される1本のおしぼりだけで洗顔を済ませ


囚人同様、食事は床の上


「こんなもの食えるか、持っていけ」


運ばれたお盆を足で蹴り、丸一日食事を摂らない日もあった



機嫌悪さで看護師に食ってかかり


「俺をここから出せ…あんた等は知らないだろうが俺は本来ここに居る人間じゃない」


「何で俺をここに閉じ込める…」



そして、最後に口にする言葉…


「俺が何をした?」「俺が悪い事をしたのか?」


(…悪いのは俺じゃないだろ)



私の言葉を受け

黒目の光らない女性看護師が私を冷酷に見据え 


そして、こう言った


「あなたは死のうとしました」

「それが悪いことなのです」




以来


私は看護師、ドクターに心を閉ざし 


部屋の隅で膝を抱え 


飛び散った誰かの血がシミになった壁を見つめ一人呟く




…俺が何でこんな目に遭わなければいけないんだ


俺がどんな悪いことをした?



もしここを出れたら


今度こそ死んでやる







9日目で隔離解除、大部屋に移される

   




通信制限も解除され、時間の制限はあるがスマートフォンも使える様になり


少しだけ 人に戻った



しかし


ここは2階西病棟…閉鎖病棟である事には変わりはない


    


    


    



朝から晩までず~っと掃除をしている人

ブツブツ呟きながら虚空を見上げ廊下を歩く人

常に何かに怯えた不安げな顔をした人

目の焦点が合っていない人


そして殆どの人は猫背で前につんのめるように歩いている



21時の消灯後も病棟内に響き渡るうめき声、叫び声



私は一人ベッドの上で耳を塞ぎいつもの言葉を反芻する



…俺が何をした どんな悪いことをした



いくら考えても答えは出ない




ただ


今の気持ちのままここで暮らしていくには何とも辛い


いっそ俺の心も早く壊れてしまえばいいのに


そうしたらここの人たちみたいに


何も考えず、何も思わず、何も気にせず


一人前の2階西病棟の住人になれるのに



…寝付けぬ頭で一晩中そう思い続ける


地獄の日々がこのまま永遠に続くんじゃないか


そんな恐怖と戦いながら…







閉鎖病棟だけど日に三度は喫煙の為に隣接したバルコニーに出る事が出来る


時間は10分


煙草は止めたけど、外の空気が吸えるこの時間は何より貴重なもの



フェンスに指をかけ


遠くに聳える白嶽をじっと見つめる…


     




外の空気を吸うと自分に戻れる



早く退院して登ってやる


プリウスにも乗りたい



そんな忘れていた気持ちが沸々と湧き上がってくる




そして


たかが離婚くらいで三度死のうとしたこんな私だけど…



私には


貴重な時間を割いて何度も面会に来てくれたり


電話やメールで


「早く帰ってきて下さい」


「笑い話にしようや」


「俺の知っている、プライドを持った男に戻って帰って来い」


「係長、帰ってきてくれるだけでいいから」



と、励まし


そして待ってくれている上司や同僚、部下がいる



ありがたい事だと思う


…このご恩は仕事でしか返せない





そう



ちょっと大げさだけど…また人生の目標が出来た



仲間の存在と国家公務員としての矜恃が私の心の支えとなり



それからは


ドクターや看護師に当たる事を止め、理屈も言わなくなった


薬も真面目に飲み、心の安定に努め


そして


前妻の裏切りも、数年前からメールアドレスに入っていたhbd1024の持つ意味も


もう何もかもどうでもよくなってきた6月1日


当初2か月と言われていた入院期間も、17日間と言う異例の短さで退院することが出来た




これはドクターに談判してくれた長姉のおかげでもあるし


私を心配してくれた多くの人たちのおかげでもある


もちろん


真摯に私の心を治療してくれたドクターや看護師さんのおかげである事は言うを待たない




退院の翌日


念願の白嶽に登る
 


 


 


 


 


 


 



昨日まで居た病院
 



フェンス越しに見上げていた白嶽西岩峰から今は逆に見下ろしている



入院中



あれほど遠くに感じた白嶽西岩峰に


今は自分の足で立っている
 





プリウスに乗り
 


 


 


 


 




町並みが一変した比田勝に初めて乗り込む
 


 


 


 


 


 




夜は親友が「由美」で退院祝いをしてくれた




1967年5月13日が私の誕生日



そして



2018年6月1日は私の心が生まれ変わった日


 


 




もう2度とここには戻らない


 





ここにいる人たちは



本能のままで生きている



道徳も、人としての倫理も常識も、その一切合切を病気の為に無くしてしまったまま生きている






 






何となく




前妻の事を思いだした…




あぁ



同じだ な